日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

目黒の誕生八幡神社

2011-09-09 | 太田道灌
JR目黒駅を出て、目黒通りを歩くと、誕生八幡神社(品川区)があります。



「誕生」と名のつく神社は初めて見ました。
その由来とは・・・

誕生八幡神社は太田道灌が夫人の懐妊の際、安産を祈願し、筑前国(福岡県)宇佐八幡を勧請したものが当社の始まりと伝えられています。無事に男の子が無事誕生したことから誕生八幡と呼ばれ、安産の守り神とされていて、安産の腹帯が授与されています。(品川区の文化財より)



誕生八幡神社の鳥居をくぐって階段を登ると、左側に小さな社殿があります。
この社殿は「重箱稲荷」と呼ばれています。昔、重箱稲荷はこの近くの六軒茶屋町(現在の上大崎二丁目)にありましたが、明治四十二年に誕生八幡神社へ移されました。

重箱稲荷の由来

徳川三代将軍家光がこの辺りに鷹狩り来た時、鷹が逃げてしまった。
家光は弁当が入った重箱を社前に供え、鷹が戻るようにと祈ったところ無事戻ってきたと伝えられている。
(しながわ百科より)

重箱稲荷には次のようなお話が伝えられています。
三代将軍徳川家光がこのあたりへタカ狩りに訪れた時のことです。
「獲物をつかまえるなら今じゃ!」。将軍がそう思ったとき、大空高くタカが放たれました。しかし、どうしたことか、タカは獲物には見向きもせず、はるかかなたに飛んで消えてしまいました。「どこへ行ってしまったのじゃ……?」。将軍も家来の武士たちも、途方にくれてしまいました。タカがいなくなってしまっては、どうにも狩をすることはできません。
がっかりしていたところ、将軍は道ばたにひっそりと建つ小さな稲荷神社を見てハッとひらめきました。持ってきた重箱のお弁当を稲荷社におそなえしようと考えたのです。「タカよ、戻ってまいれ……」。将軍がいっしょうけんめいお祈りしていると、不思議なことにタカがどこからともなく戻ってきたのです。とても喜んだ将軍は「狩りを続けるぞ!」と帰ってきたタカを連れ、再び出かけて行きました。
この重箱はそのまま社殿にそなえられ、稲荷社の宝として大切に守られました。このことから「重箱稲荷」という名前で呼ばれるようになりました。
その後、この重箱は重箱稲荷社を管理していた徳蔵寺におさめられましたが、嘉永三年(1850)の大火事で徳蔵寺とともに焼けてしまったといわれています。(「広報しながわ」より)

鳥居の後ろに、品川区指定天然記念物のイチョウが立っています。





誕生八幡神社のイチョウ
この2本の木は、昭和45年(1970)道路の拡張のため、神社の移転改築で現在地に移植され、切り詰められたが、以前と合わせて3度の移植にも耐え、旺盛な勢いを見せている。向かって右側の(21号)は、幹囲3m25cm、樹高14m50cm、向かって左側の(22号)は、幹囲2m71cm、樹高11m50cm、樹齢はいずれも250~300年。

9月中旬に行われる「目黒のさんま祭り」はこの神社を中心として行われています。

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コメント (10)
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