形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

信州学生村(3)・道が消えた

2009-08-16 09:48:10 | 昭和の頃

学生村にいるとき、一緒に行った幼なじみと、近くの山に一泊で
登ろうと計画した。 持っていった登山用の地形図を見ながら、
二人でどこに登ろうかと、計画しているのは楽しい時間だった。

決めたのは、おそらく登山者など来ない、わりあい近くの山だった。
もともと農家のあるところの標高も、さほど高くないから、その山もそう
高くはない。 大滝山だったか、今では、山の名前もよく思い出せない。

二人で普通の登山では、重いのであまり持っていかない、いろいろな
缶詰を、農協のスーパーでしこたま買い込んだ。 そして、のんびりと
昼過ぎから、小さいがずっしり重いザックを背負って出かけていった。

どうせ低い山だからと、ナメていた。 途中で休み、休み、ミカンの缶詰
など食べながらのんびり歩いた。 かなり歩いたところで、ゆっくりと
陽が傾き、地図にない道が現れた。

道は二股に分かれ、左の道は新しいらしく、はっきりしているが地図には
ない。 右の道は地図にある道だが、なぜかぼんやりとした感じで、崖の
下を回り込んでいる。

二人で地図を見ながら迷った。 地図にない道は、行き先がはっきりしな
いから、地図にあるほうに行くことにする。 だがその道は、歩いていくと、
次第に草に覆われ、だんだん消えていった。 終いには、地面に顔をつける
ようにして先を見れば、やっと両側から覆う草の下に、うっすら痕跡が
見えるほどになり、やがて消えてしまった。 暗くなり始めているので、
行くか、もどるか友達と話し合った。

「やっぱりさっきの道を行けばよかったな~」
「でも、あの道、どこに行くかわからないんだろ?」
「もどろうか?」
「もどったところで、真っ暗になっちゃうよ」
「じゃ、ここで野宿しよう」
「え~ こんな草むらにテントもなしで~?」 
と、幼なじみはとてもイヤそうだった。

だが空模様も怪しくなり、寝袋は出したものの、結局もどることにした。
懐中電灯で照らしながら歩く道は、やけに遠く感じられ、疲れきった
二人は口をきくのもイヤという状態で、やっと村近くまでたどりついた。

こんどは大きな岩がゴロゴロしている、ちょっと危ない天竜川沿いの
近道を行くか、遠回りしても安全な、村の中の道を行くかでモメた。
早くついて布団に寝たい私は近道派で、のんきな幼なじみは遠回り派
である。

カンシャクを起こした私は一人で岩の上を歩き始めた。 幼なじみも
仕方なしにずっとあとからついてくる。 農家にたどりついたのは、
真夜中だった。 戸をごそごそやっているので、何ごとかと飛び出して
きたオヤジさんにびっくりされた。


読んでいただいてありがとう!


体のゆがみは、腰痛などの痛みや体調不良の大きな原因です。

形之医学・しんそう療方 東京小石川
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