goo blog サービス終了のお知らせ 

形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

友だち

2012-11-24 13:16:51 | Weblog

こんなふうにして、
友だちと多摩川の土手をよく歩いてたな~


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霧氷

2012-11-21 19:26:48 | Weblog

霧氷を初めて見たのは、秋深い奥秩父の山の上だった。
高校1年のとき、先輩に連れられて、冬山合宿の下見に行った。
早朝、前夜泊った無人の山小屋から出ると、
霧の中で、木々や枯れ草の一つ一つを縁どる、
白いカビの世界に迷いこんだような風景に驚いた。 
先輩から、それが霧氷だと教えられた。 
雪だと地面にも白く積もり、全体が白い風景になるが、
それとはかなり異質の美しい風景。 


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春

2012-11-20 16:10:00 | Weblog

私の青春は小学生のときに終わった。
青春とは「春」を意味し、だいたい青年時代のもっとも元気な
盛りの頃をいうそうだ。 ならばやはり私の青春は小学生で
終わったことになる。

友だちと探検ごっこをしたり、川で魚を捕ったり、原っぱや林で
虫を追って遊んでいるのが大好きだった私は、机の前にじっと
座っているのがとても苦手だった。 だから家での勉強をまとも
にやったことがない。 遊ぶのに忙しくて、そんなことしてるヒマ
はなかった。

家の粗末な門を入ると、細い通路の奥に引き戸の玄関があった。
玄関に向かいながら、そっとランドセルを肩から外し胸に抱え、
「ただいまー!」の声とともに、玄関にランドセルを放り込む。 
母親につかまると勉強をさせられるから逃げるのだ。

家の奥から母親が、私の名前を呼びながらパタパタと走ってくる、
スリッパの音が聞こえる。 私はそばに立てかけてある、魚捕りの
網を持って逃げだす。 暗くなるまで夢中で遊んで、バツとして家の
鍵を掛けられたこともたびたびだった。
それが私の輝く青春時代。


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葡萄の葉

2012-11-19 15:07:38 | Weblog

両親が使っていた部屋の前の、小さな庭の片隅に葡萄が植えられている。 
もうかれこれ、二十五年近くも前に植えたものだ。 その庭は猫のひたい
よりも小さく、葡萄棚を作る広さもない。 毎年、そばの生垣の山茶花
(サザンカ)に絡みついて四方八方に伸びていく。 

葡萄はその美しい実や葡萄酒のイメージから、繊細な植物だろうと思って
いたが、意外に丈夫なものだ。 葉の枯れる秋の終わりになると、好き放題に
伸びた枝はさっぱりと刈り取られて、地面から曲がって立つ、1メートルほどの
棒みたいにされてしまう。 だがまた次の年には元気に芽を吹き、伸びるのを
くり返している。 この葡萄、ただの一度も実をつけたことがない。 
たわわに実るなんて無関係に、ただただ、明るい緑の葉を茂らせて、
元気に伸び続ける。

葡萄の木は六年前に死んだおふくろの親友で、同じく今はいない、
山形のクニちゃんが苗木を送ってくれたものだ。 オヤジとおふくろは
終戦後、朝鮮で抑留され、その後、帰国して山形の叔父のところに身を寄せていた。 
そのとき、クニちゃんは叔父のところで看護婦さんをしていて知り合った。 
クニちゃんはたいへん素朴で明るく、気取ったことがきらいなおふくろと
ウマがあったようだ。 その後も何十年と手紙のやり取りをしていた。 

今の千葉の家に東京から引っ越してきた年の夏、クニちゃんは旦那さんと
山形から遊びに来てくれた。 おふくろを連れて駅まで迎えに行くと、
向こうのほうから、分厚いレンズの丸いメガネをかけ、カバン2つを肩から
斜めにバッテンに掛けた、くにちゃんが駆け寄ってきた。 七十歳に近い
二人はまるで小学生のように手を取りあい、夏の日差しの中で、
飛び跳ねて再会を喜んだ。 その光景ももう遠い。

 
からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野菊

2012-11-15 18:23:10 | Weblog

花の咲いている秋の野草を探して、城址公園を散歩した。
だが冬枯れに備えてか、公園内はきれいに草が刈られ、
ほとんど花をつけた野草は見つからなかった。

家にもどって、裏にある小さな菜園をのぞいてみた。
菜園のほうは、夏に勢いよく育ち、多くの実をつけていたトマトも、
わずかに小さな青い実をつけているだけで、伸びきった姿で地を
這っていた。

近くの赤マンマなどの秋草の混じる草むらに、静かに野菊が咲いていた。 
野菊は"ひっそり"という言葉が似合う。 一口に野菊といっても、
日本には変異を起こしたものも入れると、350種以上もあるそうだ。

民間の研究者で、かなり詳しく見分け方を書いている方がいる。
それを頼りに、花と葉を調べてみたが、どうもはっきりしない。
写真のはおそらく、野紺菊(ノコンギク)か、関東嫁菜(カントウヨメナ)
のどちらかと思われる。             


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毒木・水松(イチイ)

2012-11-05 17:08:54 | Weblog

カエサルの「ガリア戦記」を読んでいると、今のベルギーのあたりに
住んでいた、エブロネス族(ゲルマン人の一種族)の王が、イチイの
毒汁を飲んで自決する話が出ていた。 イチイという名前を見て、
忘れていた記憶が蘇った。


子どもの頃、山形の叔父の病院の、庭の一角にイチイが植えられていた。
イチイは初秋の頃、赤く甘い実をつける。 イチイの木は成長がたいへん
遅いそうで、庭にあったものも、さほど大きな木ではなかった。

小さな赤い実は透明感があり、とても美しい。
病院の庭は広く、近所の子供たちがよく遊びに来ていて、季節になると
一緒になってこの実を食べた。 私は小さくて手が届かなかったので、
大きな子が採ってくれたのをもらって食べていた。 熟した赤い実は
小さいが果汁が多く甘かった。

イチイは果肉以外は、葉や樹皮も、果肉に入っている種子にさえ、
タキシンというアルカロイドの強毒があるそうだ。 そういえば、
あまり沢山食べるなと言われたような気もするが、口から種を出した
記憶がない。

イチイは「一位」と書くが、別名をアララギ、水松ともいう。
北海道のように寒いところではサカキが育たず、代わりにイチイを
神事の玉串などに使うので、神社にはイチイが植えられるそうだ。
成長が遅い分、年輪が緻密で美しく、工芸品や天井板に使われるという。

                        
からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下神明・豊町の頃(1)

2012-11-01 19:32:30 | Weblog

大井町の豊町に住んでいたのは、まだ幼稚園に入る前。
おやじはオフクロと結婚して一緒に満州に渡り、土木技師として
鉄道や道路をつくる仕事をしていた。  終戦後、朝鮮に抑留され、
帰国後、山形で医者をしていた、一番上の兄のところに身を寄せていた。 
その頃、私が生まれている。

その後、東京に出てきたおやじが、「もう、宮仕えはいやだ」と言い
出して始めたのが、豊町での乾物屋だとオフクロから聞いた。 
狭い店の奥に、四畳半ぐらいの部屋がついていた。 そこが、生まれ
たばかりの弟も入れた、一家四人の住まいだった。 少しばかりの家具も
置いてあったのでとても狭かった。 山形から親戚が泊りがけで来ると、
私は弟の小さなベビーベッドの下に押し込まれて寝た。

今も当時の怖い記憶として残っているのは、夜中のトイレだ。 
小さな丸い鉄の皿の蜀台(しょくだい)に立てたロウソクに火をつけて持ち、
便所まで行くのだが、大きな自分の影が壁にゆれ恐ろしかった。 
いつも必ずオフクロを起こしていた。


豊町は下町で、漫画家の故・滝田ゆうが描いた、下町の風景と同じだった。 
時代もまだ日本が復興していない頃だったので、日本全体が貧しかったと思う。 
よく隣同士で米や味噌の貸し借りをしていた。 私もマスを持たされて、
隣の家に米や味噌を借りに出された。 隣でも無くなると借りに来ていた。

小さかったので、記憶は断片的にしか残っていない。
近所の子どもたちには、大きな楽しみがあった。、それは八百屋の
お兄さんが午後の暇なときに、オート三輪車の荷台に子どもたちを乗せて、
町内を一周して遊んでくれたことだった。 オート三輪車はテレビでもたまに
見かける。 子どもが乗る三輪車を、大きくしたみたいな自動車で、荷物の
運搬に使われていた。

ハンドルは輪っかじゃなくて、オートバイと同じ大きな棒のハンドルだ。
エンジンをかけるのもバイクと同じで、床にあるペダルに体重を乗せて、
踏み込んでかける。 方向指示器は、横から赤いバナナみたいな形の
プラスチックが、右なら、右に曲がりますと、右側からぴょこんと飛び
出てきて、曲がり終わるとまた引っ込める。 今の高性能の車から見ると、
ずいぶんのどかなものだった。

町内一周は、店の前の坂道を下ってきて終わりになる。
今のジェットコースターのようで、子どもたちが大ハシャギ 
するところだった。       - 続く -


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下神明・豊町の頃(2)

2012-10-31 16:09:11 | Weblog

豊町にいた頃、山形から来た親戚が持ってきた練りハミガキを、
一本全部食べてしまったことがある。 
私は飢えは知らなかったが、甘いものに飢えていた。 
当時、一般の家庭では缶に入った、粉のハミガキ粉を使っていた。 
これは甘くもなんともないが、チューブ入りの練りハミガキは甘く、
その頃新発売されたのではないかと思う。 見たことがないものだった。 
ちょっとなめてみたらうまいので、全部食べちゃったのだ。


師走。煌々と光る裸電球の下で、正月のものを買おうとする人々が
忙し気に行き交う。 活気とせわしない光景が目に残る。 その頃の
正月は、今と違いスーパーもコンビニもないので、一週間は商店が
完全に休みに入った。 食べ物が手に入らなくなるので、人々は
真剣になって、一週間分の食料の確保をしなければならなかった。
我が家の小さな店先も、暮れは人でごった返えしていた。

当時は安いものだったらしいが、塩漬けの数の子も、暮れだけ店に
置いていた。 店の裏側の路地には、漬物などが入っていた、
空になった木の樽が積まれていた。 邪魔になった樽を移すために、
私はおやじに教えられて、樽の動かし方をおぼえた。 
母親から、その頃よく商店の人がしていた、紺色のゴツイ前掛けを
してもらい、それが長過ぎて引きずりながら、樽を斜めに傾けて、
転がしていくのが、子ども心に面白くてしょうがなかった。

日がかわってお正月になると、町の活気とあわただしさは、
うそのように消え、家々は新年の静かな日を迎える。

正月になると怖いものが一つあった。 それはピーヒャラピーヒャラの
笛とともに家々を回って歩く、唐草模様の獅子舞いだ。
外で舞い終わった獅子舞に、玄関先でおやじに押さえつけられ、
頭を獅子の大きな口の中に入れられるのだ。 食われてたまるかと、
大暴れしたが、子どもの力じゃどうしようもなかった。 
獅子舞はちょっとだけ頭を噛むのだが、食われるっ!
と思うぐらい恐ろしかった。

- 続く -

からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下神明・豊町の頃(3)

2012-10-30 19:08:44 | Weblog

豊町で大の仲良しが、同じ歳のサブちゃん だった。
その頃、オモチャらしいもので遊んだ記憶がない。
干物の空き箱に棒をつけて、サブちゃんと二人でかつぎ、
お神輿、ワッショイ!ワッショイ! とやっていた。

豊町には紙芝居のおじさんもよくやって来た。 小さな公園の木陰で、
子どもたちは、おじさんの売る水飴などの駄菓子を買って、なめながら
紙芝居を見ていた。 おじさんは子どもたちを集めるのに、大きな子に
太鼓を持たせて町内を練り歩かせた。

太鼓を預けられた子は、肩からバンドを掛けて胸の前に太鼓を吊り、 
それを「ドンドン カッカッカッ、ドンドンドン カッカッ」と調子を
つけて街中を歩き回った。 それが、紙芝居が来たぞー! という合図だった。 
子どもたちは太鼓のあとに続いて、公園で待っている紙芝居のおじさんの
ところに集まった。 太鼓叩きの子は、お駄賃に水飴をもらって紙芝居を見ていた。 

私は、その肩に掛けて叩きながら練り歩く姿が、カッコよく見えて、自分も
やってみたいと思った。 そこで叩いていた、年長の子にやらせてくれと
ねだった。 その子は、「おまえ、まだ小さいから無理だよ~」 と言って
いたが、それでも私の肩に太鼓のバンドを掛けてくれた。 太鼓は地面に
ついてしまい、みんなはそれを見て大笑いした。


豊町から、東急目蒲線・矢口の渡に引っ越したのは、私が幼稚園に入る
少し前。 結局、乾物屋は立ちゆかなくなったのか、ここらへんの事情は
知らないが、おやじはまた、土木技師として道路公団に入った。 
大きくなってからおふくろから少し聞いたのは、おやじの商売は、
武士の商法というやつだったらしい。 そうだろうと思う。 威張るわけじゃないが、
東北の人間で、もともと口数が少なく、一言の愛想だって言える柄じゃなかった。 
おふくろは「それが気に入って来るお客さんもいたんだけどね・・・・」 と口を濁した。
- 完 -


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田内陸縦貫鉄道

2012-10-26 00:45:04 | Weblog

7年前、仙台に向かう東北新幹線にあった旅のパンフレット、
トランベールにディーゼル機関車で行く、みちのくの旅の特集をしていた。
山深くを1、2両でのんびり走るこの鉄道の旅に惹かれ、
そのパンフレットをとっておいた。

7月の夏休み、この鉄道で一人旅に行った。
盛岡まで新幹線で行き、そこからディーゼル2両の花輪線に乗り替えた。 
ディーゼル機関車は電気を動力としないので、電線もパンタグラフもない。 
また単線なので線路の幅は狭く、左右に迫る木々の枝が当たらないかと
思えるほどだった。 

田園地帯からやがて山の中へ入り、花輪線は奥羽山脈を越えていく。 
いつかどこかで見たような、懐かしい風景が次々にあらわれた。
流れていく風景を、私は飽くことなく眺めていた。
退屈かもしれないと、旅行カバンに入れておいた数冊の本は、
一度も開くことはなかった。 一人旅もいいものだ。 
花輪線の3時間の旅はあっという間に終った。
終点の大館から奥羽線の鷹巣まで行きそこに泊った。



翌朝、鷹巣駅が始発の秋田内陸縦貫鉄道に乗り、角館(かくのだて)に向かった。
この鉄道は1両だけのディーゼル機関車で、花輪線よりさらに山奥をいく。 
森の中を走り、多くの沢を越え、鉄橋を渡っていく。
素晴らしい風景がつづいた。

だが秋田内陸縦貫鉄道は利用者が減り、廃線の危機にさらされているそうだ。   
地元の人たちはこれを懸命に守ろうしている。 このたった1両の電車の中で、
小さな手押し車での車内販売があり、沿線の名産品を売っている。 
たいへんな山奥に鉄路を切り開いた人たちの苦労がしのばれる。

その日は翌日に秋田駒ケ岳に登るため、田沢湖畔のローズガーデンホテルに泊った。
ホテルに着くと平日のためか、中規模のホテルなのに、客はまだ私一人だった。
チェックインするとき支配人がいて、一番眺めのいい部屋を用意しておいたという。
広々としたレストランでの食事も私一人だけで、素晴らしい席を用意してくれた。
湖の向こうの山々は、青味がかった薄墨色の山のシルエットが、影絵のように重なりあった。
やがて暮色が深まり、山のシルエットは空と溶けあっていった。


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻灯機

2012-10-25 18:28:24 | Weblog

小学校の頃、学校か友だちの家だったか、幻灯機で映す絵を見た。 
その後、幻灯機が流行り、少年雑誌の付録にまでついてきた。
この雑誌の付録は、次回の付録の写真がいつもすごいのだが、
買って開けると、がっかりするようなものばかりだった。 
幻灯機風の印刷をされた付録も、ボール紙を組み立てて作る、
かなりお粗末なものだった。 でも私たちはわくわくしながら作り、 
壁に映し出された、輪郭のボケた絵を見ていた。

幻灯機の中に裸電球を入れ、前に差し込んだ、透明なセルロイドに
描かれた絵は、レンズを通して壁に映し出される。 
一枚一枚自分たちで差し替えるのだが、声もなにもなく、
漫画のほうがよほどおもしろかった。 
だが部屋を暗くすると、まるで映画館に入ったような気分になった。
そこで期待して幻灯機をつけると、動かないただの絵なので、
いつもがっかりしながら見ていた。


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野草・オナモミ(生菜揉)

2012-10-24 14:20:30 | Weblog

オナモミは今頃の季節、枯れてトゲトゲのある実を沢山つける。
服によくつくこの実を、子どもの頃、よく投げ合って遊んだ。
セーターなど、毛足の長いものによく付くので、くっつき虫などと
呼んでいた。  動物に付着して運ばれるために、このトゲトゲが
あるという説が有力のようだ。

トゲの先は少し丸まった鉤状になっているため、毛の長い犬などに絡み
つくと、取るのが大変になる。 子どもの頃、飼っていた犬が原っぱを
うろついてきて、これをたくさん付けて帰ってきたことが幾度もあった。
しつこく取れないので、カンシャクを起こしハサミで毛ごと切り取っていた。



* 夏の頃のオナモミ

キク科の植物で、種は油を採ったり、蒼耳(そうじ)という生薬にもなるが、
毒成分も含んでいる。 家畜が春先に発芽したものを食べたり、
飼料に混入したものを食べ、ひどいときには死ぬ例もあるようだ。 
毒虫などに刺されたとき、この生の葉を揉んでつけ、痛みをやわらげる
ためにこの名がついたという。

家の裏の空き地に、毎年同じ場所に出てくるので、宿根草と思って
いが1年草だった。 落ちた種から出るのをくり返しているようだ。 
雄雌異花。

                     
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


 
[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落下傘ごっこ

2012-10-22 14:03:00 | Weblog

小学生の頃やった遊びの中に、広げたカサを持って屋根から飛び降りる、
落下傘ごっこがある。 傘を持って友だちと屋根に登り、地面をのぞき見ると、
下から見てるよりずっと高く感じる。  
やると、傘はおちょこになって、ドサッと落ちるのだが、飛び降りた瞬間、
空中でふわっと浮くような気がした。  ひるむ私たちを尻目に、
いつも真っ先に飛び降りるのは、親友の安田くんだった。 

安田くんは多摩川の土手でも度胸がよかった。 自転車に乗ったまま、
土手の上から草むらの斜面を、多摩川に向かって一直線に走り下りていく。 
草の中には隠れて見えない、大きな穴があいていることがある。 
その穴に急降下する自転車の前輪が落ちると、急ストップし、自転車と
体はバラバラになって、宙を飛び息がつけないほど背中を打った。 
私も1、2度やって、その苦しさにコリゴリしてやめたが、安田くんは
こりもせずやっていた。


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の野草・ミズヒキ(水引き)

2012-10-18 17:18:18 | Weblog

いまごろ日陰でひっそりと咲くミズヒキは秋が似合う。
細い茎に点々とつく花を、上から見ると赤く見え、
下から見ると白い。 そのため、ノシなどにかける、
あの紅白の水引から名前がきているという。




やわらかな風情があるため、茶室の近くに植えられることも
あるようだ。 城跡公園に沢山咲いているのを採ってきて、
庭に植えたが、繁殖力が強く、数年のうちに増え過ぎて
整理するほどになった。 溝蕎麦(ミゾソバ)と同じタデ科の
多年草で、花に見えるのはガク。 


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



[ 警告]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

匂いガラス

2012-10-16 16:24:10 | Weblog

匂いガラスが流行ったのは小学校の頃。
透明で鋭い角のない、ただの厚い板ガラスのような破片だった。
どこかで売っていたのか、誰かからもらったのか覚えがない。

木にこのガラスをゴシゴシ擦りつけて匂いをかぐと、
香水のような、かすかないい匂いがした。
私たちは匂いガラスと呼んでいた。

休み時間になると、教室のあっちこっちで、机にこのガラスを擦り
つけていた。 そしてサッと机やガラスの匂いをかぐのだ。 
今考えると、なぜこれぐらいのことを面白がっていたのだろうと思う。 
その頃、日本はまだ貧しく物が不自由な時代だった。 
子どもたちは、ささやかなことに楽しみをみつけていた。

やってみたことがあるが、普通のガラスではまったく匂わない。
何に使われて、なぜ匂うのか不思議なガラスだった。

その後、このガラスの正体を知った。
なんと戦闘機の風防ガラスで、ガラスではなくプラスチックだそうだ。 
私の小学生の頃はとっくに戦争は終わっていたが、どこかに墜落した
飛行機がまき散らしたものでもあったのだろうか。 それにしても、
どうして擦るといい匂いがするなんてわかったのかな。 


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする