奈川のお蕎麦 を食べた後、野麦峠 までドライブしてきました。
野麦峠は 長野県と岐阜県の県境 にあり、標高は1672m。
この日の朝は 鹿島槍ヶ岳 や 常念岳 も冠雪していたのですが、車の中からでも真っ白な 乗鞍岳 が目を惹きました。
乗鞍岳は標高3,026m。
白馬岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳などが北アルプスの北とすると、
槍ヶ岳~常念岳~穂高岳などを経て、乗鞍岳は北アルプスの南端になります。
この県境には 岐阜県立自然公園野麦峠 があり、ドラマや映画で有名な「あゝ野麦峠」の像や“お助け小屋”がありました。
「あゝ野麦峠」は1968年に発表されたノンフィクション文学で、副題は「ある製糸工女哀史」。
以下はWikipediaからの引用です。
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明治から大正にかけて、岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た。
吹雪の中を危険な峠雪道を越え、懸命に就業した。
大日本帝国の富国強兵の国策において、有力な輸出貿易品であった生糸の生産を支えた女性たちの姿を伝えた。
製糸工場が最も過酷だったとされる明治40年代を中心に取り上げている。
山本(著者)は執筆に当たり数百人の女工・工場関係者からの聞き取りを行っている。
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そんな工女たちのうちの一人が“政井みね”で、厳しい労働条件の中、病気になり兄に背負われて帰る途中
「あぁ、飛騨が見える」と嬉しそうに言って息をひきとったと言われています。
10代の少女たちが過酷な労働条件で懸命に働き、結核などになると途端に邪魔者扱いされて追い出されたような説明を読んで悲しくなりました。
1979年の映画「あゝ野麦峠」は大竹しのぶさんが主人公のみね役で大ヒットだったそうです。
お兄さん役は地井武男さん。
お助け小屋 は、厳しい峠越えで命を落とす人もいたことから、そういう人たちを救うために建てられたのだそうです。
現在のお助け小屋は、昭和45年に古い家屋を移築し休憩や食事ができるようになっており、
昨年3月に閉館した「野麦峠の館」から移動された展示物も置いてあります。
ポスターなどは2作目の「あゝ野麦峠 新緑篇(1982年制作)」のものが多く展示されていました。
この広いお座敷、普段は何に使われているのかな?
閑散としていてもったいない気がしました。
こんな県境迄来る人は少ないのでしょうか?
駐車場から道路に出た途端、ナビが「長野県に入りました」と言いました。
本当に県境なんですね。
悲しい工女のお話とはうらはらに、抜けるような青空と紅葉の始まった木々が美しかったです。
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一度だけ奈川から野麦峠を越えて高山まで行ったことがあります。
明治時代は衛生環境も栄養状態も悪くて、しかも今なら中学生くらいの娘さん、親元離れて可愛そうでしたね。
明治20年代に生まれた祖母も小学校を卒業して埼玉県や群馬県の製糸工場に行きました。
けれど良いとも悪いともきいたことがありません
聞いておけばよかったと今になって思います。
上高地も近いんだっけ
この秋各地に熊が出た報道がありこの辺りもうっかりすると熊がこんにちはするよーな地域なのかも
今の時代もブラック企業なんか同じ実態だし当時も今も労働環境同じだね
yottinさまはどの季節に行かれたのでしょうか?
今回、改めて「あゝ野麦峠」の舞台となった製糸工場のことをいくつか読んでみました。
映画のような過酷で悲惨な状況も多々あったようですが
一部では「家での農作業の方がよほど辛かった」等の声もあったということです。
当時は製糸工場に限らず、子供の頃から働きに出たり、
現代では考えられないような働き方を強いられていたようにも思いますね。
紅葉は年によって色が全然違いますね。
今年は寒暖差が激しいので綺麗に色づきそうですが
紅葉の時期にかなりバラつきがあるようです。
熊は今年特に多いようで、先日の滝を見に行く時もドキドキしました。
言われてみると確かに。。
現代も「ブラック企業」と言われる所は酷いですね。