湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

西郷輝彦を、星と仰いで・・・・・

2012年08月29日 | 詩歌・歳時記

                       

15歳の夏、滋賀の片田舎の清流で、川遊びにあきて、木の橋に足をぶらぶらさせて坐っていた。

どこからか流れてきた一曲の歌が、ボクのそれからの人生を決定づけたのだった。

「十七才のこの胸に」・・・・・絵を描くことしかできなかった少年にとって、新しい世界が開けた瞬間

だった。 レコード・プレィヤーもないのに、なけなしの小遣いで買いに走ったこの1枚である。

        

醒ヶ井養鱒場でのアルバイトで得た金を握り締めて、月に一度、デビュー曲の「君だけを」から、

買いためていった。 思春期の少年は、やがて詩を書くようになって、あまつさえ、西郷さんに

歌ってもらいたい!! という野望を抱くようになった。

即ち、作詞家へのはるかな夢の道が、小さな胸に開いていったのである。

                          

西郷さんの歌と、その存在はボクにとっては、革命の連続であった。歌謡曲からロックへ。

そして、ミュージカルへ・・・・・。 ひときわ輝く星に導かれて、青春を突っ走った。

見知らぬ世界を教えてくれた。 夢に向かって生きる事の素晴らしさを、その歌で励まされた。

24歳の時に、夢にまで見たボクのデビュー曲が発売されることになった。

           

いつかはお逢いしたい。でも、今はダメなのだ。 西郷さんの前に立って、恥ずかしからぬ人間に

ならなければ。 上を向いて日々、歩いてはいる。 けれど、なかなか西郷さんには追いつけない。

この一曲という詩がいまだに創れずにいる。 久々の「ヒット曲」を、ボクの詩で・・・・という思いは

今も埋み火のごとく、胸の奥底には静かに燃えている。

                         

古い因習の束縛から、解き放ってくださった西郷さん。常に高みを目指す生き様を示してくれた

西郷さん。 彼はいつの日も、ボクの羅針盤である。 そして、けっしてぶれない北極星の正しさ、

あたたかさを教えてくれた。 西郷輝彦を、わが愛しの星と仰いでここまでは生きてきた、幸せ。

どんな時にも、上を目指す!! 倒れて死ぬ時にも、明日の方角へ倒れたいものである。


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