Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

#16「白亜に緑青を纏う空の十字架」

2012-11-29 | Liner Notes
 日本正教会の大聖堂である東京復活大聖堂。またの名をニコライ堂と呼ばれています。そこでは、ロシアのための祈りのみならず、日本のための祈りも唱えられていると聞きます。

「願いと祈りと執り成しと感謝をすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい」

 その祈りは、決して布教の為に迎合するのではなく、時の権力者が暴走をすることもなく、人々の平和と安寧が込められているそうです。

 そしてその教えは宗教の違いによって相手が私と同質か?異質か?という選択を求めているのではなく、ひとりひとりが生きていくうえで在るべき姿は如何なるもので、そのために何を祈り、何を実践するのか?という目的を問うているような気がします。

初稿 2012/11/29
校正 2021/04/13
写真 東京復活大聖堂, 1891.
撮影 2012/02/02(東京・神田駿河台)
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#15「凜とした緑 重なる雲と影」

2012-11-27 | Liner Notes
 徳川綱吉の治世に建てられた儒学の祖・孔子を祀る湯島聖堂。

 飛鳥時代の仏法伝来による蘇我氏と物部氏の対立や平安期以降の朝廷と武家との均衡によって、宗教が排斥された人々の祟りを鎮め、絶対的な存在による救済や加護を説くことで、隔たりのあるものどうしが隔たりを平らかにしようとした歴史。

 宗教による治世の限界と安定した世の中を末永く維持するために、人心を収束させるための方法論として儒教が重要視されたのかもしれません。

 「仁」とは人を思いやること。「義」とは利欲に囚われず、成すべきことを果たすこと。「礼」とは人の上下関係で守るべきこと。「智」とは学問に励むこと。「信」とは約束を守り、誠実であること。

 人としての徳を定義し、努めることで、すべての人間関係を維持するための思想が儒教のような気がします。

 必ずしも、芸術的価値が卓越した建築物ではないかも知れませんが、260年にも及ぶ安定した治世を支え、凜とした多くの人々を排出した修身の場として捉えてみると、何かしら感慨深いものがあります。

初稿 2012/11/27
校正 2021/04/14
写真 湯島聖堂, 1690.
撮影 2012/02/02(東京・神田駿河台)
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#14「海辺に映す朱の回廊」

2012-11-26 | Liner Notes
 平清盛が創建した社、安芸の宮島・厳島神社。厳島の語源という説もある宗像三女神の一柱、市寸島比売命(イチキシマヒメ)を祀っており、朝鮮半島への海上交通を守護する玄界灘の神として古くから崇拝された神であり、またの名を七福神の弁財天とも言うそうです。

 飛鳥期に仏法を擁した蘇我氏が物部氏を排斥し、中央集権国家の原初的な姿を形づくり、天武帝の世に、天照大神を頂点とする律令制度が確立されていくにしたがって、仏も神も同一視されるに至ると聞きます。

 そして時は移り旧勢力との対立から均衡へ。平清盛は強靭な武力によって、宋へのシーレーンを確保するだけでなく、宋船による厳島参詣は宋銭を夥しく溢れさせ、その財力と市寸島比売命や弁財天の加護により朝廷と寺社勢力を圧倒し、「平家にあらずんばひとにあらず」と言わしめたそうです。

 仏と神だけにあらず、平家一門をも同一視しその均衡が崩れた時、壇ノ浦に連なる海に臨むその朱色の回廊の先には、どのような武士の世を描いていたのでしょうか。

初稿 2012/11/26
校正 2021/04/15
写真 厳島神社, 1243.
撮影 2008/07/21(広島・宮島)
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#13「水面に映る緑の回廊」

2012-11-21 | Liner Notes
 時は平安末期、釈迦入滅より二千年を経て仏法が廃れると信じられた末法の世の元年に、極楽浄土を再現したかの如き阿弥陀堂。

 本尊の阿弥陀如来は現世をあまねく照らす光の仏にして、空間と時間の制約を受けない仏だそうです。

 五十年の長きにわたり関白として権勢を奮った藤原頼道が建立した阿弥陀堂に繋がる鳳凰の両翼の如きその回廊は、法隆寺の屹立した柱が支える回廊とは異なり、歩く人の重みさえ支えることが出来ない構造。

 芸術的価値は疑う余地はないものの、現世での救済ではなく、来世での救済を頑なに祈った藤原氏の凋落を暗示させるような気もします。

初稿 2012/11/21
校正 2021/04/16
写真 平等院鳳凰堂, 1052.
撮影 2007/10/08(京都・宇治)
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#12「とこしえに続く回廊 」

2012-11-20 | Liner Notes
 聖徳宗の総本山 法隆寺は、聖徳太子が父である用命帝の冥福と仏法による安寧な世を祈願するために建立した寺院だそうです。

 仏教伝来、遣隋使派遣、十七条憲法、冠位十二階等による律令制度の確立といったように、倭の国から日出る国 日本として歩み始めた時代の幕開けである一方、中央政権を欲しいままにする蘇我氏の台頭と上宮王家の排斥の幕開けでもありました。

 ところで、法隆寺の回廊を支える柱はエンタシスと呼ばれ、円柱の中部から上部にかけて細くすることで屹立とした安定感を与えてくれます。

 その安定感は仏法による安寧への揺るぎなき祈りと捉えるか、はたまた聖徳太子一族への鎮魂として捉えるか、様々な解釈があるかもしれませんが、いずれにしても、とこしえに続く歴史の回廊の入口かも知れません。

初稿 2012/11/20
校正 2021/04/17
写真 法隆寺, 607.
撮影 2008/05/31(奈良・斑鳩)
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