Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§154「Xへの手紙」 小林秀雄, 1932.

2022-06-26 | Book Reviews
 人はある出来事や物事のかたちやありようについて、自らがそれらをどう捉えどういう意味を与えるかは言葉を通じて認識しているような気がします。

 とはいえ、言葉は私とあなたとそれ以外の不特定多数の人々となんらかの事実や情報という価値を交換する方に目を奪われがちですが、ひょっとしたら言葉そのものが価値なのかもしれません。

「人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有することは出来ない」(p.79)

 本来、「手紙」は私からあなたへ(ある特定の誰かへ)言葉を伝える手段の一つであるものをあえて、私とあなたとそれ以外の人々(不特定多数の「X」)に向けて綴った意図は、言葉それ自体が価値であることを伝えようとしたのかもしれません。

「俺が生きる為に必要なものはもう俺自身ではない、欲しいものはただ俺が俺自身を見失わない様に俺に話しかけてくれる人間と、俺の為に多少は聞いてくれる人間だ」(p.79)

初稿 2022/06/26
出典 小林秀雄, 1962.『Xへの手紙・私小説論』
新潮文庫, pp.57-83.
写真 招鶴洞
撮影 2022/06/15(神奈川・鎌倉文学館)
余話 小林秀雄の直筆原稿も展示されています
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§153「事象そのものへ!」 池田晶子, 1992.

2022-06-18 | Book Reviews
 事象とは、ある出来事や物事のかたちやありようであり、自らがそれらをどう捉えどういう意味を与えるかという認識によってもたらされる結果なのかもしれません。

 マスコミやSNS等が伝える事象は、ある報道機関や不特定多数の人々それぞれの認識だったはずのものが世論や一般常識といった結果として存在してしまうことがあるような気がします。

 若かりし著者が約5年をかけて記した約30年前の初期作品ですが、考えることもAIを含め他者に委ね、自らが考えるということそのものをも効率化しようとしている現代社会への警鐘を告げているような気がします。

「『考えていても、何も変わらない』のではない。『考えることなしには、決して変わらない』のだ」(p.16)

 自らの日常生活で見たり感じたり知り得た事象なるものが、どういった状態や条件や経緯で自らの意識のなかで存在しているのかを考えることが大切のような気がします。

「あらゆる前提を徹底的に疑いぬくこと。原因の原因へ遡行すること」(p.51)

初稿 2022/06/18
出典 池田晶子, 1992. 「事象そのものへ!」法蔵館
写真 とある水源へ遡る小川のほとりにて
撮影 2020/05/23(埼玉・東松山)
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§152「様々なる意匠」 小林秀雄, 1930.

2022-06-11 | Book Reviews
 意匠とは工夫を凝らした設計や構造、言わばデザインであり、眼に見える物理的な存在のみならず、眼には見えない思想や価値観といった物理的ではない存在もまたその意匠なるものの一つなのかもしれません。

 また、思想や価値観は言語によって構成され、あらゆる存在に意味を付加した記号の集合体としてのシンボル(象徴)機能のような気がします。

「象徴とは上等な記号である、という以上を語り得ない。しかもある記号を上等にするか下等にするかはこれを見る人の勝手に属する」(105頁)

 言語はシンボル(象徴)であるがゆえに、見る人によってその解釈は様々であり、言語を通じて他者が何をどう思いどう記したのかに思いを馳せることが、小林秀雄が語る「思い出す」ということなのかもしれません。

 そして、「思い出す」ということは、時間や場所に制限されることなく、他者という存在を言葉によって自らの意識に再構築し、言葉をして自らを語らしめることが、「考える」ことのような気がします。

初稿 2022/06/11
写真 薬師寺 西塔, 1981(再建)
撮影 2014/02/02(奈良・西ノ京)
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§151「読書について」 小林秀雄, 1939.

2022-06-05 | Book Reviews
 知りたいことや分からないことはネットで検索すれば、すぐに答えを得ることができるようになると、時間がかかる読書の価値は薄れてしまうような気がします。

 また、その答えなるものを、答えとして認識してしまえば、「それは、いったいどういうことなのか?それは、なぜそうなのか?」なんて、考えることの価値さえも薄れてしまうような気もします。

 でも、作者が本に記した眼前の言葉を読むことを通じて、「なぜそう書いたのか?なぜそう書くに至ったのか?そして、その作者はいったいどんな人なのか?」という問いかけを重ねることが読書の価値であると、小林秀雄は記しています。

「書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えて来るのには、相当な時間と努力とを必要とする」(p.13)

 ひょっとしたら、その問いかけを積み重ねることが考えることにほかならず、その言葉の力によって世界のみならず自らの在りようをも学ぶことができるのかもしれません。

「間に合わせの知識の助けを借りずに、他人を直に知ることこそ、実は、ほんとうに自分を知る事に他ならぬからである」(p.15)

 そして約65年の時を経て、池田晶子もまた同じように記しているような気がします。

「私が言葉を語っているのではなく、言葉が私を語っているのだと気がつく瞬間というのは、人間にとって、少なからぬ驚きである」(§147「新・考えるヒント」p.49, 2004.)

(余話)この短編は2003年出版された短編集に収録され、小林秀雄の影響を受けた木田元がその解説を寄稿しています。

初稿 2022/06/05
写真 「モリソン文庫」 東洋文庫, 1917.
撮影 2022/06/04(東京・本駒込)
初出 「文藝春秋」, 1939.
発行 中央公論新社, 初刷 2013/09/25.
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