Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§5「男子の本懐」 城山三郎, 1980.

2013-02-28 | Book Reviews
 これまでもっとも読んだ小説家は大学一年の夏休みに初めて手に取った城山三郎です。とかく、ビジネスマン必読の書として取り上げられがちですが、歴史の教科書で学ぶ功績をもたらした偉人伝というよりは、人としての覚悟を問うた作品だと思います。

 夏目漱石の前期三部作は、人生とはかくあるべきか、いかに生きるべきかという仮説を迷いながら選び、そして証明しようと試みたことなのかもしれません。

 一方で、村上春樹の「1Q84」は、人生とは自らが書き換えることができる物語であり、その物語を通して体験した経験は自らの価値観そのものなのかもしれません。

 城山三郎の「男子の本懐」は、昭和初期の混乱した日本経済における金輸出解禁を遂行した二人、首相の浜口雄幸と蔵相の井上準之助の信念と覚悟がいかなるものだったかを描いています。

 金輸出解禁とは、通貨供給量が金の保有量に応じて変動することでインフレとデフレを自動的に均衡する仕組み。それはひとえに、経済安定のみならず軍拡競争に歯止めをかけ、二度と戦争を起こさせないという信念。そして、信念を行動に変える力が覚悟なのかもしれません。

 二人とも凶弾に倒れ、後世では経済政策としての評価は分かれているものの、信念と覚悟とは成すべきことを果たすこと尽きるような気がします。

初稿 2013/02/28
校正 2020/05/20
写真 後醍醐帝をお迎えする楠公像
撮影 2012/10/29(東京・皇居外苑)
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§4「1Q84」 村上春樹, 2008.

2013-02-14 | Book Reviews
 ふたつの月が見える世界「1Q84」。主人公のふたり「天悟」と「青豆」は、イギリス童話「ジャックと豆の木」の暗喩なのかも知れません。

 貧しいジャックが牛と交換した豆が天高く芽生え、天上に棲み人を食らうという巨人の城にたどり着く物語は、ひょっとしたら、その巨人は自らの意志に関わりなく起動する自らに潜む力がもたらすあらゆる欲望の暗喩なのかも知れません。

 ふたりが、おかれた状況をいかに理解しようとしても、いかに説明しようとしても、天悟が描写した小説の世界にいつのまにか組み込まれていく自分。それはあらゆる経験は自らが書き換えられることの暗喩なのかも知れません。

 夏目漱石の前期三部作、人生はかくあるべしとの仮説を選ぼうとした「三四郎」、いかに生きるべきかという仮説を選んだ「それから」、そしてその仮説の正しさを証明しきれなかった「門」。

 「1Q84」は賛否両論、様々な解釈があると思いますが、人生は選択することよりも、おかれた状況でいかに向き合うか、いかに行動すべきか、そしてそこで得られた経験そのものが人生をかたちづくるはずと示唆しているような気がします。

初稿 2013/02/14
校正 2020/04/04
写真「地獄の門」オーギュスト・ロダン, 1930-1933.
撮影 2012/08/24(東京・国立西洋美術館)
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§3「門」 夏目漱石, 1910.

2013-02-12 | Book Reviews
 「三四郎」、「それから」の続編として位置付けられる前期三部作のひとつ。

 作品の底辺を貫く重量感は、未来を語る訳でもなく、過去を偲ぶ訳でもなく 、ただひとえに寄り添うふたりの生活感を醸し出しているような気がします。

 若き日の、かくあるべしという仮説、いかに生きるかという選択。証明しようにも、棄却しようにも受け入れざるを得ない現実。

 禅寺の門をくぐった宗助は、何を祈ったのか?何を拭い棄てようとしたのか?それとも自らが選択した仮説を補完するに足る何かを求めたのかもしれません。

初稿 2013/02/12
校正 2020/04/04
写真 旧加賀屋敷御守殿門
撮影 2013/02/09(東京・本郷)
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§2「それから」 夏目漱石, 1909.

2013-02-11 | Book Reviews
 「三四郎」の続編として位置付けられる前期三部作のひとつ。

 何も働くことなく、高い学歴と裕福な生活を過ごす 「高等遊民」としての生き方を選択していた代助。仮説としての、かくあるべしという生き方といかに生きるかのいづれかの選択を迫った作品だと思います。

 愛すべき人と一緒に生きることを選択したとはいえ、選択とは新たな可能性に加え、責任とリスクを伴うもの。ひょっとしたら、彼が選択したものは、必ずしも、真実・真理・正義・愛・運命といった確固としたものではなく、あくまでも仮説に過ぎなかったのかもしれません。

 でも、その仮説は、彼が人生の長い時をかけて、「それから」証明するか、棄却する他ないような気がします。

初稿 2013/02/11
校正 2020/04/04
写真 東京大学 法文二号館
撮影 2013/02/09(東京・本郷) 
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§1「三四郎」 夏目漱石, 1908.

2013-02-10 | Book Reviews
 大学一年の国文学で読んだきり、約二十年ぶりに読み返してみました。

 舞台は約百年前の東京。親元を離れ手にする自由という可能性と誰もが経験する希望への渇望。そして、よりどころが見つからない焦りや不安を描く純文学の先駆け。

 人は様々な仮説を立て、かくあるべしという自分に憧れるもの。その仮説へのこたえのひとつが美禰子が三四郎につぶやいた言葉「Stray Sheep」。そして、彼女は彼のもとを去った。

 かくあるべしという仮説は様々。証明するもよし。棄却するもよし。自らが何を選択すべきかを問いかけはじめたのが、「三四郎」だったのかも知れません。

初稿 2013/02/10
校正 2020/04/04
写真 三四郎池
撮影 2013/02/09(東京・本郷)
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