Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

#62「雛 祭 り」

2021-02-27 | Liner Notes
 三月三日は雛祭り。今年はなぜかしら毎年お目にかかっているはずのお雛様が愛おしく感じます。

 雛祭りの起源は定かではなく、疫病や飢饉によって幼くして我が子を亡くすことが珍しくなかった時代から、我が子に降りかかる厄を除ける身代わりとして人形を飾り、我が子の成長を祈ったことが始まりだそうです。

 そんなお雛様を眺めながら、十歳の末娘に将来の夢を聞いてみると、

「まだ、決めてないよ」

でも、ほんの半年前は、「まだ、決まっていない」と言っていたのを思い出しました。

 ちょっとしたニュアンスの違いかもしれませんが、ひょっとして、将来は与えられるのではなく、自分で選択するんだという意志を持ち始めて、少しずつ成長しているような気がします。

初稿 2021/02/27
校正 2022/02/07
写真 内裏雛
撮影 2021/02/27(兵庫・西宮)
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α13「ターナー展」 神戸市立博物館, 2014.

2021-02-21 | Exhibition Reviews
 お正月にオンラインで観た「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展(→α11)」で紹介されていたターナー。約七年ほど前に観た絵画展の図録を紐解いてみました。

 大英帝国が産業革命によって巨大な海運国家として成長した時代、その日常や事件のワンシーンを光が織りなす色彩と大気に溶け込ませて劇的な物語として描く作風のように感じます。

 ひょっとして、光は網膜を通して純粋経験をもたらすものの、その分解能は時間とともに減衰するがゆえに、記憶は忘却の彼方に消え去ってしまうのかもしれません。

 産業革命と言えど当時の記録メディアは出版と絵画に過ぎなかったなか、ターナーが選んだテーマと作風そのものが当時の市民社会に潜む集合的無意識を示唆しているような気がします。

初稿 2021/02/21
校正 2022/02/06
写真 ターナー展 図録~「湖に沈む夕日」
Joseph Mallord William Turner, 1775~1851
期間 2014/01/11~2014/04/06
(兵庫・神戸市立博物館)
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§110「決戦の時」(織田信長) 遠藤周作, 1990.

2021-02-13 | Book Reviews
 「信長は少年時代から母の愛に飢えていた。しかし彼の本当の母は信長よりも弟の信行を溺愛した」

 母に褒めてもらいたいという承認欲求は叶えられず、正室・帰蝶は美濃・斎藤道三の娘ゆえに警戒せざるを得なかった信長が唯一心を許した側室・吉乃に「自らは魔王になるぞ」と吐露するに至ります。

 零落する朝廷の保護を大義名分として、足利将軍を奉じて上洛を果たしたものの、正親町天皇と足利義昭にも褒めてもらえぬ信長はもはや誰にも褒めてもらえないことを悟ったのかもしれません。

 下克上の世に棲む武将や民の深層心理に潜んだ集合的無意識がもたらした元型が麒麟であるかもしれません。ひょっとしたら信長は、その霊獣が泰平の世を治める者に訪れるという神話を自らになぞらえたような気がします。

初稿 2021/02/13
校正 2021/05/02
写真 聖徳記念絵画館前の麒麟
撮影 2011/09/24(東京・神宮外苑)
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§109「反逆(下)」(明智光秀) 遠藤周作, 1989.

2021-02-07 | Book Reviews
 「自分たち人間もすべてあの信長というお方に結びついてる。上さまが…すべてを支配されておられる」

 甲斐・武田家の滅亡によって、もはや天下無敵となった織田信長と共に立ち寄った霊峰・富士の裾野で感じた明智光秀の言葉。

 天下布武、武とは戈(ほこ)を止める意を表し、もともと五畿内を平らかにすることを意味したものの、いつの間にか自らを魔王と称し、天をも畏れぬ振る舞いを犯す信長。

 泰平の世を治める者に訪れるとされる霊獣・麒麟。もはや、光秀は信長の眼前にはその麒麟が顕れぬことを感じたがゆえに決起したのかもしれません。

「天は俺につかなかったが、俺は神を殺したのだ。おのれを神にしようとしたあの信長を殺したのはこの俺だ」

 ひょっとしたら、信長の正室・帰蝶が囁いたように、光秀は自らが創りあげた信長を誰も止めることができぬゆえ、もはや自らの手で始末せざるを得なかったのかもしれず、光秀にとっても信長はもう一人の自分だったのかもしれません。

初稿 2021/02/07
(NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回)
校正 2022/02/04
写真 西教寺
解説 明智一族の菩提寺・西教寺の山門は光秀の坂本城から移築されたと伝えられています。
撮影 2016/09/25(滋賀・近江坂本)
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