Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§144「ソクラテスの弁明」プラトン, 納富信留 訳, 2012.

2022-03-28 | Book Reviews
 長男が入学する大学の事前課題として届いた本。思わぬ巡りあわせも何かのきっかけになるかと思い、はじめて長男が私に薦めてくれた本の著者 池田晶子の現代版 ソクラテスとの対話を集めた三部作※1を読んでから紐解いてみました。

 約二千四百年前の古典的な作品とはいえど、時代を問わず支配しようとする者が説く正しさなるものが人々にとって真に正しいのかを知らない、と言える自由と勇気、そして真の正しさとは何であるかということを考える意味と覚悟を伝えてくれているような気がします。

「私は自分のために弁明することから、そうしているとお思いでしょうが、むしろ皆さんのために〜、弁明しているのです」(p.31)

 いま、世界において支配しようとする者が説く正しさなるものに対して、あらゆる言論や意思表示がなされていることは、ひょっとしたら遠い海の向こうの出来事としてではなく、わたしたちにとっても我が事として考えることが大切なのかもしれません。

 ところで、弁明という言葉には、批判や非難に対する言い訳や申し開きという意味もありますが、物事をはっきりさせることという意味にようやくたどり着いたような気がします。

「考えるということは、多くの人が当たり前と思って認めている前提についてこそ考えることなのだと、君はそろそろわかってきているね」※2

初稿 2022/03/28
写真 八聖殿にあるソクラテスの銅像
(藤川勇造, 1933. ロダンの弟子だったそうです)
撮影 2022/03/27(横浜・本牧)
注釈 ※1)
「帰ってきたソクラテス」(§141)
「悪妻に訊け 帰ってきたソクラテス(§142)
「さよならソクラテス」(§143)
注釈 ※2)
「14歳からの哲学」, p.80(§136)
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#71「もうひとつの雛祭り」

2022-03-19 | Liner Notes
 コロナ禍 第六波の新規感染者数は下がりきらぬまま、来週にも蔓延防止措置が全面解除になりますが、リモートワークが定着したおかげで家族と過ごす時間が増えると、これまで気づかなかった日常なるものが垣間見えるような気がします。

 少し前の話ですが、雛祭りにまつわるエピソード。お内裏さまとお雛さまはせっかく逢えたのに、ずっと顔を見合わすことがないよねと私が呟いたときの妻の言葉。

「でも、お互いに挨拶をちゃんと交わして飾り付けるから大丈夫だよ。たぶん、わたしたちが観ていない時には仲睦まじくしていると思うよ」

 ごく当たり前の日常が失われたと云われますが、それは当たり前だと思い込んでいた慣習やルールといったものであったかもしれません。

 これまで気づかなかった、ちょっとしたエピソードの数々を紡いでいくと、ごく当たり前だとか普通とかではなく、自分にとって大切な日常なるものとしての物語が見つかるような気がします。

初稿 2022/03/19
写真 もうひとつの雛祭り
撮影 2022/03/19(兵庫・西宮)
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§143「さよならソクラテス」池田晶子, 1997.

2022-03-13 | Book Reviews
 「帰ってきたソクラテス」(§141)、「悪妻に訊け」(§142)に続く、現代版 ソクラテスとの対話を集めた三部作の完結編です。

 とかく、常識とか普通とか、世間一般でごく当たり前にわかっていると思っていることを疑おうとしないとき、なぜそれがそうなのかを考えるきっかけは対話を通してしか得られないことを示唆しているような気がします。

「うん、わかった。なぜ僕がこの人の言うことがよくわからないのかということが、よくわかった」(p.222)
 
 ところで、対話とは〈わたし〉という一人称である話し手と〈あなた〉という二人称である聞き手によって構成され、文章として書き表した途端、〈わたし〉と〈あなた〉は〈彼〉や〈彼女〉という三人称に置き換わるそうです。

 ひょっとして、わかっていると思っていることを本当にわかっているんだろうかと読み手としての〈わたし〉が考えるときに、知識が知恵に変わるような気がします。

初稿 2022/03/13
写真 ソクラテスを祀る哲学堂公園にて
撮影 2021/11/06(東京・中野)
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#70「常 盤 堅 磐」

2022-03-05 | Liner Notes
 長男の高校卒業式、学校長の式辞で印象に残った言葉。

「痛いのは生きているから
 転んだのは歩いたから
 迷っているのは前に進みたいから
 逃げ出したいのはたたかっているから」
 (相田みつを作)

 コロナ禍によって学校行事や部活動が中止や縮小に追い込まれ、ごく当たり前の日常が失われてしまった三年間でしたが、そういった経験も視点を少しだけ変えることで、勝組負組とか損得勘定を抜きにして頑張ったありのままの自分と向き合えるのかもしれません。

 ひょっとしたら、そういうありのままの自分を自らが受け入れることができれば、誰にとっても正しいことは何なのかと考えることができるようになるような気がします。

 人生は選択と挑戦の連続ですが、そういう視点をもって揺るぎなく臨んで欲しいと思います。

(余話)
「〜ときわかきわ(常盤堅磐)に 動きなし」という校歌の一節には、変わることなく揺るぎないという意味があるような気がします。

初稿 2022/03/05
写真 南禅寺 三門 ,1628.
撮影 2021/09/21(京都・東山)
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