Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

α3「マウリッツハイス美術館展」 , 2012.

2014-02-27 | Exhibition Reviews
 漆黒に浮かびあがる青いターバンを巻いた少女、北欧のモナリザとも称されるフェルメールの作品「真珠の首飾りの少女」

 多くの人が一度は見たことがあるオランダ・フランドル絵画の至宝、眩しい光によって生みだされた漆黒の影のおかげで観る人の視線が少女に注がれるものの、不思議なほどに表情のディテールが判るようには視点が合うような気がしないのが印象的です。

 ただ、漆黒の影によって少女がどこで何をしようとしているのか、その置かれた環境や状況が解き明かされないために、振り向いた瞬間の次に続く動作が笑みを投げかけようとしているのか、何かを語りかけようとしているのか観る人自らで想像を膨らませる他がないのが特徴的です。

 ただ、絵画を通じて光が網膜に投影した瞬間の感覚や知覚そのものは言語による認識や解釈が介在しないイメージとして潜在的な無意識の領域に蓄積されるような気がします。

初稿 2014/02/27
校正 2020/11/28
写真「マウリッツハイス美術館展」図録
期間 2012/06/30~2012/09/17(東京都美術館)
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§24「空気の研究」 山本七平, 1977.

2014-02-22 | Book Reviews
 「その場の空気からみて、そうせざるを得なかった」

 思わず口から出てしまう言葉。善と悪、正しさと間違いといった対立した概念について多くの人は善や正しさを選ぶはず。

 人が意識して編み出す言葉である以上、絶対的な概念は実在することはなく、相対的な規準に過ぎず、自らが選んでいるのではなく、選ばざるを得ないだけなのかもしれません。

 とかく、仕事で正解を考えようとしますが、実は正解を探しているだけであって、考えているわけではなかったりします。

 自らが判断するという目的のために事実に基づき、様々な情報を手繰り寄せある仮説をたてることが、考えることだと思います。

 対立する概念で対象を把握してしまうとき、自ずとその概念に支配されて思考停止に陥ってしまうような気がします。ひょっとしたら「空気」とは集団的無意識の呼び名を替えたものなのかもしれません。

初稿 2014/02/22
校正 2021/02/07
写真 獅子の像
撮影 2012/10/15(東京・日本橋)
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∫20「二重橋」 東京・皇居外苑, 1887.

2014-02-20 | Architecture
 皇居外苑から臨む二重橋と奥に控えた伏見櫓は、日本を印象づける数多ある光景のひとつだと思います。

 しかし、「二重橋」なる橋は存在せず、奥に控えた伏見櫓へ繋いでいた橋が、かつて二重の構造だったことによる通称だそうです。

 いまや、その二重の橋は「皇居正門鉄橋」という名の鉄橋に架け替えられ、西洋風の装飾を纏ったアーチ橋である「皇居正門石橋」にその姿を遮らせて臨むことがかないません。

 ひょっとしたら、かつての「二重橋」の呼び名が存在し続けるのは、激動の明治から近代までを生きた人々にとっての「忠」であったり、「義」といった観念を呼び覚ますイメージなのかもしれません。そしてそれが、現代を生きる人々へ無意識に伝えられている顕れのような気がします。

初稿 2014/02/20
校正 2021/02/06
写真「皇居正門石橋」 宮内省, 1887.
撮影 2012/09/30(東京・皇居外苑)
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∫19「余部鉄橋」 兵庫, 1912.

2014-02-16 | Architecture
 11基の橋脚、23連の橋桁が織り成す高さ約40m、長さ約300mの光景は、あたかも銀河鉄道を連想させてくれるスケールです。

 三方を山に囲まれ、一方は海岸から季節風や吹雪が吹き付ける厳しい環境に聳え立つ橋脚と橋桁が纏う朱色は、水分や塩分の侵入を防ぎ鋼材を腐食させない塗装だそうです。

 延べ約25万人、約3年の歳月をかけて築き上げたことは偉業ですが、わずか5人の「橋守」が約50年間にわたり護り続けたことも偉業だと思います。

 塗膜の異状を早期発見し、工具で取り除いた上で塗装をやり直す。劣化した部品は交換する。その繰返しの結果、約100年の間に建設当初からの部品が残されているのは橋桁と橋脚の主塔のみだそうです。

 変わらずに存在し続けることは、常に変わり続ける必要があるということなのかもしれません。

初稿 2014/02/16
校正 2021/02/07
写真「余部鉄橋」古川晴一, 1912.
撮影 2007/05/03(兵庫・但馬)
余話 2010年に架け替えられ、現在は橋脚の一部が遺されています。

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α2「ベルリン国立美術館展」 2012.

2014-02-12 | Exhibition Reviews
 「ベルリン国立美術館」、プロイセン帝国時代において15世紀のルネサンスから近世までの約400年にわたるコレクションを収蔵した15に及ぶ美術館の総称。

 展示された作品の数々は美術史の変遷を垣間見せてくれつつ、当時であっても、今であろうとも、自らが「聖母子」や「福音」を見たことがなくとも、光によって網膜に投影された像と「聖母子」や「福音」といった言葉とイメージを瞬時に照合し、宗教的な寓意やメッセージを認識し、解釈することで間接的に経験させてくれるような気がします。

 ただ、フェルメールが描いた少女が真珠の首飾りを纏うその瞬間は、いわば彼女だけの経験。

 観るものにとっては、光が網膜に投影した瞬間の感覚や知覚そのもののように、自らの認識や解釈そのものが介在しないような純粋な経験をもたらしてくれるような気がします。

初稿 2014/02/12
校正 2020/11 28
写真「ベルリン国立美術館展」図録
期間 2012/06/13~2012/09/17(東京・国立西洋美術館)
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