Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

#77「もうひとつの卒業式」

2023-03-25 | Liner Notes
 次女の小学校卒業式の前日、大学三年生の長女と大学一年生の長男がそれぞれ一人暮らしにもかかわらず戻ってきてくれて久しぶりの家族水入らずのひとときでした。

 翌日の卒業式、学校長の式辞で印象に残った言葉。

「大切なのは、あなたが『あなた』であること」

 ひょっとしたら、どこの学校出身でどこに勤めているとかいう何処ぞの何某ではなく、"わたしが〈わたし〉であるということは、どういうことなのか"という問いかけのような気がします。

 でも、"それがそうであること"を分かるには、それがそうでないことを分かることが大切であることかもしれません。

 だからこそ、独りよがりにならないように、〈わたし〉が〈あなた〉を知ることが〈わたし〉を知ることに他ならないような気もします。

 これから、それぞれがそれぞれの道を歩んでいきますが、ごくあたりまえなことを自らが問い続けることによって〈わたし〉を築いて、その向こう側の〈世界〉へと渡ってほしいと思います。

初稿 2023/03/25
写真「武庫大橋」1927.
撮影 2020/07/05
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α25B「ニケとニコラ」朝倉響子, 1986.

2023-03-17 | Exhibition Reviews
 お互いをしっかりと観ながら、穏やかな雰囲気を醸し出している「ニケとニコラ」。

「それ-なにそれ-あ、やっぱりね、あるいは、それ-どうして-ほらそうでしょ」※1

 そんな二人が何を話しているのだろうか、となぜかしら聴き耳を立てたくなるように、観ている〈わたし〉も気になってしまいます。

 ところで、眼前に広がる〈世界〉は、もしかしたら、〈わたし〉と〈あなた〉と〈それ以外〉の三人称に分かれるのかもしれません。

 眼前の「ニケとニコラ」はそんな三人称であるにせよ、〈わたし〉がそれはそうであると考えることで、〈彼女たち〉の物語を〈生成〉し、そしてそこに〈存在〉させているのかもしれません。

"〈あなた〉を知ることは〈わたし〉を知ること"

だからこそ、お互いをしっかりと観ることができるのかもしれません。

初稿 2023/03/17
写真「ニケとニコラ」朝倉響子, 1986.
撮影 2022/12/17(横浜・関内)
注釈 ※1)§163「残酷人生論」 池田晶子, 1998.
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α24B「ニコラ」朝倉響子, 1988.

2023-03-11 | Exhibition Reviews
 深く腰をかけて、ゆったりと脚を組み、そしておもむろに両手の指を絡ませた姿が印象的な「ニコラ」。

 その姿は誰かを待ちわびているのか、はたまた誰かを見守っているのか、その真意は掴みかねてしまいます。

 ところで、モデルとなった人物の表情や状況を正確に描写しているというよりは、見つめれば見つめるほどそれがそうであるとあたりまえに言えなくなる感覚を抱かせる点はフェルメールの絵画と似ているような気がします。

 ひよっとしたら、異なる視点から観れば自ずから分かれるその〈存在〉は、限りない言葉のなかから観る人自らが、それがそうであると分かる意味を〈生成〉して物語るのかもしれません。

初稿 2023/03/11
写真「ニコラ」朝倉響子, 1988.
撮影 2022/12/17(東京・中央区役所)
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α23B「Nike '83」朝倉響子, 1984.

2023-03-03 | Exhibition Reviews
 ヘルマン・ヘッセが著した小説「デミアン」のなかで、鏡を覗きこむ少年が瞬く間に様々な顔に変貌する一節を思い起こさせます。

 さっきまで、不安そうな面影を顕わして片ひざを抱いた少女※1がいつのまにか、肩肘を張らずにしっかりと前を見ようとする少年の姿へと変貌したかのようです。

 でも、両足の踵が地についていないところは、どことなく虚ろな瞳で遠い彼方を眺める少年の姿※2をも思い起こさせます。

 ところで、限りなき言葉の数々から、それらがそうであると「わたし」が考えるとき、自ずからその意味が分かれて、眼前に存在させているような気がします。

 必ずしも交わることが無いと思っていたはずの「彼」と「彼女」もまた、ひょっとしたら、「わたし」そのものであるのかもしれません。

初稿 2023/03/03
写真「Nike '83」朝倉響子, 1984.
撮影 2022/12/17(横浜・ジョイナス)
注釈 ※1)α21B「NIKE」, 1981.
   ※2)α22B「SUMMER」, 1984.
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