Liner Notes

素人感覚で自由にあれこれ思うことを綴ってみました!

§100「死海のほとり」遠藤周作【1973】

2020-02-03 | Book Review

 海抜マイナス約400 m、地上で最も低い場所に位置する中東の塩湖「死海」。そのほとりから流れ込む塩分は、その土地で生きた人々の血と汗の歴史をたどり、とても深くそして厚く沈殿しているのかもしれません。

 奇跡を起こすこともできず、まわりからの期待を裏切り、誰からも見捨てられていくイエス・キリストを描く「群像」。そして、まわりから期待すらされず、なにもできない修道士の足跡を探す「巡礼」。時を隔てて織りなす二つの物語の舞台は死海のほとり。

 イエスや修道士のあるべき姿は、永い歴史のなかで教会や信者が意識的に作り出したものかもしれません。ひょっとしたら、その真の姿は人々の血と汗の歴史をともにたどり、人々の無意識に深くそして厚く沈殿しているのかもしれません。

 そのあるべき姿とは全く正反対の姿を描くことで、苦しみや悲しみをともに分かち合おうとする等身大の人間に迫ろうとしているような気がします。

初稿 2020.2.3
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§99「悲しみの歌」遠藤周作【1977】

2020-01-19 | Book Review

時は太平洋戦争末期。空襲で毎日ひとが亡くなる閉塞感のなか、生体実験への参加を断ることを選べなかった医師のその後の物語。

時を経て高度成長期。ひっそりと開業医を営む彼のもとに訪れるのは、人知れず人工妊娠中絶せざるを得ない人達と余命幾ばくもない身寄りもない人。罪を分け合い、苦しみを取り除く彼のもとに訪れたのは、彼の罪を追及する記者。

当然ながら命を救うことは善であり、苦しみを取り除くこともまた善に他ならず、そのどちらも限界を超えると悪になるような気がします。

悪は限りがなく誰からも救われないものの、むしろ受けとめることでしか救うことができないことを示唆しているのかもしれません。

"♪正しさと正しさとが相容れないのは、
  いったいなぜなんだ?
  Nobody is right, 正しさは、
  Nobody is right, 道具じゃない♪"
( Lyrics by Miyuki Nakjima )

初稿 2020.01.19
於 浅草寺・東京
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§98「スキャンダル」遠藤周作【1986】

2019-12-29 | Book Review

罪と罰、善と悪とはなにか?それらを通して、「自己」を見い出そうとする、これまでとは一線を画した実験的な作品だと思います。(ユング心理学の普及に尽力した河合隼雄が解説文を寄稿しています)

罪は秩序を乱すこと。罰はその報い。罪には限りがあり、罰を受け罪を贖えば、いつかは救いにつながるのかもしれません。

善とは秩序を保つこと。悪は、偽り・策略・謀略・略奪・支配・偏見・差別といった無意識に潜む「影」から想起される思想や行為を含むので、悪には限りがなく、救いもないような気がします。

キリスト教作家として、追い求めてきたあるべき姿は、「自我」に他ならず、他ならぬ「自我」が切り捨ててきた「影」と対峙し、受け入れざるおえない時、救いを求めるのではなく、ありのままの自分「自己」を見いだせるのかもしれません。

「砂の城(→§97)」のなかで、成長してゆく娘が「自己」とはなにか?を考えはじめるきっかけとなったメッセージは、「美しいものと善いものに絶望しないでください」という言葉。

年老いてゆく人が「自己」とはなにか?を考えざるおえないきっかけとして、「美しくないものと善くないものに絶望しないでください」というメッセージを投げかけているような気がします。

初稿 2019.12.29
於 目白聖公会・東京
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§97「砂の城」遠藤周作【1976】

2019-12-25 | Book Review

「負けちゃだめだよ、美しいものは必ず消えないんだから」
 娘に託した母の手紙には、戦地に赴く初恋のひとからの言葉が綴られていました。

 娘の親友は駆け落ちした恋人のために罪を犯してしまいます。彼女にとっては、娘はかなわぬ存在。言わば「コンプレックス」。
 刑務所で彼女が娘に語る「自分の生き方に後悔していない。憐れまないでほしい」という言葉は、娘には真似できないこと。

 キャビンアテンダントになった娘が遭遇したハイジャックの主犯は娘の初恋のひと。
 彼がつぶやく「やがて、わかるよ、ぼくらが何故、ハイジャックしたか」という言葉は、娘が理解することができないこと。

 難病に苦しむ人々の救済に人生をかけるパリで出逢った初老の紳士は、偶然にも娘が探していた母の初恋のひと。
 彼がつぶやく「美しいものと善いものに絶望しないでください」という言葉は、娘が「自己」とはなにか?を考えはじめるきっかけ。

 誰もが信じようとする美しいものは、浜辺に築く「砂の城」のように波に消されてしまうと考えられがち。
 時間と場所の隔たりを超えて偶然に巡り会う設定は、ユング心理学における「シンクロニシティ」の世界観を示唆しつつ、ありのままの自分とはなにか?つまり「自己」を絶えず追い求める物語のような気がします。

初稿 2019.12.7
於 山陰海岸
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§96「黄色い人」遠藤周作【1955】

2019-11-26 | Book Review

時は太平洋戦争のさなか、武庫川のほとり兵庫・仁川が舞台。愛してはならぬ女性と禁じられた逢瀬を重ねる神父と洗礼を受けた医学生が演じるのは、共に同じ罪を犯しながらも、呵責にさいなまれる「白い人」と信仰そのものが理解できない「黄色い人」。

「海と毒薬(→§8)」や「沈黙(→§10)」を形づくる原石のひとつだと思います。

神の教えに背くことは罪であり、罰を受けなければならないと考える神父の姿は、まさに卓越した「自我」の顕れ。

肺病を患い、徴兵からは逃れたものの、空襲の惨禍からは逃れられなかった医学生の姿は、まさに忍び寄る「影」の顕れ。

日本人でありながら、キリスト教を信仰する矛盾を描いたかのようにみえるものの、ひょっとしたら、「自我」に忍び寄る「影」との対峙を描こうとしているかもしれません。

空襲の惨禍から逃れられなかった医学生が、自ら綴った手記と神父の日記を送ろうとした宛先は、もしかしたら、本当の自分「自己」だったような気がします。

初稿 2019.11.26
於 鳩山会館@東京・音羽
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