Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§118「無鹿」 遠藤周作, 1997.

2021-05-29 | Book Reviews
 晩年の1989~91年にかけて、文藝春秋やオール讀物に連載された短編小説集。

「それぞれん夢賭けて、そん夢が破れたのが無鹿」(p.44)

 「無鹿」は豊後のキリシタン大名・大友宗麟が自らの王国建設を夢見て、ラテン語の音楽(musica)にちなんで名付けたと云われる宮崎県北部の地名であり、その約300年後に薩摩の西郷隆盛が西南戦争で軍を解いた地。

 続く「取材日記」、「あの世」、「御飯を食べる会」という短編小説を通して、異なる時代に生きた人々や同じ時代を生きる人々の体験に思いを馳せることで、「合理主義というそれ自体だけでは正しいが、全体のなかの一部分に過ぎない考え方に捉えられて、次なる世界が送ってくれるサインを見落としてしまっている」(p.93)ことを示唆しています。

 一人一人の体験は当事者である本人にしか意識できないものですが、自らが意識的にその体験を再構築しようとするとき、その一人一人の無意識の領域に蓄積された記憶を無意識に読み込んでいるのかもしれません。

 その行為が共感や尊重といった感情を生み出したとき、ひょっとしたら自らの心のなかで永遠の随伴者と出逢えるような気がします。

初稿 2021/5/30
写真 日の出づる方に向かふ国
撮影 1998/08/13(宮崎・日向灘)

§117「最後の殉教者」 遠藤周作, 1959.

2021-05-22 | Book Reviews
 江戸幕府による切支丹迫害、浦上四番崩れを描いた「女の一生」(第一部 キクの場合)の外伝。「沈黙」に先立ち、沈黙する神の真意を問いかける原石のような短編です。

 身体は大きいが肝っ玉が小さく、皆から弱虫と罵られ棄教した喜助。彼が見棄てた信者達が囚われた長州・津和野にたどり着いた訳は、彼が心のなかで聞いた声でした。

「わたしを裏切ってもよかよ。だが、みなのあとを追って行くだけは行きんさい」(p.28)

 西欧の東洋侵略を阻むことができなかった「西欧教会の過失とイエスの教えとが何の関係もないことを、身をもって同胞に証明せねばならぬ」(§116「銃と十字架」p.158)というペトロ岐部のような強い信念と自我は、喜助にはなかったと思います。

 でも、彼なりに自らの身の丈を再認識して、殉教も辞さぬ信者達への共感と尊重が芽生えたからこそ、ありのままの自分としての自己に巡り逢うことができたのかもしれません。

 そんな彼の言葉を耳にした信者の一人が彼に囁いた言葉。

「苦しければころんで、ええんじゃぞ。お前がここに戻ってきただけでゼズスさまは悦んどられる」(p.28)

ひょっとしたら、彼もまた最後の殉教者だったような気がします。

初稿 2021/5/22
写真 光の十字架〜「海の教会」安藤忠雄, 1999.
撮影 2020/6/28(兵庫・淡路夢舞台)

§116「銃と十字架」(ペトロ岐部) 遠藤周作, 1979.

2021-05-14 | Book Reviews
 フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えてから約四半世紀を経た1580年、日本人神父の育成機関として設置された有馬セミナリヨ。

 日本人による日本人への布教を目的とした育成に期間を要したのは、イエズス会宣教師に日本人への共感と尊重の意識が芽生えたからに他なりません。

 天正遣欧少年使節(1582~1590年)として海を渡った有馬で学んだ者から日本人神父が誕生し、再び有馬でイエスの教えを伝えた日本人のなかに13才の少年がいました。

 その少年は、恵まれぬ人への共感と尊重を忘れぬイエスの生涯を辿り独りエルサレムヘ、そしてローマで神父になりました。

 しかしながら、盤石な支配を目指した江戸幕府は「西洋の東洋侵略と基督教布教との因果関係を阻むため、切支丹禁制に踏み切った」(p.122)ため帰国は死を意味しました。

「西欧教会の過失とイエスの教えとが何の関係もないことを、身をもって同胞に証明せねばならぬ」(p.158)

 ひょっとしたら、神父となったペトロ岐部はそう結論づけたのかもしれません。

初稿 2021/5/14
写真 光の十字架〜「海の教会」安藤忠雄, 1999.
撮影 2020/6/28(兵庫・淡路夢舞台)

§115「王国への道」(山田長政・ペトロ岐部) 遠藤周作, 1981.

2021-05-14 | Book Reviews
 江戸時代初頭にかけて、海を渡らざるを得ない日本人達がいました。戦乱で主君を失った武士は傭兵となって海外に戦の場を求めて、また禁教令によって国外追放を余儀なくされた信者は救いの地を求めて。

 タイ王国の南部、マレー半島にあるリゴール国王となった山田長政。そして、陸路を約三年かけてエルサレムからローマに渡り神父となったペトロ岐部。

「ただこの二人はたがいに気がつかなかったが一点においてよく似ていた。それは狭い日本にあくせくと生きず、おのれの生き方のために海をこえて新しい世界に突入したことだった。(p.286)」

 ふるさとに戻ることが許されない武士達や信者達の王国を築こうとした山田長政はタイ王国の政変に斃れ、迫害や弾圧に怯える信者に寄り添う為に命賭けでふるさとに戻ったペトロ岐部もまた斃れた。

 ひょっとしたら、自らの心の奥深くに秘めている「影」と向きあうことによって、自らのみならず誰をも救おうとする「自己」が芽生えた時に、その「王国」が垣間見られるような気がします。

初稿 2020/04/06
校正 2021/05/14(投稿履歴修正),2022/02/19
写真 本願寺 伝道院
撮影 2018/06/21(京都・五条)

β10「Hello World」 伊藤智彦, 2019.

2021-05-08 | Movie Reviews
 コロナ禍における二度目のゴールデンウィークも終わり、収束の見通しも立たぬなか三度目の緊急事態宣言も延長されたので、さらにAmazon Primeの視聴機会が増えそうです。

 IOTによって取得した現実空間の詳細なデータをAIによって分析して仮想空間において双子として再現する技術がデジタルツイン。

 2037年の京都が舞台、現実空間における人の行動履歴、記憶、経験、価値観などのライフログを無限に記憶する装置がアルタラ(名の由来はAll Talesかもしれません)

 デジタルツインの一歩先、ひょっとしたら自らの瞳に映る世界は現実空間ではないかもしれませんが、自らの意識がその世界に関与することこそが物語であることを示唆しているような気がします。

 ところで、コロナ禍を現実的な問題として認識しているのは感染者と医療従事者に他ならず、まだ多くの人々にとって現実的な問題として認識されていないのかもしれません。

 放っておくと大変な事は何か?それが問題の本質であり、それを自分の物語として多くの人々が意識することも大切だと思います。

初稿 2021/05/08
校正 2022/02/18
写真 京都タワ一と羅城門(1/10模型)
撮影 2017/03/21(京都駅烏丸口にて)
備考 伊藤智彦監督は細田守監督作品の助監督を務めたこともあるそうです