Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§82「仮面の告白」 三島由紀夫, 1950.

2018-02-27 | Book Reviews
 「自らは誰であるか?」という根源的な問いかけ。言わば三島文学のモチーフ。自らが生まれた瞬間の光景が在り有りと記憶して描写できるのは、自らが生まれる前に潜むもうひとりの自分の暗喩。

 ひょっとしたら、もうひとりの自分とは、分析心理学においてユングが提唱した集合的無意識に潜む『影』なのかもしれません。『影』とは、自らの深層心理に潜む言語化できないコンプレックス。自らが絶対に認めてはならないイメージ。(→§66「影の現象学」河合隼雄)(→§78「ヒュウガ・ウィルス 五分後の世界Ⅱ」村上龍)

 『影』に向き合って、在るべき自分の追究が自我を形成し、「自らは誰であるか?」という根源的な問いかけに何らかの答えを見出だした状態が自己同一性(アイデンティティ)なのかも知れません。

 一方で、『影』に眼を奪われてしまえば、もはや自らが誰である必要もなく、『影』を纏う仮面が自らを支配してしまうような気がします。

初稿 2018/02/27
校正 2020/10/19
写真「少年と少女」リン・チャドウィック, 1996.
撮影 2016/05/22(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

∫40「長等山(園城寺)」 滋賀, 686.

2018-02-18 | Architecture
 白河上皇曰く、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」

 山法師に喩えられた比叡山 延暦寺の勢力を牽制する役割を担ったのが天台寺門宗総本山である長等山 園城寺。かつては同じ天台宗で在りながらも、山門派と寺門派としてそれぞれに権勢を誇ったのは、浄土真宗における西本願寺と東本願寺のような力の均衡による平和を担っていたのかも知れません。

 ところで、またの名を三井寺と称するのは、天智帝、天武帝、持統帝の産湯を汲んだ井戸に因んだという言われもあるそうです。

 壬申の乱で敗れた天智帝の子、大友皇子の菩提を弔うことを赦したのは、同じ天智帝の子、大海女皇子(後の天武帝)、同じ産湯に浸かった兄弟の鎮魂と平和を希求したのかもしれません。

初稿 2018/02/18
校正 2020/10/20
写真 三井寺(天台寺門宗 総本山 園城寺)
撮影 2017/02/04(滋賀・大津)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする