Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§142「悪妻に訊け 帰ってきたソクラテス」 池田晶子, 1996.

2022-02-26 | Book Reviews
 もし、ソクラテスが現代社会に帰ってきたら、こういう風に考えるのではという大胆な仮定のもとに、ソクラテス夫婦の日常会話を描いたコラム集の続編です※

 ごく当たり前に、世の中はこうなっている、普通とはこんなものと、なんら疑いを持つことなく知っていると思っていることは、ひょっとしたら思い込みに過ぎないのかもしれません。

「どこまでも人間を社会的なランクの側からしか見ることができない、こういう人間こそ僕から見りゃ、最低のクラスにランクされる人間だね」(p.169)

 たしかに、なぜ、世の中がそうなっているのか?そんなものがなぜ普通なのか?ごく当たり前に認識されている言葉の意味すら何も知ってはいないのかもしれません。

 「無知の知」というソクラテスの言葉を知っているだけでは、なんら知っていることにはならず、その言葉の意味することを考えることが人生にとって大切なことのような気がします。

初稿 2022/02/26
写真「啓示」日高正法, 1994.
撮影 2016/05/22(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
注釈※)§141「帰ってきたソクラテス」池田晶子, 1994.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

§141「帰ってきたソクラテス」池田晶子, 1994.

2022-02-20 | Book Reviews
 歴史の教科書に必ず載っていて、誰もがその名は知っている古代ギリシャの哲学者 ソクラテス。

 もし、八哲の一人と称される彼が約2,400年の時を超えて、政治家、評論家、学者等と対話をしたら、こういう風に考えるのではという仮定のもとに描かれたコラム集です。

 ページをめくると、その道の専門家や世の中に一定の影響力を持つ人達との対話が始まります。

「私たちが良かれと考えたことは、歴史においてきっと実現される、それを信じていたのです」(p.146)

 有史以降、永い歴史のなかで編み出してきた、政治、経済といった社会システム、そして急激な近代化のうねりのなかで進展してきたテクノロジーとがもたらしたのは効率性という便益と自然をも支配できるという過信なのかもしれません。

 そういった便益という価値であれ過信というリスクであれ、

「何かが存在するということは、その言葉が存在するということなのだ。存在とは言葉に他ならないのだ」(p.278)

 全てを知り得るという観点は思い込みに過ぎず、全てを知り得るとは限らないという観点が考えることのスタートラインのような気がします。

初稿 2022/02/20
写真 八哲の名を記したホールギャラリー
撮影 2013/08/24(大阪・府立中之島図書館)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

§140「人間自身 考えることに終わりなく」 池田晶子, 2007.

2022-02-12 | Book Reviews
 2006年から「週間新潮」に連載されていたコラムを集めた「勝っても負けても 41歳からの哲学」(§139)の続編です。

 進学や職業といった進路選択を通じて「成りたい自分」になろうとしていた少年期の自分が、がむしゃらに頑張った青年期を経て、いつのまにか「もう成れない自分」に向きあわざるを得ないようなときがあると思います。

 でも、思いどおりにならぬ物事であっても、それは自分のみならず世の中の思い込みに過ぎないのかもしれません。

 また、そういった思い込みというものは他人と比べてどうかとか、他人からどう思われているかといったように自らの判断基準が自分の外にあるような気がします。

「思い込みこそが人間を不自由にする。あらゆる思い込みを見抜き、絶対自由でありなさい。そして、自ずからなるところの人間になりなさい。それこそが、こんな世の中でも、幸福である人生だ」(p.50)

 ひょっとしたら、判断基準を自分の外に求めないことが「考える」ということかもしれず、「ありのままの自分」に近づく第一歩のような気がします。

初稿 2022/02/12
写真「座る婦人像」エミリオ・グレコ, 1994.
撮影 2016/05/22(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
発行 2007/04/20 新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

§139「勝っても負けても 41歳からの哲学」 池田晶子, 2005.

2022-02-07 | Book Reviews
 2004年から「週間新潮」に連載されていたコラムを集めた「41歳からの哲学(§138)」の続編です。

 二十五年ほど社会人として過ごしてきた「自分」にとって、当たり前と思われている物事をあらためて考えさせてくれるきっかけを与えてくれる気がします。

「変わってゆく時代に追い付いて変わってゆかなければ置いてゆかれるという脅迫観念で、みんな必死だ。けれども、たまにはちょっとは落ち着いて考えてみるのもいいものだ」(p.9)

 どんなに速く動いても、どんなに見える景色が変わっても、どこから見ても美しい円弧を描いてみせてくれる虹に出会うことがあります。

 その虹の足もとにはたどり着くことはできないまでも、写り変わる景色に執着することなく、その虹の姿をちゃんと見つめ続けることができれば、どんなにか自由になれるのかもしれません。

「本当の自由とは、『自分からの』自由である。自分が誰かであることを、何かに求めることをやめることだ」(43頁)

初稿 2022/02/07
写真 新幹線の車窓から
撮影 2020/07/26(大阪・茨木辺り)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする