曇り時々雨のち晴れ。最低気温23.2度。最高気温27.0度。
何だかどこかで聞いた覚えがあるタイトルですが、気になさらないで下さい。
今朝ベランダに出たら、まるで灰色の絵の具を水に溶かしたような雲が広がっていた。雨が降ったり止んだり、晴れたり、曇ったり、ソウルの八月は何かと慌しい天気のなか始まった。
私が尊敬し、いつもお世話になっているO先生のホームページに外国語学習法に関するページがある。私は韓国語の勉強に行き詰るたびにページを覗いては、参考にしている。今日久しぶりに覗いてみた。外国語上達への10の経験という項目の10番目に自分は優れた語学の才能があることを信じます。と書いてあったのだが、これは実に言い得て妙である。
自信過剰ははたから見ていても見苦しい感が否めないが、かと言ってそれなりのレベルに達しているのに「自分には外国語の才能が無い!」などと嘆くのは愚かなだけである。
ネットで第二言語習得について検索していた時のことだ。残念ながらどこのページに書いてあったのか失念してしまったが、おおよそ次のような内容が書かれていた(正確に覚えていないので間違っていても責任は負いかねます)。
私たちは日本語と外国語を比較して、その違いを嘆きます。しかし、言葉を“音声”として考えた場合、相違点よりも共通点のほうが多いのです。例えば皆さんの顔は一人一人違います。しかし、私たちが顔を描くとき必ず描くものは輪郭、髪の毛、額、二つの眉毛とまつ毛そして目。目のすぐ下の真ん中には鼻が一つ。そしてその下に口が一つ。口の下には顎。顔の輪郭の左右には耳が一つずつ。髪、瞳、肌の色やシワやホクロ、ヒゲの有無、目や鼻や口や耳の位置など、細かい部分は一人一人違っていたとしても、基本的なパーツは共通なのです。言葉に対しても同様なことが言えるのです。
確かにそうだ。でなければ通訳や翻訳なんていう作業はとても無理だろう。
外国に暮らしていると特にそうだが、自分の国と比較して違うところばかりについつい目が向いてしまう。もちろんそれは当然なことなのだが、逆に同じことろも沢山あるということに気づかされる。
日本の本屋さんに並んでいる韓国暮らしのエッセイやガイドブックなどを見ると、韓国の人たちは“本音と建前”が無いと書いてあることが多い。しかし実際に韓国で暮らせば解かることだが、韓国にも“本音と建前”はれっきとして存在しているのである。逆に“本音と建前”が無い国があったとしたら教えて欲しい。とても暮らしにくい社会になってしまうと思う。
韓国に来て、韓国のみならず、世界の様々な国からやって来た人たちと知り合う機会に恵まれた。それらを通して解かったことは、使っている言葉は違ったとしても、結局同じ人間であるということに変わりはないという至極当然な事実だ。文化や習慣から来る違いは多少あるにせよ、我々日本人が嬉しいと思うことは、他の国の人たちも嬉しいと思い、嫌だなぁと思うことは他の国の人たちも嫌だなぁと思うものだ。
さぁ、いよいよ八月!皆さんくれぐれも体調管理には気をつけて下さいね。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。明日も素敵な一日でありますように!
何だかどこかで聞いた覚えがあるタイトルですが、気になさらないで下さい。
今朝ベランダに出たら、まるで灰色の絵の具を水に溶かしたような雲が広がっていた。雨が降ったり止んだり、晴れたり、曇ったり、ソウルの八月は何かと慌しい天気のなか始まった。
私が尊敬し、いつもお世話になっているO先生のホームページに外国語学習法に関するページがある。私は韓国語の勉強に行き詰るたびにページを覗いては、参考にしている。今日久しぶりに覗いてみた。外国語上達への10の経験という項目の10番目に自分は優れた語学の才能があることを信じます。と書いてあったのだが、これは実に言い得て妙である。
自信過剰ははたから見ていても見苦しい感が否めないが、かと言ってそれなりのレベルに達しているのに「自分には外国語の才能が無い!」などと嘆くのは愚かなだけである。
ネットで第二言語習得について検索していた時のことだ。残念ながらどこのページに書いてあったのか失念してしまったが、おおよそ次のような内容が書かれていた(正確に覚えていないので間違っていても責任は負いかねます)。
私たちは日本語と外国語を比較して、その違いを嘆きます。しかし、言葉を“音声”として考えた場合、相違点よりも共通点のほうが多いのです。例えば皆さんの顔は一人一人違います。しかし、私たちが顔を描くとき必ず描くものは輪郭、髪の毛、額、二つの眉毛とまつ毛そして目。目のすぐ下の真ん中には鼻が一つ。そしてその下に口が一つ。口の下には顎。顔の輪郭の左右には耳が一つずつ。髪、瞳、肌の色やシワやホクロ、ヒゲの有無、目や鼻や口や耳の位置など、細かい部分は一人一人違っていたとしても、基本的なパーツは共通なのです。言葉に対しても同様なことが言えるのです。
確かにそうだ。でなければ通訳や翻訳なんていう作業はとても無理だろう。
外国に暮らしていると特にそうだが、自分の国と比較して違うところばかりについつい目が向いてしまう。もちろんそれは当然なことなのだが、逆に同じことろも沢山あるということに気づかされる。
日本の本屋さんに並んでいる韓国暮らしのエッセイやガイドブックなどを見ると、韓国の人たちは“本音と建前”が無いと書いてあることが多い。しかし実際に韓国で暮らせば解かることだが、韓国にも“本音と建前”はれっきとして存在しているのである。逆に“本音と建前”が無い国があったとしたら教えて欲しい。とても暮らしにくい社会になってしまうと思う。
韓国に来て、韓国のみならず、世界の様々な国からやって来た人たちと知り合う機会に恵まれた。それらを通して解かったことは、使っている言葉は違ったとしても、結局同じ人間であるということに変わりはないという至極当然な事実だ。文化や習慣から来る違いは多少あるにせよ、我々日本人が嬉しいと思うことは、他の国の人たちも嬉しいと思い、嫌だなぁと思うことは他の国の人たちも嫌だなぁと思うものだ。
さぁ、いよいよ八月!皆さんくれぐれも体調管理には気をつけて下さいね。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。明日も素敵な一日でありますように!
自分を信じるってことは大事だと思います。
何事もpositive thinkingで行きましょう!
>にんにく主婦さん
中国語を勉強すると、韓国や韓国語がより深く理解できるっていう話しをよく聞きます。
ご自分の才能を信じて、中国語をマスターしてくださいね!加油!
参考にしたいと思います。
励まされました。
中国語の勉強、頑張ってやりたいと思います。
すごく大切なことだと思います。これって人生の哲学にも通じるかも。。。
>しかし、言葉を“音声”として考えた場合、相違点よりも共通点のほうが多いのです。
このことば、わたしは文化論かなんかで聞きました。最近そう思うことが多くなってきました。
カルビさんの物の見方って、共感するところ多いです~