特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

スリランカ料理を味わう

2009-01-30 23:42:38 | 美味しい
一時曇り.最低気温8度. 最高気温10度.

今夜(1/30)は中目黒にあるスリランカ料理屋さんで夕食
お相手は韓国留学時代に同じ下宿だったSさん.先週末(1/24~25)の両日に渡って精神保健福祉士の国家試験を受験したSさんの慰労会兼ちょっと気が早いが合格祝い

実はこのお店には以前,妹がひょんなことから知り合いになったウィッキーさんに連れてきてもらったそうだ.
その話を聞いて以来一度足を運んでみたいと思っていた.

ちなみにウィッキーさんスリランカ出身である.

6畳ほどの広さの店内に,二人掛けの小さなテーブルが8卓ほどの並んでいる.
スリランカの民芸品があちこちに飾られて,お客様をお出迎え.
月末の金曜日ということもあり店内はとても賑わっていた.

スリランカ風サモサ(Patis)にチキンカレーとナン,そしてケバブ(シシカバブ)という定番料理をオーダーしたが,ウィッキーさんお薦めのお店だけあって,一つ一つの料理が,実に美味しかった.満足満足

今年も挑戦センター試験

2009-01-29 23:13:35 | カンコクゴ試行錯誤
曇り時々晴れ.最低気温7度. 最高気温10度.

遅ればせながら,今年度(2009年)の大学入試センター試験で出題された「韓国語」の問題に挑戦した

【写真】今年(平成21年度)の大学入試センター試験韓国語の問題用紙

自己採点の結果は180点(200点満点中)昨年(156点)に比べ点数は格段にアップしたものの個人的には悔いの残る成績

採点の時になって,なぜこんな簡単な問題を間違えたのか自ら呆れるようなミスが目に付いた.センター試験だからといって決して侮(あなど)ってはいけないのだ.

昨年(2008年)に比べると全体的に難解な問題は影を潜め,長文読解なども比較的易しくなっていた.

それにしてもセンター試験で180点しか取れないとなると,韓国語能力試験の対策もおろそかにできない.慣用句の総整理と,使用頻度の低い動詞を復習して頭に叩き込まねば!

ちなみに大学入試センターによる平均点の中間集計(2009年1月23日現在)によると韓国語の平均点は166.83(83.41)点,最高得点は200(100)点,最低得点は40(20)点で外国語科目(英語・ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語)の中で最も高い平均点を記録しました!

【参考】外国語科目の平均点中間集計(2009年1月23日現在)
※( )内の点数は100点満点換算した場合の得点.

 ①韓国語166.83(83.41)点
 ②ドイツ語152.58(76.29)点
 ③フランス語138.97(69.48)点
 ④中国語136.62(68.31)点
 ⑤英語115.03(57.51)点

一発変換

2009-01-10 23:33:45 | チャンマル(雑談)
晴れ.最低気温2度. 最高気温10度.
今日の東京は猛烈な北風が終日吹き荒れ,足もとからシンシンと寒さが伝わって来ます.寒いです.

 この年末年始,地上波のテレビでスカパーのCM「ペ・ヨンジュン祭り」というのを盛んに流している.ヨン様が「スカパーでお逢いしましょう!」と笑顔で語るCMだ.

 今日(1/10)偶然“ペヨンジュン”と入力して変換ボタンを押したら一発で“裴勇俊(ペ・ヨンジュン)”と漢字変換されたのには正直言って驚いた.韓流パワー恐るべし!私が韓国にいた頃は“韓流”,“ヨン様”そして“冬ソナ”など自分で単語登録を一つ一つしていたのに,今ではMS IMEの変換候補に自動的に挙がるのだから時代も変わったものだ

 韓流も一段落して,ようやく市民権を得たような気がする

 韓国の人達に“裴勇俊”という漢字を見せても,漢字がほとんど通用しない最近の韓国の現状では,「誰,この人?」と言われるのがオチ.面倒でも必ずハングル文字で“배용준”と書きましょう(ハングル文字のほうが漢字書くより楽かも・・・)!

10年ぶりに

2009-01-08 21:49:08 | カンコクゴ試行錯誤
晴れ.最低気温3度. 最高気温9度.明日(1/9)の東京は平野部でも雪だとか・・・

 2009年4月19日(日)に行われる第15回韓国語能力試験に今日(1/8)願書を出した.

 受験料(個人受験で単願の場合は4,400円)はゆうちょ銀行への振込だけれど,願書提出はオンラインで可能になったので昔に比べればとっても簡単.

 前回受験して合格したのが1999年だから,実に10年ぶりの再受験である.
 目指すは6級(高級)のスコア獲得.とにかく韓国語を読んで,聴いて,書く機会を増やすしかない.勉強あるのみ

落ち込みから脱する秘訣

2009-01-07 22:16:47 | チャンマル(雑談)
晴れ.最低気温5度. 最高気温9度.

 ウィリアム・グラッサー著『グラッサー博士の選択理論―幸せな人間関係を築くために』(アチーブメント出版)を読む.

 著者のグラッサー博士によるとすべての感情は,快感であれ,苦痛であれ,間接的な選択の結果であるという.

(気分の)落ち込みのようなみじめな行動を選択することをやめたいときに,できる選択は三つあるそうだ.

①自分の求めているものを変える
②自分のしていることを変える
③両方を変える
(p125)


また,多くの人が落ち込みを選択する理由として次の三つの理由を挙げている.

①怒りの制御
②助けてほしい
③逃避
(pp.138-148)


 長い間うつ病に悩まされていた私にとっては考えさせられたり,得るところも多い一冊だった.一部を抜粋しておく.

 選択理論は,この落ち込みを選択している理由を説明してくれる.実際,本書で私が通常精神病と思われる全行動,例えば不安神経症とか,恐怖症についてふれるときに,全行動を表す表現を使うことにする.不安神経症は,不安行動もしくは不安の選択,恐怖症は恐怖行動もしくは恐怖の選択,と表現される.

最初はこのような名前は煩わしい印象を与えるかもしれないが,慣れてくると自然になる.伝統的な表現よりも正確である.なぜなら,受け身ではないからだ.こうしたものが選択の結果であると考えると,希望がある.一つの選択ができるなら,別のもっと良い選択をすることもできる.あなたの選択は痛みを伴うものであるかもしれないが,変えられないものではない.誰も苦痛を望みはしないので,クライエントとセラピスト(治療者)の両者を,クライエントの援助にすみやかにむかわせることになり,クライエントがより良い選択をするのを助ける.落ち込んでいる,あるいは神経症であることは受け身的である.私たちは犠牲者である.私たちはそれをコントロールできない.病名として名詞や形容詞を使うことは,自分が無力であると信じることを正当化する.

 動詞が選択という言葉と結びつくと,ただちに選択理論の基本的な考えにふれることになる.あなたは今,自分のしていることを選択しているのだ.しかし,より良いことを選択する能力も持っている.選択であれば,行動に対して責任がある.動詞であるからには,精神病の犠牲者ではない.あなたは自分の良い選択を楽しむか,悪い選択の犠牲者になるかのどちらかである.流感や食中毒にかかったというような意味での,病気なのではない.選択理論の世界は弱々しい世界でなく,責任ある世界だ.自分のしていることの責任を逃れるために文法を悪用することはできない.

 「うつ病」など,精神病を表す名詞と形容詞を使うことは,大勢の人が苦しむことなく,何かもっと別のことができるという考えを妨げる.ほとんどいつでも,より良い選択を自由にすることができるということを学べば,自分のみじめさは自分の選択であるという概念は,楽観主義に通じる.このことに気づくと,個人の自由の大きな再定義となる.状況は絶望的で,何もできないという考えは,とても不快なものである.選択理論や精神病について何も知らず,何百万人もの人が,カウンセラーの所にも行かずに,自分の人生で落ち込むことよりも良い選択をしている.あなたにもできるはずだ.
(pp.133-135)



 全行動についての知識を持てば,明らかに苦痛やみじめさを経験している人に向かって,「気分はどうですか」というような質問をしなくなる.この質問は,すぐに治るはずのないけがや病気のとき,最もよくなされる質問である.

私がロサンゼルスの整形病院で精神科医をしていたとき,治るまでにかなり時間のかかる患者に対して,この質問をしないように医師たちに話したことがある.質問をしている人は,「気分はいいです」というような答えを期待している.患者も医師もそれが求められている返答だと知っている.

 そこで,患者はたいてい,「気分はいいです」とうそをつく.このうそによって医師と患者の関係が損なわれる.この質問はまた,医師の治療だけが患者の気分を良くすることができるという印象を与えてしまう.良い質問は,次のようなものだ.
「きょうは何をするつもりですか」
 患者はどれほど病状が悪くても,ただ寝ているだけではなく,何かすることはできる.患者も自分のために,何か肯定的なことをすることができるということが分かると,自分をコントロールしている感じが得られる.これは困難な状況の中でも,気分を良くする助けとなる.

 四肢麻痺の患者に医師の私がこの質問をすると,まるで狂ってでもいるかのような見方をされることがある.そんなときに,私はいつも,何らかの活動(例えばテレビの番組を見て,病室の仲間とその話をするなど)を提案する準備をしていた.私と顔を合わせるたびに,その質問をされるのを待っていて,何かを話す用意をしている人もあった.しばしば彼らは,何かをしたときに,気分が良くなったと話してくれた.このことから,いつものやり方を変えることに効果があることが分かる.

選択理論の世界では,陳腐な「ご気分は」というような挨拶の代わりに,「きょうはどうするつもり」とか「何か大切なことが起こっていますか」などの能動的な質問をする.何もしないでいるのに気分はどうかというのは,罠にはめられたように感じられ,とりつくろった答えが返ってくる.
(pp.136-137)


 570ページ余りの本ですが,読みやすい内容なのでもし興味が湧いた方はご一読下さい