特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

卒業式日和

2005-02-28 23:13:13 | 韓国留学記
 晴れ。最低気温-2度。最高気温5度。春の香りがする一日。

 延世(ヨンセ)大学の卒業式。寒さもやわらぎ、まさに卒業式日和だ。

 早朝から最寄駅の新村(シンチョン)から大学に向かう片側二車線の道は両方向ともマヒ状態。大学正門前の大通りも、卒業式に向かう車でびくともしない。正門前では大学の警備員のアジョシ(おじさん)が交通整理をしているものの、見事なまでに何の役にも立っていない。アジョシ(おじさん)が吹いている笛が「ピーピーピーピー」とただ空(むな)しく聞こえるばかり。

 正門前には「花束」を売る店が陣取り、激しい客引き合戦が繰り広げられ、キャンパスの中では様々な屋台が“軒を連ねて”、卒業式にやって来た人たちの空腹を満たし、冷えた体を温めてくれる。小さな子どものたちには「風船」や「綿菓子」を売る店が大人気だ。

 先週の土曜日にも一番人気だった大学本館前は、まるで戦場。一触即発の様を呈している。
 黒いガウンに角帽(博士帽)をかぶった卒業生とその家族、そしてプロだかアマチュアだか定かではない、何とも怪しげな「にわか写真屋さん」が入り乱れて、少しでも写真写りの良い場所を求め右往左往している。この「にわか写真屋さん」相場は写真二枚で五万ウォン(五千円)だそうだ。どうかしている。

 午前中は卒業生のガウンで“黒一色”に埋め尽くされていたキャンパスも、午後に入りだいぶ“落ち着き”を取り戻して来たようだ。それでも大学周辺の道路の混雑は相変わらずで、正門前の警備のアジョシ(おじさん)は、ようやく自分が何の役にも立っていないということに気付いたのだろう、笛を吹くのも放棄したようだ。全くもって「やる気」が無い。ただ自分に与えられた“持ち場”を守っているだけだ。

 午後三時過ぎ、卒業式の“騒ぎ”が一段落したところでキャンパス内を通って、正門近くのスポーツクラブに向かう。

 途中、大学内の銀行で三万円ほどウォンに換えた。相変わらずのウォン高傾向に歯止めがかからない。100円が942.93ウォンだ。ウォン高ドル安が進行している現在の状況では、対円レートも当分の間期待できないだろう。三万円が二十八万二千八百七十九ウォンに化けた。

 写真は正門前で花束を売るハルモニ(おばあちゃん)。スポーツクラブからの帰り道に撮る。午後五時過ぎにもかかわらず、相変わらず頑張っている。(警備のアジョシ(おじさん)も少しは見習って欲しいものだ。)

母教会を思う

2005-02-27 16:53:48 | 祈り
 晴れ。最低気温-7度。最高気温3度。日中は暖かい。春はもうすぐ!

 最近目覚ましが鳴る前に、目が覚めることが多い。今朝は五時前に目覚めた。

 オンヌリ教会の“ハ・ヨンジョ牧師先生”の説教テープを聴きながら、軽くストレッチをして体をほぐす。うっすらと汗をかいたところで、熱いシャワーを浴びて汗を洗い流した。
 
 礼拝に行く準備を整えていると、アメリカの神学校に通っている韓国人のP兄から突然の電話。

 地元ロサンゼルスで知り合った韓国の方からの紹介で、「韓国の高校で三月から日本語を教えて見ないか?」という願ってもいない話し。本当は引き受けたかったが、私の大学の付属機関でも日本語を教えることになっており、今後のスケジュールがはっきりしないので、残念ながら今回は断った。P兄はきっと、私の韓国での生活の窮状を案じて、わざわざアメリカから電話をくれたのだと思う。感謝!

 本当に神様は私たちには到底思いもよらないところで、その御業(みわざ)を私たちに示して下さる。主の深い愛に改めて感謝した。

 実は電話をくれたP兄も私と同じ「キリスト品川教会」の教会員である。ロサンゼルスのタルボット神学校で学ぶために去る一月二十二日に渡米したばかりだ。アメリカで主に祝福された豊かな学びの日々が送れるように祈るばかりだ。

 P兄の声を久しぶりに聞いたので、母教会のことが懐かしく思い出された。きっと今日もいつもと変わりなく、主日礼拝を捧げていることだろう。

 東海道新幹線の「品川駅」開業に伴い、駅周辺の再開発事業が活発化し、オフィスビルや外資系ホテルなどの進出ラッシュで最近何かと話題の品川
 NHKの朝のニュースや夜のニュースなどで、品川駅のホームを眼下に望むカメラ映像が映ることがある。実はそのカメラが設置されているのが、私の母教会である“キリスト品川教会”だ。写真の左側、十字架が掲げられている高い塔の最上部にNHKのカメラが設置されている。

 教会は品川駅の高輪口を出て、大通りに沿って左へ真っ直ぐ十分ほど歩いた、丘の上“八つ山橋”の「御殿山ヒルズ」の中にある。すぐ下には新幹線をはじめ、東海道線や山手線、京浜東北線などが走っている。江戸末期、東京湾内に“お台場”を築く際に、この「御殿山」から土を削り運んだために、切り立った斜面がJRの線路沿いに続いている。ソニーの本社もすぐ近くだ。

 ここ韓国で「NHKワールドプレミアム」を通じ、品川駅の中継画面を見るたびに自分の教会のこと、牧師先生や教会員の皆さん一人一人の顔を懐かしく思い出している。

 大分以前のことになるが、2003年9月26日(金)の讀賣新聞の夕刊で『神社、寺院、教会+ポピュラー音楽 好評異空間ライブ』というタイトルで私の教会も取り上げられた。記事の一部をここに紹介したいと思う。

********************2003年9月26日(金)讀賣新聞夕刊9面より********************
 これまで伝統芸能やクラッシックの公園が一般的だった神社や寺院、教会などでこのところ、ポピュラー音楽の公演が目立つ。“異空間ライブ”が受けている状況を紹介しよう。(大野宏記者)

(中略)

 また、教会でも、最近ではクラッシック以外の音楽公演が盛んに行われている。その中心となっているのが、東京のキリスト品川教会。一九八九年に改築した際、コンサートの開催を想定して設計したため、礼拝堂の音響はもちろん、控室などの設備も充実している。
 雰囲気が抜群で使い勝手もいいとあって、音楽界で注目を集めるのに時間はかからなかった。昨年(2002年)は二十件を越える公演があり、その中には新鋭シンガー・ソングライター、畠山美由紀(はたけやまみゆき)らの名も。二年前(2001年)に今井美樹(いまいみき)が行ったライブはDVD化もされた。

(中略)

 宗教施設特有の「敷居の高さ」の打破を期待するのは、教会も同様。キリスト品川教会の吉村和雄(よしむらかずお)牧師も「いろいろな考え方があるが、うちは地域に密着して開かれた教会を目指したい。そのために音楽公演は役立っている」と言う。同教会では(二〇〇三年)十一月十三、十四日に、再び今井が公演するのに続き、同二十八日には畠山も再登場する。
 神社、寺院の野外公演では雨や騒音の心配がつきまとい、教会では数千人規模の公演は困難という問題点はあるが、アーティスト、観客、そして施設側、三者の思いが合致しての盛り上がりはしばらく続きそうだ。
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 どんなに遠く離れていても、“同じキリスト者として祈れる”ということは何ものにも代えがたい喜びであり、恵みでもある。

 今日もオンヌリ教会で韓国語そして、日本語の礼拝に与った。イースターまでちょうど一ヶ月だ。

太極旗(テグッキ)に思う

2005-02-26 20:49:09 | 韓国留学記
 晴れ。最低気温-8度。最高気温零度。

 近所の延世(ヨンセ)大学は来週の月曜日(2/28)が卒業式だ。いつもなら人気(ひとけ)のない冬休み中のキャンパスだが、今日ばかりは天気が良いのも手伝って、一足早く卒業記念写真を撮りに来た卒業生とその家族や友人達で賑わっていた。

 一番人気の撮影スポットは、何と言っても創立120年の歴史を感じさせる大学本館前だ。この建物は韓国映画の中で何度も登場しているので、ご存知の方も多いだろう。

 私も毎日のように通る場所だが、大学本館の屋上で風にたなびいている太極旗(テグッキ=韓国旗)を見るたびに、ここが韓国であることを実感させられる。

 入学式や卒業式などの公の行事では式次の一番初めに「敬礼」というのがある。出席者全員が起立して“国旗に向かって敬礼する”のがそれだ。その際には右手を左胸に当てて、国旗に注目する。また、制服を着用している場合には国旗に向かって、挙手敬礼をするという決まりがある。そうすることによって「誇るべき太極旗の前に祖国と民族の限りない栄光のために、心と体を捧げ、忠誠を固く誓う」のである。これらはすべて“明文化”されている。

 また、小学校では「国旗の作り方」の授業もある。韓国の“太極旗”は日本の“日の丸”のように一目見ればだれでも描けるというものではない。また規格や使われる色も厳密に規定されている。そして国旗に描かれている紋様一つ一つに意味が込められているので、その意味も併せて教わるのである。

 因みに1999年に定められた日本の国旗の規格では『縦横の比率は国連の規格に倣って2:3』『日の丸の直径は縦の長さの5分の3』そして『日の丸の●の部分は旗の中心の位置』となっている。日本の国旗は上下左右とも気にする必要はないが、韓国を含めた大抵の国の国旗は上下左右を間違えて掲げると大変な非礼になってしまうので充分な注意が必要だ。

 『国旗や国歌』がつねに問題視される日本。

 韓国では三月一日は“三一節(サミルチョル)”といって祝日だ。これは1919年3月1日に日本の植民地支配からの独立運動(三.一独立運動)を称えたものである。その日の正午にソウル市内にある「パゴダ公園(現在のタプコル公園)」で「独立宣言文」が読み上げられ、武器を持たない“平和デモ”が全国へと広まったのである。デモに参加した人々は武器の代わりに“太極旗”を手に振りかざしていたという。

 “冬ソナツアー”もいいが、韓国の国旗には、そんな日本と韓国との“過去の歴史が刻まれている”ことを私たち日本人は忘れてはならないだろう。

 写真は今日(2/26)撮った延世(ヨンセ)大学本館屋上の“太極旗”(左)と“大学旗”(右)。

“ヨン様”は悪くない!

2005-02-25 23:50:32 | 韓国留学記
 晴れ。最低気温-6度。最高気温零度。青空広がる。

 韓国は日本以上に“家族のつながり”が強い。韓国のドラマを一度でもご覧になったことがある方なら、きっと解かっていただけるだろう。家族や親戚といった一族の“血のつながり”は言うに及ばず、会社や学校といった“組織のつながり”も相当なものがある。
 
 例えば、韓国の大企業で会長や社長などが社員に向けて、スピーチする際には「三星家族のみなさん・・・」とか「LG家族のみなさん・・・」といった言葉が必ず一度や二度は出てくる。
 テレビやラジオでもそうだ。私が毎朝聴いているラジオの英会話番組「イ・ジヨンのGood Morning Pops 」でもリスナーに対して「Good Morning Pops家族のみなさん」と呼びかけることが多い。
 家の近所にある延世(ヨンセ)大学でも、「延世家族(ヨンセカジョク)のみなさん」とか「延世人(ヨンセイン)」と書いてある横断幕や看板をキャンパス内のあちこちで見かける。「延世人」となると「宇宙人」みたいで、日本人の私は何となく笑ってしまう。
 アルバイトの募集にしても例外ではない。マクドナルドのバイト募集ポスターには「マクドナルド家族を募集します」とか、「マクドナルド家族になりませんか?」といったコピーが使われている。

 私は日本に行く用事があるたびに、時間があれば散髪に行くことにしている。もちろん韓国に比べれば値段は高いが、言葉で苦労する必要はないし、何より親切・丁寧だからだ。初めて訪れた土地であれば「地元の人しか知らない美味しいお店」や「ガイドブックに載っていない観光名所」などの情報も仕入れる。こんな“雑談”を韓国語でやると、肩がガチガチに凝ったりして散髪後の“スッキリ・サッパリ感”が無くなってしまうのだ。外国語で話すというのは、多かれ少なかれ集中力を要するので、緊張を強いられるらしい。

 去年の十二月に京都へ行く機会があり、ソウルから二泊三日で出かけた。ソウルへ戻る前日、時間があったのでホテル近くの理髪店で散髪してもらった時のことだ。店内にはラジオ番組が流れていて、二十代の女性リスナーからのメールが紹介されていた。

 「私はペ・ヨンジュンさんの大ファンです。でも、一つ納得が行かないことがあります。それは、ヨン様が日本のファンの人たちのことを“家族”と呼ぶことです。私はあんなオバサンたちと“家族”になった覚えはないし、同じ“家族”になりたくもありません!私の親戚にあんなオバサンたちが沢山いると考えただけで、ゾッとします」という内容だった。

 “ヨン様”が自分を応援してくれるファンのことを「家族(カジョク)」と呼ぶのは、韓国内では当然のことであり、それが“ファンに対する親密さの表現”になっているのである。“ヨン様”はそれをそのまま日本でも“使った”だけで他意はないのだ。“ヨン様”は決して悪くない。
 
 韓国の事情を知る者にとっては“当たり前”のことも、なるほど、日本のファンには“全く違った受け取られ方”をされるものだと思い、国民性の違いに可笑しくなってしまった。ちょうどその時、顔を剃ってもらっていた私は、白いシェービングクリームを塗りたくられた顔で、一生懸命笑いをこらえようとした。しかし、必死に努力した甲斐もむなしく「ブフッ!」と白く泡立ったシェービングクリームを、顔を剃ってくれていたオジサンの顔に勢い良く飛ばしてしまったのだ。でも、さすがはプロだ。そのオジサンは何事も無かったかのように、片手で自分の顔に付いたシェービングクリームを拭い取ると黙々と私の顔を剃り続けたのだ。カミソリを持つ手に、今までより若干力が入ったような気もしたが、きっと私の気のせいだろう。

 今朝、スポーツクラブで軽く汗を流してから、理髪店へ行った。幸いにもその理髪店の店内にはラジオ番組は流れていなかったので、シェービングクリームをオジサンの顔に飛ばさず済んだ。

韓国で『いま、会いにゆきます』を読む

2005-02-24 20:18:55 | 韓国留学記
 晴れ。最低気温-6度。最高気温3度。

 外国小説を読むのが苦手だ。

 日本語に翻訳された文章が、なんとなくぎこちなくて、話しの内容がストレートに頭に入らない。それに登場人物の名前がなかなか覚えられないのだ。カバーや最初のほうに書いてある“主な登場人物”のページを何度も何度も見返しているうちに、読む気がだんだん萎えてくる。その点、日本の小説は楽で良い。

 映画『いま、会いにゆきます』が三月二十五日に韓国でも公開されるそうだ。
 映画は既に昨年末日本で観たのだが、原作を読んでいなかった。一度読みたいと思っていたら、大型書店「教保文庫(キョボムンゴ)」の日本語書籍売り場に並んでいたので、ちょっと高かったが早速買って読んでみることにした。

 映画を観ているので、主人公の秋穂巧(あいおたくみ)は中村獅童(なかむらしどう)、その息子である秋穂佑司(あいおゆうじ)は武井証(たけいあかし)、そして巧の妻である澪(みお)は竹内結子(たけうちゆうこ)をそれぞれイメージして一気に読み進んだ。

 土井裕泰監督がキャスティングをしたのだろうが、原作を読んでみて、改めてキャスティングの妙に唸った。特に秋穂巧と秋穂佑司役はそれぞれ、中村獅童と武井証の二人以外にはどうしても考えられないのだ。原作の“味”を損なうことなく、うまく“味付け”をしたなとつくづく思った。

 この本は登場人物も、場所も非常に限られた中で話しが進行して行く。そういった面ではとても読みやすい。“主な登場人物”のページを何度も見返す必要は無いし、だいたいそんなページ自体存在しない。ストーリーも極めて解かりやすい。

 日常の“コトバ”を羅列し、決して難しい言葉や表現を使っていない。だからこそ日本で多くの読者の支持を得られたのだと思う。ストーリーはあらかた解かっているにもかかわらず、不思議なことに「早く先が読みたい!」と思わせる一冊だった。本の“帯”に書いてある「きっと大切な人に会いにゆきたくなります」というコピーにも納得。

 『世界の中心で愛をさけぶ』の原作も読んだが、個人的にはお金を払って買う本ではないと思った。映画のほうが原作よりもよほど面白かった。

 果たして韓国内ではどのように受入れられるであろうか?『セカチュー』に続いて『イマアイ』ブームが巻き起こるかどうか。今から楽しみである。