Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「ふくし」のプリンシプルとは!?

「ふくし」の根源(プリンシプル)とは何か。

定番的には、「福祉」=福+祉と切り分けて、福=幸せ、祉=「福祉」という言葉にしか使われないイレギュラーな漢字で、福と同義で幸せという意味、と説明すればいいんだろうなぁ・・・ で、ネ(しめすへん・ねへん)は「神霊の降下」という意味で、福も祉も、神や社や祈や礼といったものに近い概念だ、といえばいい。でも、そうすると福祉=幸福論や宗教論になってしまって、実際とずれてきちゃう。僕は、もちろん幸福論も宗教論も大好きだけど、どちらかというと幸福論よりも不幸論の方が好きだし、不幸論を唱えたほうが「ふくし」にイメージが近いんだよなぁ・・・

で、次の定番は、ふくし=Welfareとして、well+fare、つまり、うまく走る、うまくまわる、上手に乗り物に乗って行く、という解釈を示して、色々論じていくこと。ドイツ語でも、Wohlfahrtと表示され、英語と同じような意味になる。・・・ノーマライゼーションもこの語の語感に基づいている。「可能な限りノーマルな生活を送ることを実現すること」っていう定義があるけど、それも「とりあえず一日をうまくまわすこと」というwelfareの語感に限りなく近い。けれど、ちょっと意味が広すぎて、「ふくし」の根源をつかむ説明になりきれないような気がする。

この二つが、「ふくし」の原点というか、「ふくし」の原理の説明によく使われている。ふーむ、、、けれど、正直、あまりピンとこない、というのが僕の実感だ。なんかキレイゴトのように聴こえるし、どこか他人行儀な感じがする。もちろんその意味自体は妥当だし、そのとおりなんだけど、なんとなくリアリティーを感じない。

かといって、「弱者救済!」といったような大げさなスローガンもやっぱりピンとこない。「弱者」って言っている時点で、なんか俗っぽいし、真理を隠蔽している感じがする。強者が弱者について語るのもなんか変だし、かといって、いわゆる「弱者」が弱者を主張しても、その弱者のあいだでまた細かい差異が存在する。強い弱者が弱者を主張することで、他の弱い弱者がまた隠蔽される、ということは多々生じている。(例えば発言権のある五体不満足の人が五体不満足のたいへんさを語れば語るほど、他の五体不満足の人がその人に対して違和感や反発心や猜疑心を抱くようになる・・・みたいな)

では、「ふくし」の根源とは何か。いや、14年くらい「ふくし」にかかわってきて、僕がピンとくる「ふくし」の根源の説明ってどんなのだろう?!

とりあえず、「ふくし」は、人間の生活(Leben/Life)全体にかかわるものだということ(医者は患者の肉体にかかわるが、患者の生活全体にはかかわらない)。そして、人間の日々の暮らしに関与する営み、といえるだろう。でも、それだと何の深みもない説明になってしまう。だったら、「人間の危機的状況にかかわる営み」としたら、どうだろう。危機的とすると、なんとなくピンとはくるが、でもやはり救急医療の現場の人たちのことを思うと、ちょっとずれている気もするし、また精神保健や精神医学に比べると、危機の程度はやや低いようにも思える(もちろんそんなことはないんだけど・・・)

やっぱり、「ふくし」は、シンプルに、人間の不幸(あるいは貧しさ)にかかわる営み、とした方がピンとくる気がする。不幸というか、悲しみというか、悲劇というか、影の部分というか、裏の部分というか・・・ あるいは、普通に生きていない、普通に生きられない、俗人になれない、そういう人との絶え間ない交流、というか・・・(巷にあふれた孤児の救済にあたったペスタロッチを思い出したい)

「ふくし」の歴史は、人間の生活の苦しみの歴史のようにも思える。もちろんそこには常に「希望」も含まれているのだが、やっぱりかかわっていくのは、人間の不幸のような気がする。不幸と(希望という)可能性の提示、そう、<幸福と同語反復の不幸>が一番すっきりする。

人間、生きていればすべての人に不幸は訪れる。幸せな人は、ただ今がたまたま幸せなのであって、いずれ不幸がその人の下に訪れる。不幸が訪れない人はいない、そう考えたほうがすっきりくる。最大の不幸は死だと僕は思う(もちろん死を不幸と感じない人もいるだろうけど)。もちろん、死以外にもたくさんの不幸がある。別れ(離別や決別や失恋etc)、障害、老い、貧困、疾病などなど。こうした人間固有の不幸にかかわっていく営みが「ふくし」の根源だと思う。

フランクルは「それでも人生にイエスという」という言葉を残した。どれほど辛い不幸に直面しても、僕らはその不幸を受け止め、人生を肯定することはできる(はず)。もし人間すべてに不幸が与えられるとするならば、逆に、すべての人間に幸福も与えられるはずなのである。そのために必要な物資や人を提供しつづけることにこそ、「ふくし」の根源があるように思う。河上肇はそのことに気付いていた。ゆえに、「ふくし」は、仕事として不幸な人にかかわること以上のことが含まれている。最大の不幸は共に悲しんだり、共に苦しみを共にしてくれるパートナー(友人や家族や連れ)がいないことだと僕は思う。

「ふくし」は、根本的には、メアリーリッチモンドが言ったように、「施しではなく友愛を」ということなんだろう。僕は、「ふくし」にかかわる人間として、友愛にこだわり、友愛の精神をもっともっと探求し続けていきたいと思う。そういう意味では、「ふくし」とは、友愛を実現する終わりなき旅、って気がする。だから、「ふくし」はやはり理論学ではなく、実践学でなければならないし、個別の科学や学問体系ではなく、実践哲学でなければならないのだ。

コメント一覧

kei
stupidjさん

でも、こうやってお互いに問題意識をもって、共有できて、すごく「頑張ろう」って思えました。

たかがブログですが、されどブログです。ブログを通じて、本当に色んな人から力を頂いています。

また何かあれば、色々と書いていただけると嬉しいです!!!!
stupidj
ほんとそうなんです。。。。
痛し痒し
kei
stupidjさん

またまたのコメントありがとうございます。

たしかに介護保険導入後、「デモシカ福祉職」が増えたように思います。実際、福祉系の専門学校や短大や大学はかなり増えましたから。

かつて戦後、「デモシカ教師」(「先生にでもなろうかな」、「先生しかなれないなぁ」という気持ちで先生になった人がたくさんいました)が増えて、80年代のヤンキー文化ができました。教師の質の低下が学校の混乱を引き起こしたと言っても過言じゃないと思います。

もちろん真剣にプロ意識をもって仕事をされている先生もたくさんいましたが、それ以上に「食うため」に働いていた人が多かったと言われています。

福祉も同じように、職員の意識が下がれば、現場は混乱すると思います。ただ、子どもと違って、高齢者や障害をもった方たちは反抗することができません(できない人が多いです)。黙って耐えなければなりません。結局、意識の低い人に支援され、それに従わなければなりません。(弱い人はいつでも語ることができないのです)

しかし、プロ意識の低下は、現状の職員の給与体系にもかかわっていると思います。憲法25条もそうですが、僕らは法的に最低限度人間として生きる権利をもっています。それを保障する公共事業に対して、もっとお金を出してもらいたいですね。給与が上がれば必ずしも質があがるとは思えませんが、給与をあげることでモチベーションが上がることも事実だと思います。

たしかに「簡単に仕事につける」というのは、問題ですよね。けれど、「人が足りない」というのも事実ですよね。これが一番辛いところなのかもしれません。「人が選べない」、、、これは大学や短大でも同じことがいえるかもしれません。。。

苦悩はまだまだ続きそうですね。。。
stupidj
ん~なかなかこの本質的な意味というか何を一番大事にし、サービスを提供していかなければいけないのか。。。という部分の認識というか介護保険が始まって以来、変に職業化していって流行的に就いた子達も多く意識が非常に低いんです。
あまりにも簡単に仕事につけますし、業務独占ではないことも相まっているのか意識の部分でも技術的な部分でもプロ化できていないんです。
なので質が下がるばかり。。。
そういうところで日々悩んでおります。
kei
stupidjさん

コメントありがとうございます!!

現場の若者は「友愛」じゃなくて、「施し」に目がいっているんですかね?!

>理論学~実践学ここを繋ぐのが力量というか ”~” の部分の差をいかに埋めれるか体現できるかというところにこだわって行きたい

僕もこの点に力を入れて研究をしています。理論と実践って対立概念ですが、本来的には実はとても近いものなんだ!ということをかつて論文で書いたことがあります。

アドヴァイスの件ですが、僕はアドヴァイスできるほどの人間ではないので、、でも、現場の子達にstupidjさんはどんなことを伝えたいのですか? それについては理解できるかな、と思いました。

「友愛」の大切さはなかなか教えられるようなものじゃないかな、と思ったりもします。
stupidj
おひさしぶりです
"施しではなく..."
そうですねぇ 私も十年以上関わってきてそう思います。 これがなかなか現場の若者は気づいていないのです。。。

理論学~実践学ここを繋ぐのが力量というか ”~” の部分の差をいかに埋めれるか体現できるかというところにこだわって行きたいと日々考えております。

kei様も色々と若い子達に教える立場ですよね。
私もそういうトコロにいるのですが、福祉に関わる現場の子達は個人事業主なわけでなかなか伝える事が難しく日々悩んでおります。
何か良いアドバイスはありませんか?
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