http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000093-jij-soci
児童遺棄、児童殺害、そして児童虐待…
日々、記録するのが追いつかないくらいに起こっている惨劇。
最も愛されるべき赤ちゃん、児童が日々殺される現実。
そして、親から殺人者(未遂者)になってしまう大人たち。
誰を責めても、どうにもならない現実。
追いつめられる親や子どもはいったい誰がどう救えばよいのか。
行政の限界を感じずにはいられない。
発覚恐れ? 面談、健診拒む=3カ月児虐待死、容疑の両親―大阪府警
時事通信 9月7日(水)17時34分配信
琉花ちゃんには殴られたようなあざが数十カ所あり、同課は両容疑者が退院直後から日常的に虐待を繰り返し、発覚を恐れて面談などを拒んでいたとみて調べている。
同課や守口保健所などによると、琉花ちゃんは1月下旬、未熟児で生まれ、枚方市内の病院に入院。両容疑者は来院が少なく、病院との面談に応じなかったこともしばしばあり、保健所職員が自宅などで両容疑者と面会。その結果、長女(1)の養育状況に問題がなく、「虐待の危険性は低い」と判断された。
しかし、退院した3月25日以降、保健所職員が4回自宅を訪問したが、両容疑者は「来てほしくない」と面談に応じず、病院の定期健康診断にも連れて行かなかったという。
引用元
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000093-jij-soci
ここで、問題となるのは、「発覚を恐れる親」のリアルである。
虐待をする親にとってみれば、行政は、警察のようなもので、
自分を助けてくれる機関ではなく、自分を取り締まる機関として理解されている。
この事件においても、最も援助が必要だったのは、25歳と22歳の夫婦であったはずだ。
無職ということもあり、まさに「貧困」に直面していた家族だったのだろう。
もちろん、貧困になるのも、赤ちゃんを作るのも、親の責任であり、誰のせいでもない。
けれども、赤ちゃんを育てる力がないまま、そして何の助けもないまま、
愛する我が子を殺し、殺人者になってしまったのは、必ずしもすべて親の責任ということではないだろう。
きっとこの二人の親は、行政機関の存在に怯えていたのだろう。
本来、われわれ市民を守るべき行政機関が恐ろしい存在に見えたのだろう。
保健所が悪いとはいわない。でも、保健所と親との間に信頼関係はなかった。
相談できるような機関ではなかったのだ。
あるいは、自分の存在が知られなくない、という思いがあったのかもしれない。
行政による実名性に基づく支援の限界を感じずにはいられない。
なんでも、「匿名」にすればいいってもんじゃないけれど、
こういう現実を踏まえると、やはり支援の在り方を変える必要はあろうだろうな、と思う。
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