Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

[翻訳]ナチスドイツの教育について

現在翻訳中の本から一部抜粋! HJ(ヒトラーユーゲント)の教育についての内容です。やはり学校が崩壊すると、教育は変な方向に行っちゃうってことかな。まだまだ歴史から学ぶことはたくさんある・・・はず!

【国家社会主義】

国家社会主義の統治のために作られた指導原則に従って打ち出されたヒトラーの表明こそ、ナチス教育政治の最初で決定的な源泉と見なしてよいだろう。ランツベルク刑務所の中で書いた「我が闘争」の中で、ヒトラーは、教育に対してとりわけ以下のように述べている。すなわち、「国家の最初の課題は、最良の人種族の扶養とケアと発達であり、教育の最初の課題は、肉体的健康のケアと健全な身体の育成(Heranzüchten)である。そして、第二の課題になって初めて、知的能力の専門教育が出てくるのだ。しかし、ここでもまたもやその頂点は、人格の発達、とりわけ意志力と決断力の促進である。これらは、責任を負う喜びの教育が結びつく。そして、最後になってようやく学問的訓練が出てくるのである」、と。こうしたあらゆる知的なものに対する軽視から、とりわけ知的教育の場としての学校に対する根深い拒絶(Abneigung)が生まれた。地位の高いナチス政治家が教育問題に関心をもつと、その関心は決まって学校外教育に集中していた。学校の責任を負う帝国文部大臣でさえも、学校でではなく、≪収容所や縦隊(Lager und Kolonne)≫で、人は国家社会主義者になる、と考えていたほどだった。さらにナチス教育政策者たちは、-ちなみに紛れもなく当然多くの時代の証人の証言にもあるように-学校は、ヒトラーユーゲント(HJ)の編隊教育や他の政党連合の中で行われていたようには完全にナチス-イデオロギーの意義に即してうまく利用することはできない、と信じていた。多くの教師たちは、授業の中で、自分と支配的レジーム(政治体制)の温度差(隔たり)を微妙な仕方で[子どもたちに]伝えていた。また、このことから、学校に対するナチス国家の指導者たちの誤解も生じたのであった。学校は、可能な限り国家社会主義的思想をあらゆるところで完璧に一貫して学ぶ場所と見なす限りにおいて、興味深いのであった。

学校は初めから、自分たちが日々HJ側の介入や干渉を受けている、ということに気づいていた。教師たちは、HJの新規採用の際-例えばクラスの名簿の譲渡やPTAの夕べの集いでのあからさまな宣伝などを通じて-ただ単にHJを支援していただけではない。また、考えられるすべてのHJ活動のために、授業がなくなることも日常茶飯事だった。このようにして、HJのメンバーたちは授業時間の間に訓練に参加したり、政党の催しに加わったり、耕地業務や収穫業務を助けたり、冬季社会奉仕募金に協力したり、政党代理の使者業務を行ったりしていた。HJは基本的に週に二日、午後に自由時間が与えられ、その時間は何の課題も与えられなかった。1934年からは、HJの指導課題を受けた若者たちは土曜日が休日となった。それに加え、さしあたってHJのリーダーとしての任務にあたる高学年の生徒たちはたびたび自分たちの教師に対して批判的になり、教師のスパイとなったり、政治的に許し難いと教師たちを告発したりした。・・・

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