mixiニュースで流れてきた記事で取り上げられた動画。。。
授業が成立せず、先生をからかう声が止まらない中、先生が暴れ出す、というすごい映像。。。(なのかな?)
これが、本当に授業なのかどうかはわからないけど、「学校」であることは間違いなさそう。タイトルにも、Crazy Teacherとあるし、怒っているのは先生だと思われる。これが、本当に学校の出来事だとすると、とても恐ろしい。
この数十年間、学校は本当によく分からない場所になってしまった。「何かを学ぶ場所」として通用する学校がどれだけあるのか。高等教育機関でさえ、遊技場になっている今、本当に学校の存在意義が問われている。
上の先生みたいに、爆発する人もいれば、爆発できずに、身体を壊してしまう先生もたくさんいる。教師になりたいという人がいなくなるんじゃないか、って、教員養成系の職員としてすごく心配になる。(保育士も同じく)
まぁ、極論を言えば、一度「学校」が解体してしまったほうがいいのかもしれない。現代の人々は、すっかり「学校」の尊さ、大切さ、重要性を忘れてしまっている。学校がなくなることで、学校の大事さに気づくのかもしれない。(まぁ、子どもたちは行く場所を失い、大きな損失を受けることになるが、本人たちは喜ぶだろう。「わー、明日から学校がない!」って)
でも、すぐに気づくだろう。学校がなくなるということは、すぐに働かなければならない、ということを。きっと、子どもたちは、働くこと、お金を得ることに期待するだろうが、すぐに現実の厳しさに直面するだろう。仕事がないことに。そして、現代の社会が、高度な知的基盤社会であることに。
今の時代、自ら考えて動くことができなければ、仕事がないのである。言われたことをきちっとその通りにやる、という仕事が本当になくなってきた。あらゆる知恵を駆使して、お金を稼ぐアイデアが求められている。独創的な発想、しなやかな想像力、そういうものが、都市、地方問わず、求められている。
そういう能力は、どこで身につけるべきなのか。学校なのか。学校外なのか。もちろん読み書き・コミュニケーション能力(リテラシー)は、学校で学べる最大の武器ではあるが、それ以上の能力は、学校で身につけるべきなのか。それ以外の場所で身につけるべきなのか。それが、すごく大きな問題なのである。
教師も壊れつつあるが、子どもたちもますます学校の意味を見失っている。不登校児は減らない。学校不信がますます強まり、教師も疲れ、親も疑心暗鬼になり、マスコミは学校を叩き、子どもは学校を遊び場/予備校/居場所くらいにしか見ておらず、学び舎としての機能が消滅寸前なのでは? と、僕は強く懸念する。
昨日も、掃除をさぼっている生徒に注意をした先生3人がその生徒らに暴行を受けるという事件があった。(こちらを参照)
先生もキレ、子どももキレ、そして、キレる教師や子どもに世間がキレ、もう、キレまくりの状況にあるのが、今の学校のリアルな姿なのかもしれない。
だが、それは、教師と子どもだけの問題ではない。子どもが生活する家庭のなかも、ボロボロになっている。僕は、現代で一番崩壊寸前なのが、家庭だと思っている。家庭が荒れれば、子どもは荒れる。当然の話だ。教師だって、際限なく忙しくなっていて、教師自身の家庭がどうなってしまっているのか、想像するだけでも恐ろしくなる。家でも、学校でも、ストレスフルになっているというのは、かなり絶望的だと思う。
さらに、働き手である両親も、疲れきっている。昨今の経済不況のなか、みんながピリピリしている。殺気立っている。それを癒すものもない。
ゆったり、のんびり、悠々自適な近代的な生活なんていうのは、幻想で妄想することはできても、実際にそういうことをしている人がどれだけいることか。
・・・と、考えると、結構憂鬱になったりもする。。。