散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

納豆と。。。洪水

2021-02-12 00:42:24 | 散歩絵
子供の頃納豆が嫌いだった。母は毎日曜日の朝飯には納豆を食卓のせた。嫌いでもご飯を残す事は許さない両親だったから、涙目になりながらも無理矢理詰め込んで飲み込んだものだが、その納豆をいきなり美味しいと思う日が来た。
日本を離れて、日本の食べ物が懐かしくなった頃、当時一軒しかなかった日本食材店に出かけた。ある日何故突然納豆を買う気になったのか覚えていない。そして思いがけなく納豆は美味しかった。しかし日本食材は日本での定価3倍程だし、電車に乗って納豆買い出しと言うほどに執着する事も無かった。自分で作ることができるのを知ってからは手作り納豆で賄うようになった。
最初は買ってきた納豆を入れて嵩増しする方法で、その後は日本の納豆菌を入手して納豆を作っている。たまに自然に存在する枯葉菌を利用して納豆を作る実験もする。テラスに生えているローズマリーの枝や、月桂樹の葉、ギボウシの葉などでも割合うまく出来た。充分糸を引く美味しい納豆が出来る。空中にも枯葉菌はたくさん浮遊しているだろうし、何も無くても蒸した大豆はうまくすると納豆になってしまうのかもしれない。しかし、成功率が高いので大量に作るときは納豆菌を使っている。数年前からマイナーではあるもののドイツでも大豆が作られる様になった。気候にあった品種改良がなされたらしい。

嫌いな食べ物蘭から好きな食べ物欄に移行する食べ物は他にもあった。好物が増えると言うことは幸せな事。


数日前からライン川が増水している。最近の降雨と雪解けが原因だ。

今朝は昨日は天辺が辛うじて見えていた標識が水の下に沈んでいた。土手に上がるといつもとは違う景色に、眼を見開いた。まだ大きな被害が出た話は聞こえてこないが、被害を被っている人もあるかも知れず、単純に面白がるのは不謹慎だろうけれど、見慣れた景色の変化は興味深い。

日記1月18日から28日

2021-02-12 00:38:34 | 散歩絵
2021/01/18 22:46

畦道に出来た大きな水溜りに
細かく砕いた陶器を投入し、
水溜りを埋ようと努力をする人がいて、
ある時は茶色い壺らしき陶器の欠片が、
あるときは塩釉をかけた陶器の欠片が、
安っぽい模様の花柄タイルらしき欠片が、
泥水の向こうに見え隠れしている。
水溜りの底はじりじりと陶器破片を飲み込んでいるが
しかしなぜか窪みは小さくなる気配が無い。
飲み込まれた陶器の破片が
地面下に
モザイクの柱になっている

のを想像してみる。


1月19日

昨日のこと
搬出の為、画廊に出かけた。「今日は煙突掃除人が来るからね」とギャラリストが言っていた。建物には煙突があって、多分暖炉のある部屋もあるのだろうけれど、画廊の中には暖炉は無い。しかし古いガス暖房機の点検があるのだ。
時間通りに現れた煙突掃除人は昔ながらのスタイルでは無いものの黒い上下で真っ白なマスクが清々しい若者だった。
年末年始に煙突掃除人に出会うと、良い事があると言われる。幸運の象徴である。年末には煙突掃除人の飾り物が店に並んでいる。
昔なら握手してもらったりする所だけれど、今はそういうわけにはいかない。コロナ禍は色々な行為をタブー化してしまう。

ようやく展覧会を終えた。展示を外してがらんと何も無い真っ白な部屋が眩しい。


2021/01/20 15:32

3度目のロックダウン延長、取り敢えずは2月14日まで継続。
加えて規制が強化されている。
公共交通機関利用時及び日用品調達の買い物時には医療用マスク装着義務となった。つまり電車やバスに乗る際、食料品を買いに行く際の手形の様なものでもある。何しろ医療用マスクでもウィルスを防ぐ効果は僅かで、しっかりした布マスクでも大差無いと想像する。マスクの装着の仕方にもよるわけで、高いマスクを顎にかけている意味のない使用状況も時に見かける。私はコロナ対策を陰謀論とともに論じる考えはないし、少しでも役に立つなら協力したいとは思う。それでも、今回のマスクの件については、色々疑問がある。まあ、あまりにも多様なので指定する方が手っ取り早いのかもしれない。
しかし現在売られているFFP2マスクの中には疑わしい商品も混ざり合っているという噂もあった。インターネットでマスクばかり見ていたら息が詰まって来た。
このウィルスの素早い変異を見ていると、厄介極まりない。ワクチンが行き渡って後もマスクとフィジカル・ディスタンスや指先消毒は当分必要らしい。
わたしたち人間の体内には色々な細菌や真菌、ウィルスも棲息しているらしいから、いつかは弱毒化したコロナウィルスも体内に取り込んで平和的共生ができる日が来ないものか?
などと妄想しつつ「マスク手形」の注文票をクリックする。

1月23日 夜中に何度か目が覚めた。2時、3時半、4時半。。。6時半に起床。
朝窓の外は相変わらずまだ暗闇で、ひょっとしてまだ夢を見ているのか?
雨だれの音がするので外を見るとどうやら夜中に降っていたらしい雪が景色を変えていた。   
雨が雪化粧を崩している。

1月24日 味噌を作ろうと思う。麹と豆は用意があるので後は、始めるばかりなのだが、容器が決まらない。

1月25日 作業をしながらミヒャエルエンデのオーディオブックを聴く。
きっかっけがあって思い出し、昔買ったCDを掘り出して久し振りに聴いた。自分の持っている時間をどう使うかと言う事は、コロナ禍において大きなテーマだ。
此の地に来る事など考えてもみなかった頃、その後間も無く渡独したのだけれど、エンデの「はてしない物語」は気に入りの本だった。勿論今でも気に入っている。想像の花開く「種」の様で読み返すと前回とは別の形に枝葉を伸ばす素敵な物語だ。ドイツで始めて買った本の一冊目は「Die unendliche Geschichte =はてしない物語 」だった。今でも本棚に並んでいる。

1月26日 久しぶりに友人に会って、暫く雑談をした。もともとひっそり生活している方だけれど、流石にメールコンタクトだけでは気分の低迷を感じる。日用品の店しか開いていない今、急に運動靴を買いたいとか、絵の具を買いたいとか、カフェで朝ごはん食べたいとか、今かなわない希望がふつふつと湧いてくる。インターネットで買い物をすれば良いという話ではないのだ。今まで滅多に買い物にも出ないし、外食も少ないし、旅に出る事も少なかったくせに、出来ないとなるとその全てをしたくなる。 勝手なものだ。

1月27日 今日友人のBから電話があった。彼女は去年第一ロックダウン 時に醤油を作る決心をした。
中国人である彼女が作るので中国の醤油を作るのかと思えば、日本の醤油なのだと言う。材料はネット注文で入手し、度々現況報告が届いた。初めてのことだから、これなった、ああなったと大騒ぎしながらも、何事も丁寧な仕事を遂行する彼女の醤油は無事熟成していった。晩夏ロックダウンが緩くなっていたある日、久しぶりに尋ねると、醤油を絞ろうということになった。二つある器のうち一つを絞ることになった。インターネットで確認したり、試行錯誤の末、初めての醤油第一号が出来上がった。そして美味しい。
その後も醤油談義が止まらない。

1月28日 朝方雨の音で目が覚めた。
ここ数日雪というより雨がちな空模様、今日は一日雨の予報だ。
こんな日は部屋を明るくして本を読む事。美味しいものを食べる事。
朝目が覚めてから台所でお茶を飲みながら、白花豆を煮ている。半分は甘くしてお茶受けに、半分は豆と野菜とパスタのスープを作る。
鍋の番をしながら本を読むと言うのは、良い時間だと思う。
お供の本はボルヘスの「砂の本」


日記

2021-02-12 00:11:20 | 思考錯誤


12月15日

最近夢を見ない。
いや、覚えていられなくなったというべきなのかもしれない。
そんな最近人ごみの渦中に立ち止まる夢を見て、ふとマスクをしていないことに気が付き慌てる夢を見た。
マスクを探す夢が現状を投影するそのままの意味なのか? 
何かの象徴なのかはわからないが、同じ様な夢を何度か見た。
夢の中ではその上、私の携帯電話の画面がどうしても理解できないものに変化していて、使用不能に陥っていた。
昔、私は公衆電話にコインが入らないとか、壊れているとか、知らない人にしかつながらないとかで冷や汗をかく夢を見たものだったが、流石に私の頭も小道具に付いてアップデートが行われたらしい。こういう夢を見るとき私は草臥れている。
今朝は新開発マスクが現れた夢を見ていた。某魚肉(!)が織り込んである布を使ったのが斬新である。その魚肉が乾燥され砕かれると繊維状になり、それを織り込むとプロテクト効果が抜群の素材が出来上がるのだ。使用される魚の半身と刺身で食べられそうな切り身がマスクと一緒にテーブルの上に展示されている。魚臭さも無い。なかなか具合よさそうなので一つ入手しようと値段をたずねるあたりで目が覚めてしまった。残念。しかし、なんで魚肉なんだろう?
マスクと言えばドイツは昨日から60歳以上と基礎疾患のある人にFFP2マスクを3枚ずつ配布している。近所の薬局で入手することができる。来年からは健康保険からクーポンが送付されてそれを持って薬局に行くことになる。
Covid19から身を守るのにマスクと手先消毒、そして社会的距離しか無いのは歯痒い。


12月15日33.825人、感染者数が落ちない。


1月17日

大した寒さでは無いのに今年はやけに寒さが身に染みて来て、体の芯まで冷えている。
今年はもう既に二件の展覧会が延期になったので、ゆっくり制作をする事にしよう。。。と思った途端、無風の空で糸が切れた凧がストンと地面に落ちた。起きあがるのが難しい。だけど、暫くの間落ちた所に横たわって本を枕に冬が通り抜けてゆくのを待つのも良いかもしれない。
読みたい本は沢山あるのに、このところ何故か心が落ち着かなくて読む作業に集中出来なかった。視力の衰えが文字を追う事を億劫にしている。脳味噌が古びてきて言葉を受け付けなくなっているのかもしれない。そして感染症について日々押しつぶされそうなくらいに情報を詰め込んで消化不良を起こしている。ウィルスは知らず知らずのうちに心の中にも感染症を引き起こす。
今日はもうコンピューターの前を離れて、好きな本を読もう。
本棚の前に立つとフェルナンド・ぺソアの本が少しだけ飛び出ていた。読めと言っている。この本は時々雲隠れしてしまい、探しても探しても見つからない事がある。


心に響く文章や言葉を見つけた時は至福。



今朝の夢又は散歩中の出来事など。。。

2020-12-09 22:14:36 | 散歩絵


朝の散歩に出ると少し霧が出ていた。遠くに集まって生えている木々が島影の様に見える。
フードを被って顔もすっかり隠して眼だけ見えるいでたちでランニングする人が近づいてきて、おはよう!と手を振った。しかも黄色一色である。
時々散歩中に出会う女性だった。気が付かなかったわ、というと「そりゃそうでしょう!このいでたちだもの!」と元気に走り去った。あれはマスクの代わりだったのか寒かったからなのか。。。。?
自転車でゆっくりと走ってきた年配の男性が曲がり角でバランスを崩し目の前で倒れた。自転車の下で足が絡んでなかなか起きられないところを駆け寄って助け起こす。幸いけがもない様子で、男性は一息ついた後また自転車に乗って無事に走り去った。
なんだかデジャブ感。先日は年配の女性が目の前で転んだのを助け起こしたのだった。
そういう巡りあわせ、もあるのかもしれない。

毎日コロナ禍のニュースは相変わらずトップで、身近に罹患者が出たし、悲しい知らせもあった。感染者数の棒グラフをあまり熱心に見ることはやめた。やめたつもりではあるけれど、気づくと横目でニュースを追っている。軽ロックダウンは効果があまり出ていない。この冬は心理的に厳しい。

今朝妙な夢を見ていた。
数人で車に乗ってどこかに行こうとしている。街の中を突っ切る道の左右に海が迫っている、突き上げた波がかき氷の様になってざくざくという感じに凍っていた。凍っていたがよく見るとじりじり動いている。慌てて走りぬけて迷い込んだ道は銃眼のある城壁にぶつかって行きどまった。気が付くと乗っていた車は小脇に抱えられるほどの模型程に小さく縮んで、そこに立っていた若者がこの銃眼を通り抜ければいいい、という。試してみたが流石にそこまで小さく縮んでいないので通れない。私たちもそれほど小さくはない。
どうしたらいいのか?
と思案中目が覚めた。

どうしたらいい?







展示完了

2020-12-03 17:06:11 | 製作記録


12月3日
新しい展示を終えた。
「言の葉」インスタレーションンの向かい壁には、落ち葉のモチーフを展開した小さな作品を5点並べてみた。
いずれにせよ、公にオープンするつもりはなく、予約をいただいて1,2名ずつ観ていただくことにする。



これから何度か画廊に通うことにはなるが、今年はこれでおしまい。
すっきりした気分で画廊を閉めて外に出ると寒い。

今日は一日雨がちな日だった。
今日は一日嫌な寒さだった。
今日は朝からずっと頭痛に悩まされた。

今日は
今日は悲しい知らせがあった。
今日は

今日は友人からおすそ分けのお餅をいただいた。


温かくて柔らかい。








零下、どら焼き、バケツ一杯の菊芋に南瓜

2020-12-01 00:08:43 | 飲食後記


今日は午前中零下。久し振りに散歩中手が悴んだ。
散歩道に咲き残るツリガネニンジンの薄紫の小さな釣鐘が氷粒を纏っていたのが愛らしく、写真を撮ろうとしたがどうしてもピントが合わない。
寒さでカメラがごねているのか私の手が悴んでいるからかますます悪くなった私の視力のせいなのかわからないが、どうしてもうまく撮れず、半氷の草むらで体がどんどん冷えてゆくのがわかったので諦めた。

友人がトピナンブールをバケツ一杯持ってきてくれたので、夕飯にポタージュを作った。
トピナンブ-ル=菊芋はイヌリンが多く含まれていて腸内細菌のごちそうらしいから、折角なので大いに食べて腸内細菌活発化を図りたい。
先日トルコ食品店の主人お墨付きの南瓜を試しに買った。「日本の緑の南瓜は高いけれどこれは安くて旨い。日本の南瓜と同じように、いやあれより旨い」と熱弁を振るうので買った南瓜であったが、切ってみると香りも味も薄い。
多分ミートボールと一緒に煮込んだり焼いたりするには美味しいかもしれない。私は断言する、日本の南瓜料理を知らない彼らには私たちの抱く南瓜のそうあるべき味や質感への欲求が理解出来ていないのだ、日本の南瓜の方が断然おいしい!と力説しつつ、トルコ食品店の主人推薦の南瓜に砂糖を少し振りかけオーブンでじっくりしっかり焼いた。
オーブンから出て来た南瓜は香りが今一つ期待と違う。あまりおいしそうな香りがしない。しかしそのひと切れをほおばった瞬間、先ほどの断言は揺るいだ。
日本の南瓜とは違う触感が、ちょっといける。ねっとりとした舌触りが良い。かなり良い。これはこれで美味だ。南瓜だっていろいろなのだ。この南瓜を勧めてくれたトルコ食品店のご主人に乾杯。
しかし計画なしに作る夕飯は妙な組み合わせとなった。
トピナンブ-ルのポタージュに南瓜の香草焼きまでは何とか許せる気がするが、そこに加わったのは昨日作った肉まんであった。



そして
食後のデザートはどら焼きと緑茶であった。




わたる鶴群れ

2020-11-29 17:50:00 | 散歩絵

                          

よく眠れない問題の解決は取り敢えず運動不足を解消せねばならないと思い、おやつを食べた後短い散歩に出かけた。
帰り際、特徴のあるあの鶴の鳴き声が近づいてきたので空を見上げていると、編隊を組んだ群れが少しづつ形を変えながら飛んで行くのが見えた。

あの声を聞くたびに、私もついて行きたいと強く思う。



寒い日曜の朝に

2020-11-29 10:31:00 | 散歩絵

                           



今朝4時半に目が覚めてしまった。6時頃から半時ほどうつらうつらとしたが、諦めて起きた。
空はまだまだ暗い。
身体をほぐす体操をするとあちこちが軋む。
頭もほぐさないと固まってしまう。かといって頭のトレーニングと言う様なゲームはしない。
数字が並ぶのを見つけると足し引き掛け割りして0にするのが癖だが、これは頭を使う程の計算では無いから、あまり役には立たない。衰退の一途だ。

私は展覧会場で大勢の観客がひしめく中にいた。この人混み。これはまずいのでは無いか?と思いながらも
佇んでいた。
そこには見上げる視線が彷徨うほど大きな美しい木が立っていた。
それは足元で蠢めく人間達の事など気にかけていない。
と言う夢を今朝は見た。
たまに樹齢の高い木があると聞くと訪ねることがある。春になったら何処かに大きな木を見に出掛けたい。


クリスマスは人々のコンタクト規制が弛んで12月23日から1月1日まで10人まで集まっても良い事になった。
(今は2家族で5人まで) クリスマスや大晦日に会食が出来なければ、世間にヒリヒリと唐辛子漬けの様な空気が充満しそうだ。
今年はクリスマスマーケットも無い。私はもうクリスマスマーケットにわざわざ出向くことはしなくなったが、それでもなんだか淋しい。
Covid19は私達にいろいろなことを突きつけてくる。無意識ではあっても大切に思っていた様々な事が明確になってくるし、不必要であった事も露わになってくる。
そして、草臥れてボロになったあちこち小さな不具合のある身体とは言え、そこそこ健康である事の幸せを感謝する。














この数日の小さな出来事など

2020-11-28 08:15:57 | 散歩絵


                            

11月25日

朝散歩の帰り道で、前方にぎこちない歩き方の婦人が見えた。道路脇の共同ゴミ箱にゴミを捨て帰る所だったらしい、彼女の足が僅かな段差を踏み身体のバランスを崩した。いきなり糸が切れた操り人形のように道路に倒れてしまったので、慌てて駆けつけ、無事を確認しながらゆっくりと助け起こした。細身ながらもなかなか大柄な婦人だったので、元の姿勢に戻るまで暫し時間がかかった。本当に大丈夫かと聞くと、大丈夫。。。。だと思うわ、膝が痛いけど。。。という。住居の入り口まで同行して別れた。

「ありがとう。まったく、良い瞬間にそこにいてくださって。天使ね」と言ってドアの向こうに消えた。

必要な時に誰かが側に来てくれることは、確かに天使の差配かもしれない。


11月26日

小さなサプライズ。

小さな作品を届けにある家を訪ねた。家の前に立った時、そこに見覚えがあった。

数年前に日本から遊びに来ていた友人の宿泊先を訪ねた事があって、その家だったのではないかという気がした。

お茶をいただきながら、その事を尋ねると、貸す事があると言う。部屋を見せるわ!と言うので、ついていくとまさに記憶通りの部屋で、この「偶然」にお互い驚いたのだった。


その家から電停まで歩いて行く途中、遠くに見覚えのある姿があった。大きなゴミ袋を抱えていて、コンテナーに取り付いている小柄な女性の姿だった。

「ハロー」と声をかけると、目を丸くして「あら、さっきまで彼とね、散歩していたのよ。そうしたら二人の知り合いに会ったの。だから、今度は貴女と会うかもねと彼と話していたのよ!」と言う。

思えば彼女はそこからそれほど遠くない所に住んでいるが、その道は私が通ったことは今までないので意外だった。

「会う時」と言うものがある。


11月27日

交差点で止まった車の中から声をかけてきた女性があった。道を聞かれるかと思って立ち止まると、

「貴女の髪の色、なんて言うの?」であった。

私の髪の色は無茶をして色々混ざっているけれど、言って見れば灰色がかった焦げ茶という感じか。。。

答えようがないので肩をすくめるとその時信号が青になった。

「素敵な色ね!」と笑顔で彼女は立ち去った。

コンタクトに滅茶苦茶規制がかかっている現在、こんな瞬間的なコンタクトもなんだかちょっと楽しい。



11月28日

昨夜は胃の不調もあってよく眠れず、夜中に目を覚まして眠れないのは不愉快だ。

そう言う時は思考がネガティブ軸に傾く。白湯をカップに一杯作ってお腹を温めベットに横たわる。

いっそ起きてしまえばいいのかもしれないがその元気も無かった。

うとうとすると何かの物音で目が覚める。その繰り返しで朝が来た。

人間の体は様々なそして膨大な量の腸内細菌によって操られているらしい。例えば、抗生物質などで腸内細菌を減らすと睡眠障害が起こると言う話を聞いた。

私の体は私の意思で動いているわけではないのかと思いを巡らせると、わけがわからなくなってくる。



また土曜日がやってきた。一週間の終わるのがなんと早いことか。








言の葉

2020-11-26 01:05:28 | 散歩絵


今年3月15日からいまだに展覧会は継続中。
三人展の開催直前にロックダウン宣言が出されて展示は氷漬けになった。
三人展は二人展へと展開し展示作品を入れ替え、二人展はもう一度展開して個展になった。もともと5月に個展を計画していたので準備はしていたのだが、現況の記録を含めて急遽展示内容を変更した。数十名の知人友人に、コロナ禍において感じたこと、考えたことを書いてもらえないかとお願いを送り、いただいた文章をインスタレーション作品に仕立てたものだ。
つまり参加してくださった知人友人とともに作り上げた作品だったので、初日に沢山の人に見て頂けたことは幸いだった。言葉の持つ力は大きく、強く、光のようなものだ。
私はすべての協力者に感謝の気持ちを伝えなければいけない。二週間後第二ロックダウン発令されて展示は再び眠ってしまった。そして、もう一度展示を入れ替えてみることにした。
私は毎日散歩に出かける。
私の思考力は脹脛にあって、歩くことで刺激を受けるのらしい。朝の一時間は散歩に当てている。
夏から秋にかけて散歩中に落ち葉を拾い続けた。(この癖は今も続いている)特に穴の開いた落ち葉が気に入っていて、虫食い跡の沢山ある葉を眺めていると、言葉が聞こえてくる気がする。木々が落とした手紙。家に戻り、木々の手紙を読みながら、紙で葉を作る。毎日1枚は葉を作る。ポプラ並木がある道を通るので当然ポプラの葉が多い。その上ポプラの葉はどこかかわいらしさがあって、饒舌なので、つい目につくのだ。

落葉を拾う。葉を紙で作る。何故かは分からず自然とそうなった。それから紙葉の一枚一枚に短い言葉をつけた途端に納得した。言の葉を拾い集めて散歩路から受けたのメッセージを確認したかったという事。これもコロナ禍のこぼれ種だ。

先日まで日記的な写真とドローイングの組み合わせが77枚展示されていた壁に、今度は事の葉を77枚を取り付けた。
これが今後どの様な展開をしてゆくのかしないのかわからない。このまま枯れ葉になって朽ちてゆくような気もしているし、それならそれで良いと思う。




第二ロックダウン

2020-11-06 18:01:53 | 思考錯誤



第一ロックダウンが始まった頃、まだ寒かったとはいえ春に向って日増しに明るさが増してゆく中で、幸い良い天気が続いて、飛行機の飛ばない空を静かで良いと喜ぶ暢気なものだった。
毎日ドローイングを続けたし、散歩で見つけた落ち葉を持ち帰っては、それを紙に書き写したり、紙で葉を作っ足りする事を決め、日々欠かさず遂行した。
幾つかの展覧会が取りやめになったり、延期になったものの、ロックダウン後には幾つかの展覧会を開くことができ、私の日常は買い物に行くたびに気を付けなければいけない事柄以外、それほど普段とは変わらなないものだった。(確かに簡単に人と会うことができなくなってしまったり、電車に乗るたびによぎる不安などもある)
今回の今年二度目のロックダウンは春のそれよりも気が重い。長引くコロナ禍の不安と苛立ちは色々なところで滲み出ている。
このところ太陽が顔を出す時間が少ないし、私の背中や腕が不調で作業がなかなかできない事が一番へこたれる。
それならば本でもゆっくり読んだらいいのだと思うのだが、最近それができない。昔は読書を一日中でもする事が出来たのに、その体力が無くなった。
やりたい事のリストは長くなるばかりで減る事が無い。
と書いていたらキーボードをたたくのが辛くなってきた。背中に子泣き爺が乗っているらしい、しかもそいつの体重がどんどん重くなる。

今日はこれでおしまい。






マスク

2020-11-05 20:57:28 | 思考錯誤
今朝は霧が出ていて、手がかじかむほどにかなり冷たい空気だった。





最近夢を見ることが少なくなっていた。
いや、少ないのではなく、覚えていられなくなったというべきなのかもしれない。
それがつい最近何度か人ごみに出てゆく夢を見て、ふとマスクをしていないことに気が付いて慌てて探すという場面のある夢を見た。
マスクを探すという行為が現状を投影するそのままの意味なのか? 
何かほかの象徴なのかはわからないが、立て続けに二度ほど同じような場面が現れた。
先日の夢の中ではその上、誰かと連絡を取りたいのに私の携帯電話の画面がどうしても理解できないものに変化していて、連絡不能に陥っていた。
昔、私の夢の中で公衆電話にコインが入れられないとか、電話が壊れているとか、知らない人につながってしまうとか、冷や汗をかいている、そういう夢を度々見たものだったが、そういう時私は草臥れていたように思う。

マスクと言えば、散歩をしていると道端に落ちているマスクが度々あって、これはあまり気持ち良いものではない。
ポケットから出し入れしたりする時に、落として気が付かないのかもしれない。
現在の事情が事情だけに、そんな落とし物を素手で拾い集めてゴミ箱に捨てるのもためらわれてしまう。。。。
何かいい方法はない物だろうか?

今回は軽めのロックダウンに入ったドイツだが、感染者数が増え続けている。街では道路でもマスク着用義務が発令された。






緩和

2020-05-09 01:48:39 | 思考錯誤



ドイツのロックダウンはもともと他のヨーロッパよりも緩やかだった。
またさらなる緩和が発表された。
そのせいだかどうだか、道を行き交う人の数が増えた様な気がする。
天気のせいもあったかもしれない。
トイレットペーパーも小麦粉も店の棚に戻ってきた。 しかし、トイレットペーパーの買い占め心理の謎は解けない。

夢で、展覧会の準備をしていて、大勢の人と頭を突き合わせて話をしていた。 目が覚めて、あんな状況はしばらくは起こらないのだなあ、と思う。
テレビで映画を観ていて、ひしめき合う群衆の場面を見ると、思わず、これは危ないと瞬間思ってしまうことに苦笑した。
だけれど、夢の中でもソーシャルディスタンシングの景色が出てくるほどに焼き付けられてはいないらしい。

もう五月に入って一週間を過ぎてしまった。 時間の経つのが早い。
早すぎる。
今年は四月というひと月はごそっと消えてしまった様な妙な感じがする。


Elefant in the room

2020-05-06 18:23:25 | 製作記録


見えている、
知っているのに、
見ないふり、
知らないふり。。。。








共存

2020-05-04 05:11:38 | 思考錯誤



水曜日なのに、道路にはぎっしり車が並んでいるのに、人影は少ない。
小さな中庭へ入る鉄扉の鍵を開ける。 雨の予報に反して中庭の建物に切り取られた空は青い。
友人一人を展覧会に招待した。 
中庭と言っても小さな小さなもので、そこのドアを開けるとギャラリーがある。 
今日5月4日からギャラリーも公にドアを開くことが許されることになったが、 8月11日まで、秘密結社を訪ねるような展覧会方式を続けることになった。
時折展示に変化を加えてゆく予定。

これから展覧会の在り方が変わることになるのだろう。
ウィルスと共存の中でどんな事が考えられるのか? 

外はライラックの花もそろそろ色褪せ始めている。 
私たち人間はウィルスと共存しながら進化してきたそうだ。いや共存というよりウィルスによって進化してきたという。
ペストの後のルネッサンスに見るように歴史の中で苦境は大きなものを生み出してきた。 

そんなことを考えながらも
まだ空回りしている。