ガーベラ・ダイアリー

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本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

河合隼雄 加賀乙彦 山折哲雄 合庭 惇 著「宗教を知る 人間を知る」 講談社

2006-10-31 | こんな本読みました

特別な宗教をもたない自分にとって、ふだんは宗教とは無関係な暮らしをしている。なぜ、この本を手に取ったか?理由は単純。「山折哲雄氏ってどういう方だろう?」ということを思っていたから。あと「信じるってなんだろう?」とか。。。はっきり言って、宗教に関してよくわからないことが多い(汗)。そういう者が以下の記事を書いているので、どうかご承知おきを。。。

以下が目次

序章「宗教は無関係」という人たちへーー河合隼雄、加賀乙彦、山折哲雄、合庭 惇
第一章 人にとって宗教はなぜ必要かーーー河合隼雄
第二章 宗教と出会い、そして得たものーーー加賀乙彦
第三章 日本人の中に生きる仏教ーーー山折哲雄
第四章 宗教がわからないと現代とつきあえないーーー合庭 惇
第五章 宗教を考える手がかり

なお、執筆者について触れておくと。。。
河合隼雄  臨床心理学者。京都大学名誉教授
加賀乙彦  作家。精神科医。日本芸術院会員
山折哲雄  宗教学者。国際日本文化研究センター所長
合庭 惇   国際日本文化研究センター教授  

四人の方々の宗教との出会いや関わり方などが書かれていて、たいへん興味深かった。「宗教」へのとっかかりとしてはいい本だったと思う。以下< >は本書より引用。

<よく聞いていると、自分の生き方の根本問題にかかわってくるということになってきたときには、宗教的な課題が前面に出てくる人が非常に多い。個人個人が直面している問題を考えるうえでは、宗教的要素は避けて通ることのできない課題です。>(河合隼雄氏のことばより)

<私は、それゆえ、宗教がわからなければ人間を本質的に理解することはできないのではないかと考えています。>(同上)

<自分の死をどうとらえるかということを真剣に考えるかぎり、どうしても宗教のことを考えざるをえない。それは人間の宿命だと思います。>(同上)

<.『聖書』は大変におもしろい本で、とくに『旧約聖書』の「創世記」「出エジプト記」「列王記」などに出てくる神話、伝説、歴史、とくに戦争物語などを読んでいくうちに、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモンなどのおもしろい人物に魅せられ、だんだんに『聖書』の世界に引きこまれていきました。>(加賀乙彦氏のことばより)

<『法華経』というと、とてもむずかしいお経の本のように思われるかもしれませんが、書かれているのはわかりやすい、しかもおもしろい物語です。>(同上)

<人間はいかに生きるべきかという人生の教師としての親鸞を知ったことから、次第に宗教の世界、あるいは仏教の世界に近づいていくことになりました>(同上)

<そしてこの、人間とは何か、日本人とは何か、自己とは何かという三つの事柄を問詰めていくと、最後はどうしても宗教的な問題にたどり着きます。>(同上)

<そのときにかすかに思ったのは、信ずるというのはこの状態に近いのではないかということでした。「信」とはいっさいの疑問がない状態でその状態に入ることが宗教の入口なのではないか、そんな予感を覚えたのです。>(同上)
*そんなときとは、いつも疑問をもち質問を抱いて生きてきた著者が、四日間の予定で朝から晩まで神父さんを質問攻めにしたところ、ふいに疑問を超えた世界があるのではないかという気が急にしてきた。妻とともにいわば憑依状態におちいったときをさす。(同上)

<けれどもその教授がいうことには、たしかにそれらの思想家の著作は英訳されているし、おもしろいとも思うけれども、西洋人の感性のレベルにまで強い影響を与えた人物と言えば、鈴木大拙(1870-1966)をおいてほかにないだろうということでした。 その場にいた何人かの学者たちもそれを聞いて、みな一様にうなずいていました。>(山折氏のことばより)
*その教授とは、ロンドン大学で日本文化を研究している教授のこと。それらの思想家というのは、明治以降の日本の思想家のことをさす。(*ガーベラによる註)

<外国の人たちは、自然と人間、あるいは宇宙と人間の関係を日本人は俳句というとても短い詩の形式の中で表現していると考えている。日本人の美意識がそこに凝縮して表現されている、日本人の死生観がそこに横たわっているのではないか、と感じています。海外の日本文化研究者のあいだでは、そういう問題にかんするヒントを与えてくれた人としても、鈴木大拙は有名なのです。>(同上)

<川端康成はノーベル文学賞を受賞したとき、ストックホルムで「美しい日本の私」と題して講演しておりますが、その冒頭で、日本人の美意識とか死生観を紹介するのに、道元のこの歌を紹介しています。川端康成もまた、そこに日本人の生き方のもっとも典型的な姿を感じとっていたと考えていたのでしょう。>(同上)
*道元のこの歌とは<「春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪冴えて涼しかりけり」>のことをさす(*ガーベラによる註)。

<遊離魂感覚というのは、たとえば『万葉集』の挽歌(死者を悼む歌)にもさかんに出てきます。死者の魂がその肉体から離れ、山とか空とか、高いところに昇っていくという意味の歌を多くの人が詠んでいますが、こうした心身分離の感覚は神道感覚そのものといっていいでしょう。>(同上)
このあと、西行というひとりの人物の中に、神道と仏教が渾然一体となった状態で生きていたことを述べていく。そしてこれが<日本人の宗教の底流をなす原形のようなものが見える、と山折氏は続けていく。

<『歎異抄』の中に、「信心一途にあるべし」という言葉が二六回も出てきます。あれは親鸞の語録で、弟子がまとめたものでしょうが、それにしても、なぜ親鸞が信ずると言うことをそんなにしつこく何回もいうのか、まったくわかりませんでした。ところが、自分が信仰をもつようになって、信仰とは信ずることがすべてなのだとわかったんです。信ずることがすべてであって、あとの理論は、それほど重要ではない。イエスもマグダラのマリアに、「汝の信仰、汝を救えり」といっています。イエスがたえずいっているのは、信ずるということがとても大事だということで、親鸞と同じです。>(加賀氏のことばより)

<マルクーハンは、「メディアはメッセージである」と述べました。つまり、人はメディア(媒体)に乗っている情報の内容に影響を受けるのではなく、その情報が乗ってくる器からメッセージ性を受け取るという意味です。>(合庭氏のことばより)と述べ、具体的に鉄道というインフラ(基幹施設)例にとり、これにより、生活圏が拡大され、人間観・世界観が変わることをあげている。そしていま誕生している情報社会というものに直面し、人間観もかわりつつあるのではないか、と述べている。

<インドに発祥した仏教が日本に伝えられたとき、それを日本人は、自分たちの信仰と日本の風土にマッチするようにアレンジしました。><日本古来の神道をベースにして受け入れられましたから、日本に受け入れられて形成された仏教の中には、神道的な観念とか神道的な霊魂観というものが融合しています。>(山折氏のことばより)

<先ほど、近代になって本が普及し、それ以前の「声の文化」の時代から「文字の文化」に変わったことで人間観も変わり、社会も変わったという話が出ましたが、宗教というのは本来的に声の文化ですね。>(合庭氏のことばより)

<地球上に存在するすべてのものに魂が宿っているという考え方が、ひょっとすると、二十一世紀以降、人類が地球と共存する、環境とともに生きていくためにもっとも必要な宗教意識になるだろうと思っているのです。>(山折氏のことばより)

また、本著のなかにコラムが12ほど挿入されているのだが、これは「世界の主な宗教」や「聖典」の話について書かれておりこれもよかった。宗教について本著でいくつかの視点を得たので、カメのあゆみのごとくぼちぼちと考えていけたらなあと思った。

 


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