ガーベラ・ダイアリー

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本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

日本児童文学者協会・編 「作家が語る わたしの児童文学15人」 にっけん教育出版社

2007-03-19 | こんな本読みました

子どものころ、児童文学者の方々が書いた「自分が子どもころの体験記」を集めた本がすきだった。自分で読んだり寝る前に父親に読んでもらったりした。その本のタイトルは『はずかしかったものがたり』や『ねしょんべんものがたり』。たしか、童心社から出版されていたと記憶している。赤羽末吉氏による表紙と挿絵。そのインパクトのある絵とともにいまでもこころに残っている。他の出版社からも同様の本が出されており読んでいたのだが(『小さなこいのものがたり』など)、なぜか前者の方がすきだった。

その理由を考えてみると、執筆した児童文学者のかたのプロフィールと写真が載っていたということがあるのかもしれない。写真をながめながら「今はりっぱな(?)大人でも、子どものころにはずかしい思いをしたことがあるんだなー」という「親近感」がより強くもてたのかもしれない。

さて本書だが。以下15名の児童文学作家のかたの談話が載っている。目次とともに紹介する。

現代日本児童文学の地図  砂田 弘
『だれも知らない小さな国』の 佐藤さとるさん(談)
『車のいろは空のいろ』の あまんきみこさん(談)
≪ズッコケ三人組シリーズ≫の 那須正幹さん(談)
『花咲か』の 岩崎京子さん(談)
≪ほっぺん先生物語シリーズ≫の 舟崎克彦さん(談)
『こちら地球防衛軍』の さとうまきこさん(談)
≪こそあどの森の物語シリーズ≫の 岡田 淳さん(談)
『星に帰った少女』の 末吉暁子さん(談)
『乱世山城国伝』の 後藤竜二さん(談)
『さんまマーチ』の 上条さなえさん(談)
『ヒョコタンの山羊』の 長崎源之助さん(談)
『ぼくのお姉さん』の 丘 修三さん(談)
『春駒のうた』の 宮川 ひろさん(談)
『宿題ひきうけ株式会社』の 古田足日さん(談)
『龍の子太郎』以来の 松谷みよ子さん(談)

ちなみに私が子どものころ読んでいた本に掲載していらした作家のかたは、砂田氏、あまん氏、岩崎氏、後藤氏、長崎氏、宮川氏、松谷氏の7名(ただし、かなりあいまいな記憶なのでまちがっているかもしれません)。

児童文学にたいする思い、なった動機、作家さんのかかえているテーマ、それらとどう向き合いかかわってきたか。。。などなど作品のうらに見え隠れする作家さんの素顔がうかがえとても面白かった。

<子どものためになんていうのは、オタメゴカシだと思っています。というのは、もともと文学とは人間を書くことでしょう。そして、人は自分以上知っている人間はいないんで、つまり作者は自分のことを書くんですよ。結果的にね。そういうとき、他人さまの顔色をうかがっているようじゃ、うまく書けるわけがない。だからぼくは、自分が面白いと思ったことを、自分の喜びのために懸命に書く。自分が一種の支配者として作品を書いていくんです。>(佐藤さとる氏の談より)

しかし、そこには厳しい自己規制があるという。<ぼくの内面にいる子どもにも理解と鑑賞ができるよう、徹底的に努力する。一般文学と児童文学の違いは、その一点しかないからです。>(同上)

<ファンタジーをつくるのは、いままでのおしゃべりから理解いただけるように、根本は遊びの精神だと思います。精神を自由に遊ばせる空想からはじまって、潜在意識というコンピューターを働かせることまで、すべて遊びを楽しむ気持ちがなくてはうまくいきません。><潜在意識にとどくほど、心底ふかく思いこんだものだけが、物語ににじみ出てくる資格を持っているのです。少しむずかしくいうと、ファンタジーを創ることに没頭していくと、必然的にその中にある意外性が生まれ出てきて、その意外性を追究していくうちに潜在意識が物語の展開にくっついていっしょに取りだされてくるものなのです。そういうのが本物ではないかと思うのです。>(同上)

<おとなになっていくにつれて、生まれるということは選ぶことができないからこそ、命を大切にしなければとか、おたがいに共生するとか考えていくでしょう。でも幼い時は、生まれることではじまる自分はどんなものになるかわからない思いがして、とても怖かったんです。幼年期の不安というのは原始的で、言葉にすることもできず、それだけにふかい闇を持っていた、……そんな気が、いたします。>(あまんきみこ氏の談より)

<わたしは若いころ、過去を振りすてながら、前に歩いているように感じました。つらかったことや、はずかしかったことを、どんどん捨てたかったんですね。でも五十歳をすぎたとき、ちっとも捨てていなかったことに気がつきました。木の年輪みたいに、自分の赤ちゃん時代、子ども時代、少女期、青年期、母親時代……というふうに、辛かったこともはずかしいことも、忘れたいことも、みんな抱え持って生きていることに気がつきました。>(同上)

今の自分はどうだろう?。やはりどうひっくりかえっても過去からのがれることはできない。というか過去があっての現在の自分。あまん氏同様「過去」をしっかりみつめとらえ直すことで、これからの自分の生き方の指針が得られるかもしれないと思った。

また、岩崎京子氏は与田準一氏に厳しい指導を受けられたそうなのだが、最後に具体的な秘策(?)を授けてくださったという。それは、<動物を飼ってごらん>ということと<庭に花を植えて、それをじっくり観察してごらん>ということ。<その記録をするだけで、自然のリズム、宇宙の法則がわかるはずです>とのことだ。

<わたしにとって書くということは、知りたいと同義語ですから、書くまえにわかると書けなくなります。徹底取材はリポートやノンフィクションならいいでしょうが、創作の場合、知らない部分を残しておいたほうがいいみたいです。そこの兼ね合いが、いまだによくわかりませんが…・・・。>(岩崎京子氏の談より)

<三十歳を過ぎて家庭をつくりましたが、家庭とは「食卓」そのものだと思うようになりました。家族が顔を合わせ、語り、笑う、文句をいう場所が食卓でした。食卓のない家庭で育ったわたしにとって、それは新鮮な発見でした。おいしい物を食べて怒る人はいません。「医食同源」という中国の言葉がしめすように、食べることは生きることでもあるのです。わたしは子どもたちに、食べることの楽しさ、大切さを知ってほしいと思いました。>(上条さなえ氏の談より)

<なにしろ日本の民話はどこでも水との闘いの話なんです。それより水に耐えた話ね。人柱とか、洪水を知らせて竜に命を取られたり、水を鎮めるために大蛇の嫁になったり……。それが水を統御する食っちやぁ寝の太郎ですからね。すごい! これは日本の太郎として、日本の子どものために書きたい。そのとき初めてなんです。それまでは自分のために書いていて、子どものためになんて考えもしなかった。でもこのときはじめて、日本の太郎として日本の子どもに、いや、世界の子どものために書きたいって思いました。>(松谷みよ子氏の談より)

<ほんとうに、いつもいっしょでも、家族だって、ほんとうの願いや、苦しみや、哀しみって、わかっていないところが、たくさんあるでしょう。人間のそうした奥深いところを掬いとってくれる絵本って、ただ小さな子どものためのものじゃなく、大人の心にも迫ってくる。あるいはプツンと心に穴をあけることができるものだと思うんです。>(同上)

松谷氏の『龍の子太郎』『ちいさいモモちゃん』など諸作品の誕生秘話を知ることができ、興味深かった。

本書には作家さんの写真とともに直筆で書かれた原稿の写真が載っている。作家のかたがたの字を見るのもなかなか楽しかった。まちがえたところをぐちゃぐちゃーと消してしまうかた(岡田氏)、マス目からはみ出さんばかりの豪快な字を書くかた(後藤氏)……。字形や字体、原稿用紙の使い方などから、この作家さんはどんなかたなのかなぁと想像する楽しみがあった。