SCUM’S BLOG
満たされている時は
満たされている事に気付かない
むしろ枯渇すら感じる
 



わしさんから、「猫ちゃん、飼ってるんですか?」とのコメントをいただいた。

うーん、微妙。
私は、飼ってない。
猫と家族のいる家に戻ってきた、ってカンジだ。


私と猫との歴史。

19歳の頃、私は一人暮らしをしていた。
一人暮らしは、気楽だったが、少しさみしかった。

そんなある日、名古屋に引っ越し、再び東京に戻ってきた高校時代の友人が、突然、猫を飼わないかと言ってきた。

猫?

私は、猫が好きでは無かった。

というのも、中学生の頃、飼っていたニワトリが、近所の猫に惨殺された事があったからだ。

しかしさみしさが手伝って、酔狂で、良いよと言ってしまう。

後日、猫を迎えに行く。

見た猫は、あまりにも小さくか弱い、震えているような子猫。

名前を決めるのがめんどうくさくて、ちょうどその店に、鴨の置物があったので、「かも」と命名。
後に、あんまりかと思い、「かも the great No.1」と改名。
もちろん、こんな長い名前は定着するわけも無く、今でも「かもちゃん」「かもちゃん」と呼ばれている。

自宅に帰り、猫との生活スタート。

何にも無いのに、何かと戦ったり、遊んだりするような、やんちゃな動きにメロメロ。

バンドのツアーで出かける時に、かもを実家に預ける。
実家も、ニワトリの一件の経験者達なので、最初、微妙な表情だったが、迎えに行き、連れ帰る時に、「うちのかもをさらって行くなんて、鬼!」みたいな態度を取られる。

俺のだっての。

一人暮らしの気ままな生活だったので、友人がよく、寝泊りしていた。
猫嫌いの人間が多かったのだが、かもちゃん、持ち前の愛想の良さで、どんどんと猫嫌い達を虜にしていく。

寂しいと、ナゼか目の調子の悪くなるかもちゃん。

始発&終電利用という仕事が続いたときに、かもちゃんの目が、悪化。

アナーキーなパンクスだった私、元ヤクザの友人と、獣医を夜中に襲撃。
無理矢理見てもらう。

再び、始発&終電利用の仕事。
かもちゃん、ストレスで小麦粉の袋、破壊。

帰ったら、部屋が真っ白。
なぜか、かもちゃんのウンコも真っ白。

小麦粉食ったの?と、詫びる。

かもちゃん発情期。

恋の季節に負け、家を飛び出す。

猫の生理現象なんぞ知らない私。
かもちゃんに捨てられたと、凹む。

三日帰ってこず、ベランダから外を見て、かもちゃんの姿が無い事を確認し、窓を閉め、さーて、死ぬかなと思ったときに、ベランダで、かもちゃんの声。

窓を開けると、ボロっちくなったかもちゃん。

震える拳。
そして、体。

…バカぁ…と、かもちゃんを抱きしめた後、かもちゃんの体を拭く。

この時、かもちゃんは近所のボス猫の子を宿していた。

かもちゃん出産。

4匹の子が生まれた。

私が寝ていると、かもちゃん、なぜか出産床から、私のベッドに子猫を運ぶ。
つぶしてしまいそうで、大変こわい。

寝ていて、何かの気配を感じると、必ず子猫。

そんなある日、暴力的なルックスの仲間達による花見が開催された。
その日、私はそれまでにも、現在、この記事を書いている今までにも、のんだ事の無い、大量の酒を飲む。
現段階での、人生最大量の摂酒だった。

へべれけになって帰り、泥のように眠った。

かもちゃんは、いつものように、子猫を私のベッドに運んだ。

目覚めても、あまりの飲酒量に、体が動かない有様だった。
しかし、何か違和感を感じた。
体の下に、何かあるのだ。

はっと思い、体を動かした。
その下には、ぺちゃんこになった、一匹の子猫がいた。

残りの3匹は、私の周りで、ニーニー鳴いていた。

以前、動物病院に一緒に行ってくれた、元ヤクザと、弔った。

自分を恥じた。

今でも、涙が出るぐらい、情けない思い出だ。

残った3匹のうち、2匹は、順調に愛らしく生育した。
1匹は、板橋に住んでいた、元青森の暴走族の総長だった男にもらわれ、去勢もされず、その界隈に、かもちゃんの子孫達が大量発生していた。

もう1匹は、一緒に動物病院に行ってくれた、元ヤクザにもらわれたのだが、ある日、原因不明の死をとげた。
人情は厚かったが、あまりにも暴力的だった彼、彼の、あんなに憔悴した姿を見たのは、前にも後にも、その時だけだった。

彼は、私に詫びた。

私の愛する猫の子を、殺した事に。

私も、彼に詫びた。

私が彼に、猫をもらってもらわなかったら、彼をこんなに傷つける事はなかったのに。

この後、彼は、雪崩式に、悪い人生を送って、そして死んでしまった。

残った1匹の子猫。
これが、ひどく発育不良で、不細工だった。

誰にももらわれず、うちに残った。

それでも可愛い我が家の子だったのだが、私は、猫の飼い方マニュアルで見た、「子猫を可愛がりすぎると、親猫がスネます」というのを、極端に理解して、親猫ばかりを溺愛し、子猫を蔑んだ。

子猫の鼻の辺りに、黒い点があったので、「はなくそ」と命名した。

「はなくそ」は、拗ねた子に育った。

私の生活の事情で、猫が飼えなくなってしまった。
飼い主として、あってはならない事であるが、実家がひきとってくれる事になった。

後日、実家を訪れると、妹から、かもちゃんをどう育てたんだ!傲慢すぎるぞ!とのクレームはあったものの、かもちゃんは、妹にべったりとなついており、あれだけ拗ねて、人間嫌いだった「はなくそ」は、母にべったりなついていた。

ことに、はなくその母へのなつきっぷりはすごく、普段はビックリするぐらいビビリなのに、母が一緒だと、すごく強気。
いつも母の後ろを歩き、飯を食うにも、ウンコするにも、母を呼び、母に見ていてもらって行動する程であった。

はなくその屈折は、間違えなく、私のせいだ。
私の、飼育書の曲解が招いた、間違いだ。

はなくそには、大変申し訳なく思う。

年月が過ぎ、もう猫としては、高齢の部類に入るであろう、2匹の猫。

久々に実家で暮らす事になった私。
猫達は、私を、ちょっと遠い存在のように扱う。

実家のヒエラルキーの頂点に君臨している気まんまんの「かもちゃん」



母の子であるはなくそは、「はなちゃん」→「はにゃ」→「はにゃちゃん」→「はにゃたん」→「たんたん」と、元の名前の無くなった呼ばれ方をしている。



しかし、両者とも、高齢でありながら、子猫のような愛くるしさを保ちつつ、元気な甘えん坊達である。

よほど、この実家において、愛情を受けて生きてきたのであろう。

この子達が、いつまで生きてくれるかわからないが、飼っているという言葉は、間違えなく当てはまらないだろう。

我が家族は、彼らと共に、暮らしているのだ。

しいて言ったら、仕事もまだ見つけず、家でひきこもっている、私が飼われているというカンジだ。

猫達は敏い。

そうした空気をきちんと把握し、私に接してくるのだから(^^;

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