SCUM’S BLOG
満たされている時は
満たされている事に気付かない
むしろ枯渇すら感じる
 



東京23区を越えた東京にて。

胃が不調だった私は、液キャべのようなものを求めて、コンビニに入った。

購入し、店を出ようかとした時、自転車に乗った、小学校低学年といった感じの少年が、店の前に自転車を投げ出すようにして、店内に入ってきた。

彼は店員に、トイレを貸してくれと、所望した。

店員は、いかにも子供を相手にするような猫なで声で、「ごめんね~、うちは、トイレ貸してないのよ~」

その瞬間、ゾワリと冷や汗が出ているのが、あきらかにわかるような風体の、少年。

足をモジモジと絡ませ、ヨロヨロと私の横を抜け、店を出て、再び自転車に乗ろうとするも、すでに、自転車に乗る事すら、ままならぬ様子。

ちょっぴり頭にきた。

私はコンビニでバイトをしていた事があるから、意味はわかるのだ。
トイレを貸す事が、認められていないコンビニ。
マニュアルで定められているコンビニ。
そうしたコンビニのトイレってのは、店の奥にあり、そこには事務所があったり、店に並べられていない商品があったりする。
そこは、店関係者以外が立ち入る事に問題があるのも解るし、マニュアルで、そこに客を出入りさせてはいけない事も、解る。

しかし、相手は、子供ではないか。

トイレ関係の、子供の頃の、ちょっとした悲しい思い出、無いか?
私は、ある。
わりと少なくなく、ある。

トイレって、大人にしてみたら、なんてない事で、私なんて、ウンコしてくるとか、今は普通に誰にでも言えるけれど、でも、子供の頃、それってデリケートな事で、小学校でウンコできなかったなんて、ものすごく多くの人たちが経験しているのでは無いだろうか?

軽いトラウマになるような要素満点の、トイレという事。

これでガマンできなくて、おもらしでもしてしまったら、その恥ずかしさたるや、子供だから良いじゃんなわけもない。
オシッコだから良いとか、ウンコだからどうとか、そういう問題では無い。

ちょっぴり大きくなっている子供が、見知らぬ店という大人の空間に入り、見知らぬ店員という大人に、トイレを貸してくれと懇願する事、それがどれほど勇気のいる事であろうか。

その時の私は、髪をアップにして、薄茶色のメガネをし、ボアのついたハーフコートを着て、ジージャン、ジーパン、エンジニアブーツに酒臭い体。
どうみても、良い側の大人では無い。
こんな私が、ニヤリと笑いながらトイレを貸してくれと言ったら、それは断るべきであると思う。
私がどれだけ、漏れちゃうぐらいでも、断るべきだ。
しかし、相手は、少し自我が芽生えてきたぐらいの、子供だ。

私は、その子供に、トイレ大丈夫か?と声をかけた。
彼は大丈夫とは言わず、うつむいた。

これは、これは確実に、リーチだ。

おい坊主、ちょっと来いと引き寄せ、そのコンビニの隣の、なんだかセコい総菜屋に入った。
その惣菜屋は、弁当も売っていて、店内で食べる事もできるような店だった。
店の奥に、「TOILET」の看板を見つけた。
ラッキーだ。
レジのおばちゃんに、「ちょっとこの子供に、便所貸してもらっていい?」と、問うと、おばちゃんは、「いいよいいよ」と、気さくに答えてくれた。
ほれ、早く行けと子供に言うと、子供は小走りで、トイレに駆け込んだ。

私のおかしな風体を、おばちゃんは少し不思議そうに見て、「あんたの子?」と問うてきたので、「んなわけねーだろ」と答える。
「知ってる子?」と問われたので、「知らねー。隣のコンビニでトイレ借りようとしてたんだけど、断られていたから、かわいそうだから連れてきた。ゴメンね。」と言ったら、「いいよいいよ」と返してくれた。
じゃ、オレ行くわと言い、店を立ち去った。


マニュアルってなんだろう。
マニュアルって、ルールだよね。

でもさ、ルールって、完全に簡単に作れるものではないよね。
人間も動物だから、無秩序で、それを無法的なまま放置しておけないから、国家がルールをつくるわけじゃない。
そのルールを基準に、人の是非を裁いたりするわけじゃない。
俺みたいなのが、悪い事して裁かれるのは、理解できるんだけど、その、ルールって何?
ガキにションベン漏らさせるのがルール?

くそったれ。
マニュアルなんざ、くそくらえだ。

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