要約できない人生のあれこれ

気ままに日々のこと
いきづらさを抱えて。なんでもない日常のこと。ごみ捨て場。届かない。

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ハートネットTVの掲示板に書ききれなかったこと

2015-08-21 20:32:55 | 日記
 

 中学生の頃から、周りの目を気にしたり、両親との関係がうまくいかなかったりと、生きづらさを感じていました。学校では優等生、いわゆるいい子という評価をされていて、部活では部長を務めたり、学級委員を任されることも多かったです。友達も多く、誰とでも仲良くできることから、周りからもいい子と言われていました。ですが一方、家庭では両親とのいさかいが多かったり、気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こして怒鳴ったり、ひどいときには母親に暴力を振るうときもありました。なので家族からは、わがままだとか内弁慶だと言われて育ってきました。初めてカミソリで自分の体に傷をつけたのもその頃でした。そのときは自傷行為だとはあまり思わず、それをすることでもやもやとしていた気持ちがすこしすっきりしたのを憶えています。
 
 中学の成績が良かったために高校は推薦入試で進学校に進みました。始めは勉強を一生懸命頑張りましたが、二年生になり、教室に入ることが難しくなりました。授業中も椅子に座っているのが息苦しく、保健室に向かうことが多くなりました。当時は自分の息苦しさの理由がわからず、どうしてこんなにしんどい思いをしているのだろうと一人で苦しさを抱えていました。自傷行為もひどくなっていき、自分の腕を腫れあがるまで殴ったり、腕を切ったり、何も考えたくないときには市販薬をたくさん飲んでみたりすることが増えました。そんな中、私と同じような生きづらさ、苦しさを持つ人をインターネットや本で探しました。その中で出会ったのが、境界性パーソナリティ障害という言葉でした。その症状があまりにも自分の抱える苦しさと酷似していたため、驚りました。そのときに初めて、自分の生きづらさや苦しさに名前が与えられたようで、そしてこのような苦しさを感じている人が私の他にもたくさんいるのだということを知って、自分の人生に光が差し込んだような気がしました。それから境界性パーソナリティ障害と付き合っていく日々が始まりました。当時通院していた病院の主治医からは特にその診断は受けておらず、あくまで自己診断でした。両親や友達にも打ち明けることはなく、ブログやノートに自分の気持ちを吐き出したりして高校時代を過ごしました。

 私の中にはいつも、「見捨てられ不安」と「空虚感」がありました。底知れない不安感と虚しさがいつもつきまとっていたのです。パーソナリティの障害ということで、その言葉からそれは、性格や考え方に障害があるということに近く、私の性格自体が障害なのだと思うととても恐かったです。もし、この障害が治ったときに残るのは本当の私なのでしょうか。しかし、本当の私とはいったい何なのでしょうか。

 天使みたいな自分と、悪魔のような自分が常に心の中に存在しているということ。穏やかで思いやりがあって、優しい気持ちであふれているときの自分と、いらいらが抑えられず大切な人のことを攻撃し、暴言を吐き、すべてをぐちゃぐちゃに壊してしまいたいと衝動的に思うことを繰り返している私。私はこのふたつを、極端なこのふたつでできている私を本当の自分だと信じて生きてきました。嫌な自分は本当の自分ではないと、切り離して考えたくなることもありましたが、それでもやっぱり悪い自分も自分だったのです。悩みや不安、感情すべて、ふたつの自分がいるから生まれてきたものだったからです。

 時々、誰でもいいから攻撃したいと衝動的に思うことがあります。感情のコントロールというものが効かず、特に怒りの感情に振り回されることが多いです。厄介なことにその感情は、一番近しい人に向かいます。一緒に住んでいる大好きな恋人に。実家にいるときには母親に。泣きわめき、叫んで怒って。それは私がとても嫌いなものです。感情をあらわにしている人を見ると恐くて仕方がないのに、そういうときには自分が誰よりも激しく、そういった感情を表に出してしまうのです。そのあとにはひどい罪悪感にさいなまれます。落ち着いているときには、なぜあのときあんな気持ちになってしまったのだろうと、自分のことなのによくわかりません。怒りの感情にさいなまれているときには、穏やかな自分とは本当にかけ離れたものになってしまうのです。

 21歳になるほんの少し前に、この障害による大量服薬で救急車によって病院に運ばれ、閉鎖病棟に入院しました。保護室に入れられ、自由はなく、監視カメラのついた狭い部屋で、なぜここにいるのか考えました。暴れることもなく抵抗もしなかったのに、自由がない鉄格子の部屋に入れられ、トイレも監視され、人間じゃなくなってしまったような感じがしました。入院は両親の意思によって決められ、私が何を言っても誰にも聞き入れてもらえませんでした。そのときに初めて境界性パーソナリティ障害という診断を受け、両親もそれを知りました。この話は今は家族の中ではタブーとされていて、母親に話すとその話はしないでと泣かれることもありました。お母さんが悲しむからその話はするなと、父親からも言われ、行き場のない怒りを私はノートやブログに書き綴っていました。それ以来、両親は私のことを腫れ物に触るように接してきます。

 繰り返す暴言や暴力、破壊行動により、恋愛もうまくいくことが少なかったです。心の底にいつも見捨てられ不安があり、相手に「ここまでしても嫌われないか」を、無意識に試してしまうのです。そして、相手が耐え切れず怒ったり泣いたりすると、「はらやっぱり見捨てるんだ」という気持ちになり、それは破綻するまでずっと続いて悪循環だとわかっていながらも、やめられないことが苦しかったです。自傷行為もやめることができず、アームカットや大量服薬、援助交際をすることもありました。どうしてこんなに苦しい日々が続くのかと、死んでしまいたいと思うこともありました。それでもやはり日々は続き、いつまでも淋しさや空虚感はつきまといました。

 そんな中、現在お付き合いをしている人に出会いました。(今年の8月25日に籍を入れます。)彼は、天使のような私も悪魔のような私もすべてあなたに見える、どちらが欠けていたらそれはあなたではないと、ふたつの私を心から愛してくれました。現在は、BPDの寛解を目指して、病院の先生との信頼関係を築いていくことができていたり、いつか良くなると信じて日々を続けていくことができています。働くということは今は困難ですが、いつかは社会に出て何か仕事ができたらいいなと希望を持っています。境界性パーソナリティ障害についてのブログの更新や、詩を書いたり写真を撮りに出かけることを今はゆっくりと行っています。

 怒りの感情が目立ってしまう障害なので、いろいろと誤解が多い障害であることは理解しています。ですが、インターネットで境界性パーソナリティ障害について検索すると、「被害者」や「ターゲット」という言葉をよく目にして悲しい気持ちになってしまいます。当事者がこうして世間にこの障害のことを話すことのできる機会が、もっと増えていくことを願っています。そうすれば日本でも境界性パーソナリティ障害の研究が良い方向に進んでいくのではないでしょうか。その歯車のひとつとなれるように、私もこういう場面や、自分のブログで境界性パーソナリティ障害について発信することを続けていこうと思っています。それが、同じような苦しみを抱えるひとや、その家族の方の手助けになっていければ幸いです。

コンプレックスのかたまり

2015-08-19 09:11:19 | 日記






ちいさいころから、よく姉と比べられた


姉は誰が見てもかわいいと思うような容姿を持っていた

歳は私より5学年上、

色白できれいな肌と、一本一本が細い猫みたいな髪

痩せすぎくらいに痩せたからだ、小さい顔に

細い首、きれいなうなじ

すっとした鼻、目は大きくなかったけど、笑うと綺麗だった


それに比べて私は顔が、というか頭が大きくて

太りやすい体質

姉と同じものを食べても、私は確実に肉になるのに

姉は変わらなかった

太く硬い髪質、鼻はだんごっぱな

日焼けもしやすくて肌も弱くてそばかすばかり

汚いいきものだと思っていた



いつも私の人生には姉がいたから、

自分の容姿にはとてもコンプレックスがあった

周りのひとは姉を綺麗という

細いねーと、驚く

姉の友達と会ったときは必ずといってもいいほど、

似てないね、と微妙な反応をされてかなしかった






でも、姉のことはずっとだいすきだ



20歳を超えたあたりから、

自分の容姿に対するコンプレックスもやわらいできた

自分は自分、と思えるようになった





そんな話でした。






見捨てられ不安は消えない

2015-08-18 13:30:56 | 日記






もう大丈夫かなと思っていても

ふと顔を出す、見捨てられ不安。


私にとってそれは、絶望や生への執着や、そのような類

そこらへんに、そこらじゅうに散らばっている





すこしでも相手の顔色が良くなく思うと

とてもふあんになる

仕草やほんの些細なことなのに

私にとって見捨てられ不安は

止まらない確認欲求



ねえ、怒ってる?

楽しくない?

ごめんね。


そんなことばが自分からたくさんこぼれ落ちる

中身のない、からっぽのことば。

ぽろぽろ流れる涙のように、止まらない。



いとうくんは怒っていない

そんなことはわかっているはずなのに

本当に不安になってしまって、何度も確認してしまう





私のために時間を割いてほしくないと思う

自分のやりたいことを満足いくまでやってほしい



私はいとうくんを独占したくない












警察にお世話になった思い出

2015-08-16 11:15:06 | 日記





私は境界性パーソナリティ障害の症状が原因で

警察のお世話になったことが3回あります

そのうち2回は、さいたまで。

八つ当たり、泣きわめき、近所のひとからの通報があり

警察のひとが三人くらいでやってきた。

DVをしていないかということで、私の顔を見たいということだったが

私はチャイムが鳴ることがすごくこわかったので(今もこわい)

耳をふさいで部屋の隅にいた。

女の警官さんがひとり部屋に入ってきて

私の無事を確認してから帰っていった。




私はそれから外に出ることがこわくなったり

近所のひとの目が気になるようになり

洗濯物もまともにできなくなった







障害者なんです、人格障害なんです

いくらそう言っても

性格のせいだと思われる

いらいらも、ぜんぶぐちゃぐちゃにしたくなる衝動も

すべて気の持ちようだと





住むところを転々としてきた私だけど

本当は穏やかに暮らしたい















こわい夢をみた

2015-08-14 16:13:58 | 日記





夢の舞台はどこかのまち

学校だったのだろうか、たぶん学校


一日にひとり、いけにえみたいな形で生徒がしぬ

そのひとりに自分もなり得る


殺害も自分たちでしなければならない

やけにリアルで、

私は実際にそこには行きたくないと言い張って

行かなかったのだけど

友達がなんか軍手かグローブみたいなの持ってかないとね

とか言っているのがこわかった


ひとが刺されて死ぬときには

どのくらいの血が出るのだろうと考えては

夢のなかでぞっとした






運ばれていく死体を見てしまった

それは知っているクラスメイトだった



鮮血が頭から消えない


夢にひきずられて、さっき起きた

やっとシャワーを浴びることができた












もうすぐで死んでしまう夢をみた

2015-08-13 15:32:24 | 日記




白血病で、余命は8か月ということだった

なので、あと3か月はやりたいことをやれると思った。


不思議とかなしい感じはしなかった

ああ、死ぬんだという感じ。


でも、ひとつ心残りがあった

家族のこと

それは、新しい家族のこと。


いとうくんのこと

赤ちゃんが産みたかったということ



それが夢のなかでもかなしかった

もう自分が死んでしまうということ

かなしんでくれるひとがたくさんいるということ


でも夢のなかでもからだはしんどく、

ああ、このままどんどんつらくなっていって

しぬんだなあとか思っていました。





死ぬことが、そんなにこわくなかったので

今日の夢はこわい夢ではありませんでした










一年前の夏、援助交際

2015-08-12 11:57:53 | かるま




私はセックスが苦手だ、こわい、と思っている

したあとの罪悪感というか、気持ちは

かなしいというか、むなしいというか。


いとうくんが、しなくてもいいよと

いつものあのやさしい顔で言ってくれて

うれしかった




援助交際をあんなにしていたのに

セックスがきらいというのもおかしな話だろう

でも、あのころはいろんなことがマヒしていて

そうすることでしか自分を保てなかった

お金はすぐに使った。手に持っているのがいやだったから



去年の大学の夏休み、

出会い系サイトでおじさんを探して

いいひとそうなひとと連絡を取り合い、

会う前には必ず電話をした。

実際に声をきいて話してみると、

文面とは印象が違う場合があるのである。



あのころの私はそれでそんなに傷ついていなかった

というか、あまり記憶がない。。



売春は一生の恥だ、とあるフォロワーさんに言われた

たしかにひとに言わせればそうなのかもしれない

けれど恥ずべきことなら、もう少しおぼえていたらよかった

そうしたら忘れられない傷になるから。


一年前の私はなんだか、抜け殻みたいに

何も感じない、泣きもしない、怒りもしない、

そんな人間だったなあと思い出す。








心配しないで、だいじょうぶ

2015-08-11 17:37:07 | かるま







あの日を境に、調子がいい日が比較的多い。


それまでもやもやとしていたものが、

一通のメールで、解き放たれたようなのだ。



いっしょにいられないことは、

二度目に一緒にいることになったときから、

二人暮らしをするようになってから

私もわかっていた。



だから泣いたのだ

最後の土手で、バンプの(please)forgiveを聴いて泣いたのだ

自由になるのはわかっていた

生活に無理があるのにも気がついていた

あのひとが涙を流すたびに、

あのひとを怒らせてしまうたびに、

私のカルマは着々と、つみかさなっていった


何が悪いことかわかっていた

私が感情的にならないように、私が怒らないように

腫れ物にさわるように私といるようになったあのひとに

私は怒っていた



けれどそれは仕方のないことだった

感情的になっている私を前にして、冷静でいられるひとなどいるわけがない

二度目に一緒にいたとき、私は孤独なことが多かった

すきなひとと暮らすことはこの上ない幸せだと思っていた

だけど私には無理だった

あのひとには無理だった


人格障害を抱えた人間を愛することのできるひとが

この世界にいようか


親に泣かれ

付き合ってきたひとたちもみんな泣いた



私はみんなのことがすきだったのに

自らすべてを壊してしまった

壊れてしまえばいい、と思った

しあわせを感じるとこわくなった

感情はめまぐるしく変わり



そんな自分にいつしかつかれてしまった




私がしぬのはあのひとのせいではない


私がいままでに一番愛したのはもちろんあのひとだ

しかしそれが、私のしぬ理由にはならない


ひとのせいにしてしぬような、そんな簡単なものじゃない



絶望していたんだ、

他の誰でもない、自分自身に。






そして私は結構長生きすると思う

そして私は今月末に籍を入れる

しあわせのかたちは見たことがないけれど

それが夕陽や、夏のひんやりとした朝の匂いや、

雪のしんしん降る夜や、そういう

あたたかなものであればいいなと思う。





まとまりのない文章を打ってしまいました


絵をかきたいと思っているのだけどなかなか書けない




今日は本を少しと、映画を一本みました。














町に染まるのがこわい

2015-08-10 17:34:57 | 日記





なんとなく私はこの町が不気味に感じている




この町は綺麗だ。

アニメの舞台になったことや

桜のきれいな懐古園という場所が有名だ。


町のひとはいいひとが多くて

花や自然はとてもきれいで、写真を撮らずにはいられない




なにかおかしいと思い始めたのはいつだったか

初めて商店街のほうに出ていっていとうくんと

おそばを食べたときだっただろうか



あのひと。片足がなくて、すごくいい、古い鞄を持ったひと

そのひとを見たときに感じた違和



はじめ、町は古ぼけていると思った
 
しかし、ちょっとだけ、灯りがおしゃれであったり

さりげなく現代を取り入れたお店たち



ごちゃごちゃしてそうな路地に入っても雑多なものが見つからない

なんだかこぎれいで、どこを撮ってもいいように写ってしまうのだ



そして気づく

この町には壊れたものは存在しない

たとえば枯れた花

それは見つけるのが困難だ

枯れた花はどこへいってしまっているのか

あのバラもアヤメも、紫陽花もキキョウも。

枯れたアヤメをみたことがない

綺麗に咲いているなあと思った植木も、

いつの間にか花の部分だけきれいになくなっていた



おかしな話だけど私は枯れた花が好きだ。

一生懸命に咲いたからこそ、その姿があるとおもうから

だから気がついたのだと思う

この町には枯れた花がすくない




私がうちの近くの、投げ捨てられた天使の置き物に

ひどく共鳴するのはそのせいだろうか


作り上げられた町で、葉に紛れてこっそりと佇む堕ちた天使。

それはきっとすぐさま排除されるべき対象であったもの



















ちょっとおおげさに書いてしまいました笑

この町はいたってふつうです。