中学生の頃から、周りの目を気にしたり、両親との関係がうまくいかなかったりと、生きづらさを感じていました。学校では優等生、いわゆるいい子という評価をされていて、部活では部長を務めたり、学級委員を任されることも多かったです。友達も多く、誰とでも仲良くできることから、周りからもいい子と言われていました。ですが一方、家庭では両親とのいさかいが多かったり、気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こして怒鳴ったり、ひどいときには母親に暴力を振るうときもありました。なので家族からは、わがままだとか内弁慶だと言われて育ってきました。初めてカミソリで自分の体に傷をつけたのもその頃でした。そのときは自傷行為だとはあまり思わず、それをすることでもやもやとしていた気持ちがすこしすっきりしたのを憶えています。
中学の成績が良かったために高校は推薦入試で進学校に進みました。始めは勉強を一生懸命頑張りましたが、二年生になり、教室に入ることが難しくなりました。授業中も椅子に座っているのが息苦しく、保健室に向かうことが多くなりました。当時は自分の息苦しさの理由がわからず、どうしてこんなにしんどい思いをしているのだろうと一人で苦しさを抱えていました。自傷行為もひどくなっていき、自分の腕を腫れあがるまで殴ったり、腕を切ったり、何も考えたくないときには市販薬をたくさん飲んでみたりすることが増えました。そんな中、私と同じような生きづらさ、苦しさを持つ人をインターネットや本で探しました。その中で出会ったのが、境界性パーソナリティ障害という言葉でした。その症状があまりにも自分の抱える苦しさと酷似していたため、驚りました。そのときに初めて、自分の生きづらさや苦しさに名前が与えられたようで、そしてこのような苦しさを感じている人が私の他にもたくさんいるのだということを知って、自分の人生に光が差し込んだような気がしました。それから境界性パーソナリティ障害と付き合っていく日々が始まりました。当時通院していた病院の主治医からは特にその診断は受けておらず、あくまで自己診断でした。両親や友達にも打ち明けることはなく、ブログやノートに自分の気持ちを吐き出したりして高校時代を過ごしました。
私の中にはいつも、「見捨てられ不安」と「空虚感」がありました。底知れない不安感と虚しさがいつもつきまとっていたのです。パーソナリティの障害ということで、その言葉からそれは、性格や考え方に障害があるということに近く、私の性格自体が障害なのだと思うととても恐かったです。もし、この障害が治ったときに残るのは本当の私なのでしょうか。しかし、本当の私とはいったい何なのでしょうか。
天使みたいな自分と、悪魔のような自分が常に心の中に存在しているということ。穏やかで思いやりがあって、優しい気持ちであふれているときの自分と、いらいらが抑えられず大切な人のことを攻撃し、暴言を吐き、すべてをぐちゃぐちゃに壊してしまいたいと衝動的に思うことを繰り返している私。私はこのふたつを、極端なこのふたつでできている私を本当の自分だと信じて生きてきました。嫌な自分は本当の自分ではないと、切り離して考えたくなることもありましたが、それでもやっぱり悪い自分も自分だったのです。悩みや不安、感情すべて、ふたつの自分がいるから生まれてきたものだったからです。
時々、誰でもいいから攻撃したいと衝動的に思うことがあります。感情のコントロールというものが効かず、特に怒りの感情に振り回されることが多いです。厄介なことにその感情は、一番近しい人に向かいます。一緒に住んでいる大好きな恋人に。実家にいるときには母親に。泣きわめき、叫んで怒って。それは私がとても嫌いなものです。感情をあらわにしている人を見ると恐くて仕方がないのに、そういうときには自分が誰よりも激しく、そういった感情を表に出してしまうのです。そのあとにはひどい罪悪感にさいなまれます。落ち着いているときには、なぜあのときあんな気持ちになってしまったのだろうと、自分のことなのによくわかりません。怒りの感情にさいなまれているときには、穏やかな自分とは本当にかけ離れたものになってしまうのです。
21歳になるほんの少し前に、この障害による大量服薬で救急車によって病院に運ばれ、閉鎖病棟に入院しました。保護室に入れられ、自由はなく、監視カメラのついた狭い部屋で、なぜここにいるのか考えました。暴れることもなく抵抗もしなかったのに、自由がない鉄格子の部屋に入れられ、トイレも監視され、人間じゃなくなってしまったような感じがしました。入院は両親の意思によって決められ、私が何を言っても誰にも聞き入れてもらえませんでした。そのときに初めて境界性パーソナリティ障害という診断を受け、両親もそれを知りました。この話は今は家族の中ではタブーとされていて、母親に話すとその話はしないでと泣かれることもありました。お母さんが悲しむからその話はするなと、父親からも言われ、行き場のない怒りを私はノートやブログに書き綴っていました。それ以来、両親は私のことを腫れ物に触るように接してきます。
繰り返す暴言や暴力、破壊行動により、恋愛もうまくいくことが少なかったです。心の底にいつも見捨てられ不安があり、相手に「ここまでしても嫌われないか」を、無意識に試してしまうのです。そして、相手が耐え切れず怒ったり泣いたりすると、「はらやっぱり見捨てるんだ」という気持ちになり、それは破綻するまでずっと続いて悪循環だとわかっていながらも、やめられないことが苦しかったです。自傷行為もやめることができず、アームカットや大量服薬、援助交際をすることもありました。どうしてこんなに苦しい日々が続くのかと、死んでしまいたいと思うこともありました。それでもやはり日々は続き、いつまでも淋しさや空虚感はつきまといました。
そんな中、現在お付き合いをしている人に出会いました。(今年の8月25日に籍を入れます。)彼は、天使のような私も悪魔のような私もすべてあなたに見える、どちらが欠けていたらそれはあなたではないと、ふたつの私を心から愛してくれました。現在は、BPDの寛解を目指して、病院の先生との信頼関係を築いていくことができていたり、いつか良くなると信じて日々を続けていくことができています。働くということは今は困難ですが、いつかは社会に出て何か仕事ができたらいいなと希望を持っています。境界性パーソナリティ障害についてのブログの更新や、詩を書いたり写真を撮りに出かけることを今はゆっくりと行っています。
怒りの感情が目立ってしまう障害なので、いろいろと誤解が多い障害であることは理解しています。ですが、インターネットで境界性パーソナリティ障害について検索すると、「被害者」や「ターゲット」という言葉をよく目にして悲しい気持ちになってしまいます。当事者がこうして世間にこの障害のことを話すことのできる機会が、もっと増えていくことを願っています。そうすれば日本でも境界性パーソナリティ障害の研究が良い方向に進んでいくのではないでしょうか。その歯車のひとつとなれるように、私もこういう場面や、自分のブログで境界性パーソナリティ障害について発信することを続けていこうと思っています。それが、同じような苦しみを抱えるひとや、その家族の方の手助けになっていければ幸いです。