今まで、というか最近まで、このブログはただの私のはけ口だった
更新もあまりしなかったし、ノートに日々のことをかくこともしなかった
見てくれているひと、今はたくさんいて、
だから、責任を感じています。
きちんと文章を書くということに対して。。
自信がないけれど
暴れたり泣き叫んだり物を壊したり
暴力、暴言、
そういうことをするのは悪い方の私だし、
良いほうの私はどうすることもできないって知らんぷりをして
それを繰り返してた。
悪い方の私がしたことは良い方の私には関係ないし
いいところだけとって生きてきたんだと思う
だけど本当は知っていた
悪い方のわたしこそ、本来の自分なんだと
本来の自分、
ちいさいときに、まだ言葉も話せなかったときに
必死で祖母にわんわん言葉にならない言葉をしゃべって
泣きわめいてた、淋しい子ども。
その子をずっと置き去りにしてきた
その子を誰かに愛してほしかった
良い方の私ばかり愛されて、その子がすこし顔を出すだけで
ちかしいひとは去って行った。かわいそうだった、悪い自分。
私にしか愛されないかとも思った
そうだと思った
私のたのしい、とかわくわくする気持ちとか好奇心とかは
ぜんぶその子がもっていて
だからその子がいないと私はかなしい
その子のおかげでいろんな綺麗なものを
見つけることができるから
養護教諭になりたいと思っていたのは、
こう思う。
たしかに子どもと出会って会話とかそういったものを
したいと思っていた。でも、でもね。
小さい頃の私を、私は、きっとそのなかで見つけたかったんだと思う。
そして私みたいに、親から抱きしめられたことがない子を
ぎゅーっと抱きしめてよしよししてあげたかったんだと思う。
それで、小さい頃の私もいっしょに抱きしめてあげたかった
つらかったねかなしかったねさみしかったね
よくがんばったねもうだいじょうぶだよ
そんなことばをね、
声にして私は自分自身にも言ってあげたかったんじゃないかな。
今年の二月くらいに、そう気づいた。
小さい頃の私は、、
彼が面倒をみてくれた
たくさんあそんでくれた、私のことわかりたいって必死になって
でも決してあきらめなかった
だから私はいまここにいて、
こうしてがんばれているんです。
ここに根を張ってがっしりとした木になりたい。
それはちょっとむりかもだけど
そしてなんとなくだけど
新しく夢ができました。
本当にこっちのほうがかなうかわからない夢だけど。
同じ病気で苦しんでいるひと、そのひとを支援しているひとに
お話ができるようになりたい
それはすごい、むずかしいことだと思うけど
でもせっかく、
せっかくこの障害を持ったから。
私にしかできないことってそれだと思う。
こうして書くのをやめないこと。
それが私の今の目標です
そしていつか、その病気、当事者として
代表となれるような人間になりたいです。
うん。
だから、書くのをやめない
話すのは好きじゃないけど、
ゆっくり話すようにする
きちんと決められたようにお薬を飲む
克服する。
ひとを愛することのできる人間になりたい