要約できない人生のあれこれ

気ままに日々のこと
いきづらさを抱えて。なんでもない日常のこと。ごみ捨て場。届かない。

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普通じゃないと思うなと言われて育った

2015-08-07 16:02:19 | 日記







繰り返し、父に言われたことばだ


自分のことを特別だとおもうな、と。






私は、

宮城県の田舎で育った



小さな小学校、小学校はひとクラスだった

私の成績はいつもいちばん。

習い事はピアノとスイミングと英会話とランニングスクールと習字

あと何かやってたかもしれないけど、忘れた

習い事はなんでも卒なくこなしだけれど、

特に陸上と習字は私は得意だった

陸上は市の大会で1位になったこともあり、6年生の頃に県大会に出た。

そこでも6位で表彰台にのぼった。

習字は毎年の書初めで、市の展覧会でいつも一番上の賞である特選。

三年生のときから硬筆に加えて毛筆も作品を出すようになったが、

硬筆、毛筆、どちらも私は特選で、いつも仙台の

アエルで行われる県の展覧会に作品を出していた

一度、いちばんの賞である部会長賞をとったことを憶えている






小さな中学校

ふたクラスしかない、ちいさな中学校だった

私は英語がものすごく得意だと周りから思われるようになる

英語のスピーチコンテストは市で3位で、県大会には行けなかったけど

英語の授業、私はなぜか机を前に持っていき

私だけのプログラムを勉強していた。

みんなとは違う授業なことが多かった、それは先生が決めた

市のお金が出て、安く行くことができるホームステイに参加した

その選抜試験も通った

英語は純粋に好きだった

異文化に興味があり、それに肌でふれることのできるホームステイは

本当にたのしかった。

英検も中学の時に準二級を取って、二級をとるための勉強をしていた

挑戦してみたけど落ちてしまった。ショックだった。


中学のときの書初めも、毎年金賞で、市の展覧会でも金賞で、

県の展覧会に作品が飾られた




中学まではいろんなことを頑張っていた

ときどき息苦しくなって学校をずる休みすることもあったけど

成績がほぼオール5だったので、推薦で仙台の高校を受験し合格した。

学校を休んだ日が比較的多かったので、

それについて面接の時に訊かれるかもということで練習していたが

訊かれることはなく

作文も「出会いについて」という名目で、書きやすい内容だったから

受験はたやすいものだった。



私ははやくあの小さなコミュニティを出たかった

もっと大きな世界を見てみたかった

仙台の学校は当時学区制というものがあって

学区外だったので3パーセント枠というもので受験することが許されていた

だから受かりそうなところに願書を出した。

できるだけ募集人数が多いところに。





父は私がいくら頑張っても

私に目を向けるひとではなかった



母は褒めてはくれたが、そんなに喜んでいるようには見えなかった



じいちゃんとばあちゃんは自分のことのように喜んでくれた

私はじいちゃんとばあちゃんのことが本当に好きだった





小学生のころから

賞状は毎年、たくさんもらった

私はうれしかった

父や母に褒めてほしかった

けれどそれに見合った称賛は得られなかった

私はなんだかいつも虚しかったのだと思う


リビングでピアノを弾くと、父は嫌そうな顔をした


ホームステイの報告書が完成して、冊子になって

家族に見せたとき、父だけが見てくれなかった

アメリカかぶれしている、とすら言われた

あのころの私は、それが本当にかなしかった




事あるごとに父は私に、

自分のことを普通じゃないと思うなと言った


私は頑張りやさんだった

怒られるのが何より嫌いだったから、どんなことも頑張った



父に認めてもらいたかった

けれど父は私を認めることはなかった







そしていま

父は丸くなった

私のことを腫れ物にさわるように扱うようになった



私は普通ではなくなった

私は健常者ではなくなった、


手帳を申請するのをためらっていたのは

父だったのではないかと思う

自分の娘が障害者だと、認めることがあのひとには難しいだろう







頑張り屋さんな私を捨てたとき

私はすごく楽になった。





けれど私は今でも父の、あの言葉に縛られる

自分のことを普通じゃないと思うな、と

なぜか怒鳴られていたあの日々。


父の怒鳴り声が、世界でいちばん嫌いだった