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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
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「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」を観る

2006年03月12日 | 映画

久し振りに日本では観客動員数が余り多くなさそうな映画を観た。映画の題はメルキアデス・エストラーダの3度の埋葬で原題The Three Burials of MELQUIADES ESTRADAを直訳したものだ。上映は恵比寿ガーデンプレイスのガーデンシネマのみである。

話の粗筋は次のようなものだ。

メキシコから米国テキサス州に不法移入したメキシコ人カウボーイのメルキアデス・エストラーダは、国境警備員のマイク・ノートンに誤って射殺される。メルキアデスの親友ピート・パーキンズ(この映画の監督トミー・リー・ジョーンズが主演)は、友の変わり果てた姿を見てメルキアデスが「俺が死んだら故郷ヒメネスに遺体を埋葬してくれ」という言葉を思い出す。この事件を闇に葬ろうとした地元警察にパーキンズは怒りを覚え、ノートンを自らの手で拉致し、メルキアデスの遺体と共にその故郷ヒメネスに向かう。

途中ノートンがガラガラヘビに噛まれるといったエピソードを挿入しながら、映画は終局へ向かう。いったんは存在しないと思われたヒメネスという村がパーキンズとノートンの前に姿を現す。二人はそこまで運んできたメルキアデスを彼の廃屋の近くに埋葬する。その後の話は・・・・映画を観ての楽しみということにしよう。先が読めないというのもこの映画の魅力の一つだ。ここで結末を話てしまっては面白くないだろう。

私のワイフは「メルキアデスの死体が時々写って気持ちが悪い」「映画の良さが分からない」と言っていた。確かに変色したメルキアデスの死体が映る等気持ち悪いところがあり、食事前の良い鑑賞作品ではない。民族を超えた男の友情・正義の貫徹があり、一方で国境に近い街の性的モラルの荒廃と暴力がある。しかしそこには何か強く訴えるテーマがある。それは僕がざっと思いつくだけでも次のようなものだ。

  • メキシコと米国の間に人為的国境を作ることの虚しさ
  • 国境周辺のテキサスの町につのる廃頽感
  • パーキンズとメルキアデスの男の友情とそれを守り通す男(パーキンズ)の信念の強さ
  • テキサスとメキシコの自然の荒涼さ
  • 懺悔と許しの関係
  • 警察の事なかれ主義と自助のテキサスの精神・・・

私としては特定のテーマに拘り性急な色分けをするより、この映画の持つ迫力といったものにまず打たれることが鑑賞の第一歩だろうと考えている。

この映画には単なる娯楽映画を超えた何かがある。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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先が読めない… (PineWood)
2015-10-14 05:30:44
名画座で途中から観たので冒頭のシーンだけ観ようと思ったら引き込まれて中々切り上げられない見事な映画!死体と付き合うというシュールな狂気もあるし、気持ち悪さとか臭気とかが確かに漂う気もするがー。先の読めないストーリー展開の面白さ、映画(21グラム)にも通じる生と死の主題、そして国境を越えて幻の故郷への旅というシュチュエイション。後半、国境警備隊員が逃亡する男たちを見逃すような辺りはジャン・ルノワールの(大いなる幻影)?。女性たちや老人も寓話的。ヴィム・ヴェンダース監督の(パレルモ・シューテイング)には観念的な死神が登場するが、本編も死を巡るロードムービー、生きる事を巡る人生哲学があった。引っ越したばかりの男の台詞に(故郷は遠きにありて思うもの)があったが皮肉にも、その言葉をなぞることにー。
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