5月7,8日(土日)は両親を訪ねて京都に旅した。両親は私達夫婦の来京に合わせて、祖父(私からみて)の50回忌をするという。祖父は60代後半で亡くなったが、父が89歳まで生きているので50回忌法要が出来る訳だが、私が父の50回忌法要を行うことはありえない(仮に今父が死んだとしても私は110歳まで生きる必要がある)。
さて実家を訪ねる前に少し時間があったので、地下鉄蹴上駅から無鄰庵を訪ねてみた。なぜ無鄰菴を訪ねたか?というと、この日購入した地下鉄一日乗車券を見せると「無鄰菴の入場券が100円安くなる」というオマケがあったからだ。
無鄰菴は明治の元勲・山形有朋が作らせた庭園だ。
四角い石の枠があったので、庭師さんに聞いたところ「明治天皇が山県公に下賜された松を囲った石組み」といういうことだが、枯れてしまったというその松の子孫はどこに行ったのだろうか?
無鄰菴の建物の二階ではロシア戦争前に、山形・伊藤・桂(太郎)・小村(寿太郎・外務大臣)の四人で無鄰菴会議が開かれた。
明治の元勲で山県有朋ほど人気のない人も珍しい。私は彼に関する伝記や小説を読んでいない。知っていることは「槍の名人で奇兵隊の軍監を務めたこと」「戊辰戦争時に北越戦線で、河井継之助の率いる長岡藩と激戦し『あた守るとりでのかかり影ふけて 夏も身にしむ越の山風』の歌を残したこと」「山城屋事件という大きな汚職事件を起こしたこと」位だ。
加えて椿山荘やこの無鄰菴など名庭園を作っている。元勲とはいえ一軍人がこれ程の庭を作るカネを持っていることがおかしい、少なくとも今の感覚では。
以上のようなことから好きになれない山形だが無鄰菴の庭は美しい。この庭からはビル一つ見えず静かな東山の自然が広がっている。
無鄰菴を出て疎水を挟んで向かい側にある「琵琶湖疎水記念館」に立ち寄った。ここは京都市上下水道局が運営する無料の施設だ。ジオラマを見ると琵琶湖の水が京都市内に運ばれる全体像が分かり楽しい。
記念館の横にはインクラインの跡が残っている。
桜の季節には多くの人が歩くインクライン跡だがこの日は人影はまばらだった。
ところで今回の写真はソニーのデジタル一眼NEX5の単焦点レンズで撮影した。単焦点レンズは軽くてかさばらず小旅行にはもってこいのレンズだと思った。