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後藤又兵衛・・・

2014年08月17日 | 夏ネタ

後藤又兵衛(またべえ)は、黒田家の家臣として大いに活躍した。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも主要な登場人物の1人であり、ドラマでは塚本高史が好演している。

 後藤家は播磨の守護大名だった赤松氏の一族で、父は別所長治に仕えていたが、織田信長に逆らって主君が滅んだために後藤父子は小寺政職(まさもと)の家臣となる。ほどなく父が病死するが、名門の後藤家を存続させるため、以降は黒田官兵衛が又兵衛の親代わりとなって養育した。

 しかし、荒木村重が反乱を起こして官兵衛を有岡城に監禁すると、又兵衛の伯父・藤岡久兵衛が小寺とともに信長に反旗を翻した。又兵衛は伯父と行動をともにしたため、官兵衛が救出されると黒田家をリストラされて追放の憂き目となった。その後は仙石秀久に仕えたが、官兵衛の嫡男で兄弟同然に育った長政に呼び戻されたとみられる。

 大河ドラマでは、本能寺の変の頃に黒田家に突然舞い戻っているが、これは史実ではない。黒田家としては反逆者の又兵衛を側近にするわけにはいかず、重臣の栗山善助に又兵衛を預けている。

 その後は朝鮮出兵などで大活躍を果たし、関ヶ原の戦いでも東軍に属した長政のもとで大いに功名を挙げた。

 戦後に長政が筑前を拝領すると、又兵衛は大隈城主として1万6000石の大名に出世。ところが、豊前の細川忠興との間で年貢徴収をめぐってトラブルが起こり、細川家と通じていた又兵衛は黒田家を出奔。細川家に身を寄せようとしたために長政が猛抗議し、細川家と黒田家は一触即発の状態に陥る。やむを得ず又兵衛は細川忠興の元を離れて浪人となったのである。

 その後も武勇の誉れ高い又兵衛のもとには諸大名からスカウトの話が続々と舞い込んだが、ことごとく長政が妨害して再就職は困難を極めた。当時は「奉公構(ほうこうかまえ)」という出奔した武将の登用を禁じる制度があり、黒田長政はそのルールを利用して又兵衛の再就職を邪魔したのである。

 結局、姫路城主・池田輝政が又兵衛を迎え入れたが、長政は再三にわたって輝政に又兵衛の解雇を要求。しかし、池田輝政がこれを拒否したために徳川家康に頼んでまで又兵衛の解雇を池田に通達した。このあたり、長政の執拗(しつよう)さは恐ろしいほどで、ここまで又兵衛を憎んだ理由は諸説あるが不明である。

 その後は再び浪人となった又兵衛を豊臣家が迎え入れ、大坂の陣に参戦。奮闘むなしく、夏の陣において戦死した。ただ、生存説もあり、奈良や大分に又兵衛が逃れたという伝承が残っている。そんな説が残るほど、彼がタフな武将であったという証明だろう。 (渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)