精華よもやま話   佐々木まさひこ議員のつぶやき

京都・精華町会議員佐々木まさひこのローカル日記

政治や政府の役割を理解していない民主党

2012年03月15日 06時04分37秒 | 議会・地方自治

 先日の精華町議会、民生環境委員会でのことである。

 2012年度から、第5期の介護保険計画期になるので、65歳以上の高齢者が負担する「介護保険料」の改定が行われる。その改定=条例改正案が審議されていた時のこと。

 私たちは、33%もの値上げ(詳細は先日記事参照)は、年金額が減らされている時の負担としては問題があり、しかも高額所得者ほど「負担率が低くなる」(額は多いが)原案に対し、修正案を提案した(結果は委員会では否決)。

 普通の議員なら、「その案にも賛成できないが、33パーセントは上げすぎだ」くらいのことは言うだろうが・・・
 はっきりいって、それほどの議論はなかった。
 関心が低いのか、高齢者の負担はあたりまえと思っているのか?

 その中で、驚くような発言が・・民主党の議員から

 彼の発言は要するに「社会保障の住民負担は、サービスを受ける量に比例させるべき」というもの(「応益負担」という)。

 これは、小泉政権が進めてきた「官から民へ」「市場原理」の発想と共通している。ただ、小泉政権でさえ、この介護保険という社会保障分野では、「所得比例」という負担能力に応じた負担制度(「応能負担」という)まで壊しはしなかった。ただ、障害者自立支援法に導入された基本的考え方が「応益負担」であり、裁判にまでなった。

 応益負担は、市場原理ではあり得る。民間の保険会社は、保険の保障範囲が広くなればなるほど、その人の所得とは関係なく「保険料」も上がるものである。それはそれでいい。ある意味自己責任でもある。

 ただ、年齢を重ねることで必要となる介護を公的に提供する「介護保険」、生まれた時から、また偶然の事故で障害を持った方の生活を支える「障害者関連法制」は、どちらも民間保険のように「利益」とみなすことは適切ではない。どちらも、社会保障制度として創設・発展してきたものである。

 政治や政府の役割として、外交や通貨管理などもあるが、それだけなら安い税金で済む。
 人間が人間として尊厳をもって社会の中で生活し、それぞれの個性や能力に応じて社会貢献できる環境を整備するために政治の役割がある。そのために、税という手段で、資本主義経済で生じた「経済的格差」に応じて税率・税金の額が決まり徴収し、再配分するのである。それは、市場原理だけでは、「弱肉強食」という非人間的な社会になるからである。また、そのような社会になれば、資本主義にとってもマイナスなのである。瞬間的には、経済的に強いものが勝つが、それを繰り返していれば、儲ける相手が衰退して減少・消滅することになり、資本主義経済も破綻する。だから、資本主義経済を続ける側からも、社会保障制度は維持したいのである(ただ、その程度やあり方では、「それなりに」と考えている経済界なので、しんどい思いをしている国民とは対立するが)。

 にもかかわらず、負担はサービス(受ける利益)に応じるのが本当だのような発言なので、何のために議員になったのだろうと首をかしげたくなる。

 結果として、彼は、33%値上げの町長原案に賛成した。
 この案は、所得に応じた負担の格差があるのにである。
 責任ある議員なら、自分の発言通り、(所得に応じて)介護保険料に格差をつけない修正案をですべきではないのだろうか?

 民主党が、裁判での和解まで裏切って、障害者自立支援法を廃止せず、応益負担の仕組みを温存する「改正案」を13日に国会に提出したこととも相通ずる発想である。

 これまでの障害者団体の集会に顔を出し、「あなたたちの味方ですよ」というポーズをとっていた、(京都関係の)山井議員、前原議員、福山議員なども、結局は裏切り者なのである。

 完全な「公約違反」であり、判決無視という法治国家として許されない行為なのである。
 選挙でウソをつき、裁判所の結果も無視できるなら「何でもアリ」の政治となる。国民の政治への信頼を台無しにする行為でもある。


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