京都選挙区予定候補の成宮まり子さんのブログがおもしろいです。また、いろんな資料も見ることができますのでどしどし覗いてください。
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通信簿といえば、学校時代に試験の成績や日頃の学習態度を相対的または絶対的に評価して、学生の長所・短所を明確にすることで、個々の課題に向かい努力の指標となるものです。
ところが、この間、政党の通信簿というべきものがこの日本に存在していた。それは、経済界による評価である。
学校の試験のように問題が出され解答するイメージとはずいぶん違う。まず、評価されるのは、経済界から企業献金をあっせんしてほしい政党であることだ。政党自身で活動資金を集めたり、個々のつながりの企業・団体からの献金でまかなっているところは除外される。対象は、ずはり自民党と民主党だ。
そして、この通信簿の評価は、まず答えるべき解答が経済界から提示されるという摩訶不思議なものだ。要するに、経済界は「この分野の政策はこうしてほしい」という要望事項を各分野ごとに示すことになる。その分野ごとに、自民党と民主党が自分たちの考え方を「解答」(これでは「回答」が相応しいかも)し、経済界がそれを評価し、経済界の満足度によって献金額、ようするに企業献金のあっせん額が決まるという代物である。
憲法には、日本国家の主権者は「国民」としているにも関わらず、主権者ではない「企業」によって政治・政策が動かされるのである。まさに憲法の規定に反するといってもいい。
府県や市町村の政治家にこのことを問うと「それは中央政党のことだ」と言い逃れる人もいるだろう。だが、そんなことはない。どの政党も額の多い少ないはあっても、政党からの資金で活動している面がある。その資金には色が付いていないので、企業・団体献金であったり政党助成金であったりするのである。
憲法の規定に反するような「カネ」に頼り活動している政党が、政治を牛耳ることは、国民・住民にとって幸せなことと言えないのではないか・・・
先日、タイトル名にある映画を観た。きょうされん30周年記念で製作された物で、精神障害者の作業所を通して、地域との軋轢と融和していく様を描いたものだ。本来なら、ものすごく長い時間を要して、紆余曲折があり進展していくものだが、1時間半程度の映画では、少し飛躍的な場面もあった。
「きょうされん」は、以前「共同作業所全国連絡会」(だったかな?)という名称だったが改名された。映画も、東京から和歌山県庁に就職するために帰省した方が、地域や家族の誤解を解き、お互い理解し合うというもの。地域の方は「自分たちのふるさとによそ者が入り込み混乱している」というが、作業所側は「ふるさとを少し分けてください」という。ふるさとというものは誰もがあるはずだが、その背景には、精神障害者への理解不足で、地域にいられなかったり、家族の縁談に差し障ると言って社会的入院をさせているケースが多いので作業所の仲間たちには「ふるさと」がないことによる。
私も、議員になる前の仕事で、同じような経験をしている。「いこいの村」という施設を作るための実態調査に回った。家庭もあったし施設もあった。病院関係は大半が精神科系統のところだ。中には「ろうあ病」というありもない病名で主会的入院を強いられていた方もあった。聴覚障害ゆえに職員や他の入所者とのコミュニケーションがとれず、「分かってもらえない」ストレスで暴れたために、手足をベッドにくくりつけてあった方もいた。そういう方たちを少しでも人間らしい人生を歩んでいただくために、仲間たちと力を合わせて施設建設を進めてきた。署名活動、カンパ活動、古紙回収などでの資金集め、各行政への実態報告と協力要請などである。そういう意味からも、この映画の意味するところはよく分かる。
今では、昔ほどの偏見は解消してきたが、まだまだ存在する。
京都の地は、その分野では理解が進んでいると思う。明治時代から障害者教育に民間人が立ち上がったり、岩倉の地域では地域ぐるみで患者のケアをしてきた歴史がある。
精華町内にも作業所は存在する。その存在自身が大きな意味を持ち、地域の理解を広げていくものだ。