3月11日の大地震が起きたとき、私は東京の自宅にいた。
退院した翌日だったため、布団の中で休んでいたところだった。
最初の、グラグラという小さな揺れで目が覚めた。「すぐにおさまるだろう」と高をくくっていたら、予想に反して長い。しかも、どんどん大きくなってくる。
部屋の扉が揺れに合わせて、開いたり閉じたりを繰り返す。築15年の自宅も、ギシギシと苦しそうな悲鳴を上げている。物が落下する音も耳に入り、「人生、これでおしまいか!?」と覚悟を決めた。
数分後、ようやく静かになり、おそるおそる布団を出た。
居間では、夫がテレビの前に立っていた。「このテレビも倒れそうになったから、必死で押さえていたんだよ」と訴える。やはり、命の次に大事なテレビを守らねばと思ったようだ。
床の上には、『類語辞典』や『家庭の医学』などの本類が散乱している。娘の机の本棚からも、ファイルや映画のパンフレットなどが滑り落ちていた。神社で買った絵馬が、転がっていたのも哀しかった。
「ママ、ちょっと手伝って」
夫が台所で手招きしている。何と、食器棚のグラス類がバタバタと倒れて、下の段に落ちそうになっているではないか。
私のワイングラスが!!
お気に入りのグラスが、無様にひっくり返っており、血の気が引いた。幸い、割れてはいなかったが、こんなことは初めてだ。同僚の家では、皿が粉々になったり、植木鉢が割れたりしたらしい。震度5強の威力を思い知らされ、軽く身震いした。
しかし、震源に近い場所や、津波の被害を受けた地域の惨状は、こんなものでは済まされない。炎を上げるコンビナートや、めちゃくちゃになった建物、水びたしの街……。災害の恐ろしさに唖然とするばかりで、胸が苦しくなった。
東京で起きた大きな問題は、交通機関のマヒである。首都高は通行止め、一般道は大渋滞し、鉄道各線は運転見合わせとなった。あとから聞いたことだが、私の勤務先でも約20名の同僚が帰宅手段を失い、職場に泊まり込んだそうだ。寝具もなく、洗面や入浴に事欠き、長い夜を過ごしたことと気の毒になる。
姉も、従業員と一緒に、事務所に泊まり込む覚悟を決めていたようだが、地下鉄が復旧したのでどうにか帰れたという。こちらは運がよかった。
翌12日には、JR各線、私鉄各線も運転を再開し、交通機関が復旧したかに見えた。
ちょうど、前の晩から気になる症状があり、病院に行こうかどうか迷っていたところである。「復旧したのなら出かけよう」と甘く考え、駅に向かった。
私鉄はほぼ通常通りの運行で、難なく池袋に到着した。しかし、JRに乗り換えるところでつまずいた。大宮方面は、少ない本数に乗客が殺到し、大混雑してホームに入れない。ならば、埼京線を諦め、山手線から田端に出て京浜東北線でと思ったのだが、大差はなかった。
15分に1本ほどの電車をひたすら待ち、いざ乗ろうとしてもすでに満員だ。せいぜい4人ほどしか入れない。病院の外来受付は、11時半に終了する。何本も何本も見送り、結局間に合わなかった。
私は泣く泣く診察を諦め、家に戻った。「夫に車を出してもらえばよかった」と後悔しても遅いのだ。
姉も、復旧が遅れたJRに腹を立てていた。ちょうど、姉の夫はJR東日本の社員である。「根性ねえな、JR!」などと苛めたらしい。
でもまあ、被災地の方の惨状を思えば、何のこれしき……。
クリックしてくださるとウレシイです♪
※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
退院した翌日だったため、布団の中で休んでいたところだった。
最初の、グラグラという小さな揺れで目が覚めた。「すぐにおさまるだろう」と高をくくっていたら、予想に反して長い。しかも、どんどん大きくなってくる。
部屋の扉が揺れに合わせて、開いたり閉じたりを繰り返す。築15年の自宅も、ギシギシと苦しそうな悲鳴を上げている。物が落下する音も耳に入り、「人生、これでおしまいか!?」と覚悟を決めた。
数分後、ようやく静かになり、おそるおそる布団を出た。
居間では、夫がテレビの前に立っていた。「このテレビも倒れそうになったから、必死で押さえていたんだよ」と訴える。やはり、命の次に大事なテレビを守らねばと思ったようだ。
床の上には、『類語辞典』や『家庭の医学』などの本類が散乱している。娘の机の本棚からも、ファイルや映画のパンフレットなどが滑り落ちていた。神社で買った絵馬が、転がっていたのも哀しかった。
「ママ、ちょっと手伝って」
夫が台所で手招きしている。何と、食器棚のグラス類がバタバタと倒れて、下の段に落ちそうになっているではないか。
私のワイングラスが!!
お気に入りのグラスが、無様にひっくり返っており、血の気が引いた。幸い、割れてはいなかったが、こんなことは初めてだ。同僚の家では、皿が粉々になったり、植木鉢が割れたりしたらしい。震度5強の威力を思い知らされ、軽く身震いした。
しかし、震源に近い場所や、津波の被害を受けた地域の惨状は、こんなものでは済まされない。炎を上げるコンビナートや、めちゃくちゃになった建物、水びたしの街……。災害の恐ろしさに唖然とするばかりで、胸が苦しくなった。
東京で起きた大きな問題は、交通機関のマヒである。首都高は通行止め、一般道は大渋滞し、鉄道各線は運転見合わせとなった。あとから聞いたことだが、私の勤務先でも約20名の同僚が帰宅手段を失い、職場に泊まり込んだそうだ。寝具もなく、洗面や入浴に事欠き、長い夜を過ごしたことと気の毒になる。
姉も、従業員と一緒に、事務所に泊まり込む覚悟を決めていたようだが、地下鉄が復旧したのでどうにか帰れたという。こちらは運がよかった。
翌12日には、JR各線、私鉄各線も運転を再開し、交通機関が復旧したかに見えた。
ちょうど、前の晩から気になる症状があり、病院に行こうかどうか迷っていたところである。「復旧したのなら出かけよう」と甘く考え、駅に向かった。
私鉄はほぼ通常通りの運行で、難なく池袋に到着した。しかし、JRに乗り換えるところでつまずいた。大宮方面は、少ない本数に乗客が殺到し、大混雑してホームに入れない。ならば、埼京線を諦め、山手線から田端に出て京浜東北線でと思ったのだが、大差はなかった。
15分に1本ほどの電車をひたすら待ち、いざ乗ろうとしてもすでに満員だ。せいぜい4人ほどしか入れない。病院の外来受付は、11時半に終了する。何本も何本も見送り、結局間に合わなかった。
私は泣く泣く診察を諦め、家に戻った。「夫に車を出してもらえばよかった」と後悔しても遅いのだ。
姉も、復旧が遅れたJRに腹を立てていた。ちょうど、姉の夫はJR東日本の社員である。「根性ねえな、JR!」などと苛めたらしい。
でもまあ、被災地の方の惨状を思えば、何のこれしき……。
クリックしてくださるとウレシイです♪
※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
この日、教え子が手術を控えていました。
麻酔をかける前に、地震がきたそうです。
しかし、手術に支障はなく、無事に終えることができました。
今は結婚して、妊娠7カ月です!
被災地でも、出産を控えた方は心細かったことでしょう。
震災では、たくさんの方が亡くなりました。
その分、たくさんの子供が生まれるといいですね。
3月9日の地震で仙台の友人に、安否を気遣うメールを送ったばかりです
テレビには半年前に訪れた国道45号線沿いの
知っている町がすべて、被災していました
昨年夏と今年の4月、被災地を広範囲に撮影してきました
大丈夫??
家が壊れたと聞いたので、避難所生活をしているのかな?
人の善い面は見たいけど、醜い面はなるべく見たくないものだね。
でも、選べないからツライと思います。
何か手伝えることがあれば、言ってください。
こんなときに何だけど、ファイナライズできたよ(笑)
ひとまず、普通の生活を取り戻せるよう、お祈りします。
そうでしたか。
何しろこちらは5分に1本でも少ないと感じるので、15分も待たされた挙句乗れないなんて拷問です。
でも、被災地の方を思えば、文句を言えないですね。
辛抱我慢!!
ガソリンが売り切れのため車に頼れず、電車があてにならないとくれば、自転車にすがるしかないですね。
娘の自転車を修理に出しました。
でも、自転車屋も大混雑でした。
みなさん、考えることは同じなんです(笑)
あんな強い揺れは初めてで、人間の無力さを実感した経験だったね。
失礼、みなさんご無事で 本当によかったです。
もちろん被災地の方は大変だけど、
都心の方も 遠距離を移動しないといけないのは大変です。
食糧や日用品も品薄と聞くし、体調を崩されないか 心配です。
インタビューも、多数の中から何人かを選ぶのでしょうが、その方の受け答えがピカイチですね。
何しろ、首都圏の人間は待つことが大嫌いですから、考え方を変える一言だと思います。
でも、私は待つ自信がない…。
自転車だと90分くらいで行かれるんですよ。
電車だと60分だから、ちょっと早めに出るだけで安心できると睨んでいます。
雨が降ったらどうしよう…。
その辺が悩みですね。
しょうしみんさんも無事でよかったです!
車で移動するお仕事の方は、商売上がったりですね。
昨日朝の吉祥寺駅周辺は、パニック映画のワンシーンみたいで不気味でした。
どこから集まってきたのか? というくらいの人人人でしたからね。
17日から出勤することにしました。
本当は今日から出ようと思っていたのですが、体調と交通状況を天秤にかけると、ちと無理かと。
多少は落ち着くことを祈る限りです。
長蛇の列の長いこと長いこと。
たぶん、明日もそうなるのではないかと思っています。
テレビ局の報道スタッフが駅にいた人にインタビューをしていましたが、こんなことを言った人がいました。
「待つくらいはねえ。仙台の人はもっと大変でしょ?」
何気ない台詞でしたが、心温まる想いでした。
いやいや無事で何よりです。
でかかったですね~、地震。おさまってからも数分は揺れてる感じがしてましたよ。自然の脅威というやつですね。
大変な一日だったようで。お疲れ様です。落ち着くまでは等では避けたほうがよいかと…。
車出すってもガソリンが手はいらない。こっちはそのせいで仕事になりませんぜ(泣)
まあ落ち着くまで、辛抱、辛抱。。。
温かいお言葉、ありがとうございます。
思ったよりも回復が遅く、もうちょっと休むことにしました。
首都圏の悲惨な通勤状況は続いています。
いや、悪化しているかもしれません。
この体調でメチャ混み電車に乗ったら、帰って来られないのではと心配になります。
自転車だと90分くらいなんですよ。
体力を回復して、自転車で行こうかしら…。
被災地の方は、ご家族を失ったり避難所で不便な暮らしを強いられたりで、おつらいことでしょうね。
一日も早く、いい方向に向かってほしいものです。
お身体を労わって無理されませんように。
被災地の方々のことを思うと本当に胸が苦しいです。
これ以上の被害がありませんように。。。
はい、首都圏のもろさといったらないです。
今朝も計画停電で交通機関が大混乱です。
車もガソリンがなければただの箱になっちゃいますね。
たまには自転車もいいですよ(笑)
私も、そろそろ仕事に復帰する予定なんですが、電車に頼れないですね。
自転車で行こうかしら。
1時間半あれば着きます。
病み上がりなのに~(泣)
夫は大事なテレビを守れて満足だったようです。
ながーいコメントありがとう(笑)
南海トラフ地震?
せめて、混乱している今は来ないでもらいたいものね。
富山は災害が少ないらしいけど、それはそれでいいことだね。
東北には以前にも大きな地震があったけど、まったく何もない地域もあるだろうし。
災害には公平性なんかないから。
被災地付近に住んでいる人には、逆にメールしづらい気がするな…。
もし私が被災していたら、メールの返事をするのが面倒だと思う。
心配だけど負担をかけちゃいけないから迷うね。
夫はふせっている妻よりテレビを選んだのよ(笑)
私も心配しなかったから、人のことは言えない。
ご無沙汰しております!
貴男も無事で何よりでした。
カメラマンは戸外での仕事も多く、危険と隣り合わせなのではと思います。
どうぞ、お気をつけて…。
旦那さんは砂希さんよりテレビが大事だったのでしょね。
こちらは物が落下するまでではなかったので東京のほうが揺れたようですね。
電車も電気がなければ走れないので首都圏は災害にもろいですね。
私は車移動ですが、ガソリンが売り切れになっていて困ってます。
停電に備え物資の補給をしたいと買いに行ったが、ホームセンターでは物が何もなくなりました。
みんな同じことを考えているようです。
昨日1日ずっとテレビの前に座りLIVE映像や何度となく繰り返される津波の映像を観て…放心状態で食い入るようにテレビに向かってました。こんなに真剣にテレビに向き合った事は記憶にないくらいです。この地震で誘発されると一部の専門家の間で噂されてる南海トラフ地震…今の地震をはるかに越える被害が出るって言ってました。
ここ富山は地震を含めて災害が殆どなくて災害意識が日本一低いそうです。
家のすぐ裏を大きな活断層が走ってるらしく後30年内に地震が起きるであろうと言われてます。俺自身も消防団に入ってるにも関わらず防災意識の低さを感じました。
先生、本当に生きてて良かったじゃん!俺、今までマイミクだった人(覚えてる人だけ)にメッセージを送ったよ!幸い全員返事くれました。本当に良かった良かった!
……しかし先生の旦那は先生やミキちゃんよりテレビが大事やし…先生は旦那よりワイングラスが大事なんだとわかりました。ちなみにミキちゃんは…あっ、サックスか?(笑)