OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

久しぶりにわくわくする本

2005-02-11 17:45:33 | 本と雑誌

 久しぶりにわくわくする本を読みました。

 一昨年、会社の研修で約半年間、妹尾堅一郎先生(東京大学特任教授・先端科学技術研究センター)にご指導いただきました。その妹尾先生の著書の中に、稀代の「読みの達人」として、加藤周一氏、立花隆氏、松岡正剛氏の三氏があげられていました。
 誠に恥ずかしながら、私はいままでその三氏の本は全く読んだことがありませんでした。(新聞等に掲載された評論等は目にしていましたが)

 今回、たまたま出張で羽田空港の書店に行った際、立花隆氏の「脳を鍛える」という文庫本が目に止まりました。

 立花隆氏の著作としては軽い部類のものだと思いますが、私レベルが読んでも、(ちょっと中だるみ的なところもありましたが)確かにこの人はすごいと思えるものです。
 本の批評をするほどの力量は全く持ち合わせていないので、今日はご紹介だけです。

脳を鍛える―東大講義「人間の現在」 (新潮文庫)
立花 隆
新潮社

 

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鶴岡

2005-02-11 17:37:11 | 日記・エッセイ・コラム
 1年ほど前の経験。

 庄内空港から鶴岡市内までの途中に、あたりの人口点在度と不具合な郊外型大規模店舗が見えた。それと反比例するように市の中央部には全く活気が見られない。
 何故、典型的な衰退傾向の地方都市に、慶応大学は研究施設としてのタウンキャンパスを作ったのか。
 施設建設をプロデュースした妹尾教授曰く、「誘致を訴える市長の教養が決めてだった。」

 市の若手課長は、バイタリティに溢れ幾多のプロジェクト・イベントを推進している。地方都市の公務員のイメージとは程遠い。往年の名横綱柏戸の親戚とか。

 地元の高校校長を辞した後、廃校・取り壊し予定だった校舎を利用し、地元のお年寄りの方の「生涯学習」の場をつくりあげた方もいた。自分と同い年ぐらいの方は、若いころ勉強したくてもできなかった。みんな集団就職とかで働きに出た。自分は幸いにも親が上の学校に行かせてくれた。あのころ、勉強したくてもできなかった同年代の方の、そのやる気に応えたいと言う。

 生涯学習施設「里仁館」

 鶴岡。「雷」と「絹」、「たそがれ清兵衛」。




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負荷分散 -1-

2005-02-11 17:23:10 | ブログ
 負荷分散には、2つの方法があります。ひとつは「時間」による負荷分散で、もうひとつは「空間」による負荷分散です。

「時間」による負荷分散

 「時間」による負荷分散は、具体的には業務の「プライオリティ (優先順位)」付けです。

 「プライオリティ」を考えて仕事に取り組むのは当たり前のことですが、実際の仕事現場ではときおり優先順位付けに混乱が見られます。

 まず、先に手をつけているからといって、優先順位が高い訳ではありません。

 また、上司から言われたオーダだからといって、優先順位が高い訳でもありません。指示元の役職の高い順に業務のプライオリティが決まるものではないのです。

 部長からの懇親会の場所探しの指示と、課長からのこれからすぐ始まる会議の資料準備の指示とではどちらが優先順位が高いでしょう。会議の準備そっちのけで、ホームページで飲み屋さんを探していたら・・・

 新しいオーダがきた時には、現在かかえている業務とどちらを優先したらいいか判断しなくてはなりません。もし、自分で判断できない場合は、オーダを出した人にそのオーダの重要性や期限を確かめ、現在かかえている業務との優先順位付けのアドバイスを求めることが重要です。

 オーダを受ける方には申し訳ないのですが、上司は、担当の方一人一人のその時点での業務負荷までは細かく知らないものです。


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そうすると仕事は増える

2005-02-08 23:44:28 | ブログ
 「来るものは拒まず」の姿勢で物事に取り組むと、当然やるべき仕事はどんどん増えていきます。しかしながら、通常は仕事が増えたからといってすぐに人が増えたり体制が充実したりすることはありません。

 時間は有限ですから、体制がそのままで仕事が増える場合、その対応策は2つしかありません。
  ① 負荷分散する
  ② 仕事の処理スピードを上げる

 つまり、やるべき量を調整するか、ひとつの仕事を早く済ませるかです。


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どうせやるなら「自分が親分」

2005-02-06 12:56:08 | ブログ
 自分が仕事を受けたとき、どうせやるなら「自分が親分」になった方が結局のところ「いいことは多い」ものです。

 自分が音頭を取れば、仕事のプロセスを自分でコントロールできます。スケジュール(課題検討の期限等)も自分のペースを勘案しながら設定できますし、自分がとりまとめ役をしていれば、結論の方向性もある程度自分の考えている方向にリードすることができます。

 実際、スケジュールにしても結論にしても、とりまとめ役がつくる原案にかなりの部分規定されるものです。また、意見が対立するときも、最終的には、とりまとめ役であれば自分の考えを押し通しやすくなります。

 課題をWG形式で検討するときは、通常とりまとめ役は「事務局」と位置づけられます。が、ときに「事務局」は「ホッチキス」になる場合があります。すなわち、WGのメンバに課題を割り振って、その検討内容・結果をただ単に「ホッチキス」で綴じてアウトプットにするのです。
 別にそういう形で解決できる程度の課題であれば、ひとつの方法だとは思いますが、本来の事務局はもっと生産的・指導的役割をもつべきです。

 具体的には、ある課題について、
   ①検討項目の抽出
   ②検討責任者のアサイン
   ③検討スケジュールの決定
   ⑤議論のリード
   ⑥意見調整
   ⑦検討結果のとりまとめ
等の役割をこなす必要があります。そして、それらを期限内に効率的に進めていくため強力なリーダシップを発揮すべき立場にあります。

 役所の検討会の事務局といえば、もろもろの庶務・雑務の下働き的色合いが濃いように感じますが、本来「事務局」は主役なのです。偉いのです。実権力を握っているのです。実際、事務局になると、あれこれ細かしい業務にかかずらわったり関係者間の利害関係の調整等に走り回ったりと確かに大変ですが、それに余りあるメリットがあります。その役目をきちんと果たせば、関係者からの信頼を得られますし、自分たちとしても自信になり、仕事の達成感も格別のものになります。

 自分が直面している課題解決のためには、進んで手を上げる価値があるものだと思います。


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来るものは拒まず

2005-02-05 20:30:39 | ブログ
 仕事に取り組むとき、時折、仕事の割り振りで、これは誰の仕事かということを議論することがあります。その際、私がいつも意識しようと心がけていることは、「仕事をやって悪く言われることはない」という気持ちで取り組むということです。

 「5分5分」で他部門の仕事だと思ったら、その仕事は引き受けるべきです。「6分4分」で他部門の仕事だと思っても、そうです。

 人は知らず知らずのうちに自分に甘く、都合よく考えるものです。したがって、自分が「5分5分」だと思う場合は、間違いなくニュートラルに見て「自分の仕事」です。「6分4分」でもそうでしょう。「7分3分」ぐらいでようやく半々、「8分2分」になると、さすがに人に仕事だと思います。
 
 この考え方は、以前私が支店に出た際、その支店の支店長から教わったものです。

 仕事が来るのは、「自分が頼られている」からだと、自惚れて良いように考えましょう。人は自分に影響のあることを頼む場合には、頼りにならない人には頼みません。「あいつなら、まあなんとかやってくれるだろう」と思った人に仕事を回すものです。

 考えてみると、仕事が来なくなったら「失業」です。仕事があるだけでもありがたいことです。

 「来るものは拒まず」は商売繁盛ということです。


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無い袖は振れない

2005-02-04 22:18:56 | ブログ
 前回と同じように、仕事を進めていく上で複数の人(組織)に関係するある「課題」があり、その課題の解決が進まないとき、その原因としてもうひとつの場合があります。

 それは、解決すべき人(組織)に「解決するだけの知識・スキル・行動力等課題解決能力がない」場合です。
 
 この場合は、いくらそちらが解決すべき課題だろうといってもだめです。いわゆる「無い袖は振れない」状態です。「べき論」を振りかざしても何の解決にもなりません。
 
 こうなると、ともかく「解決できる力のある人(組織)」がやらざるを得ないのです。


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困らない人は動かない

2005-02-01 23:41:32 | ブログ
 仕事を進めていく上で、複数の人(組織)に関係するある「課題」があったとします。その課題の解決が進まないとき、しばしば、関係する人(組織)に対して「どうして課題解決に動かないのだろう?」と不満に思うことがあります。

 そのようなときには、課題の解決がその人(組織)にどれだけ重要なことか、緊急なことかを、相手の立場に立って考えなくてはなりません。

 人は、自分が困らない動きません。本気になりません。これは至極当たり前のことです。

 したがって、そういう場合には、いくら(困らない)人に頼っても無駄です。結局、「最後に困る人」が本気で取り組まざるを得ないのです。それが自分であれば、やはり自分がともかく動くしかないのです。


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