本書で著者が薦めているのは「五感」を大切にする生き方です。
「話す」「聞く」「見る」「書く/読む」「食べる」「捨てる」「触れる」「育てる」の8つの章で、そのための具体的な練習法を紹介しています。
たとえば、「聞く」の章では、「ひとつの音に集中する」。
普段気にしていない音に集中し、そこに含まれる微細な変化に気づくことは「諸行無常」を感得することでもあるのです。
そして次の「書く/読む」の章では、インターネット上のコミュニケーションが材料にとりあげられています。
(p109より引用) 十善戒には「不綺語」つまり無駄話をしないことが含まれています。無駄話とは、基本的に、相手にとって有意義でない話、それを聞かされた側が社交辞令的な相づちをしなくてはいけないものとされていますが、現代は、ますます無駄話が増えているような気がいたします。
まさにブログやSNSではそういう傾向がありますし、twitterではさらにそれが強まっていますね。
(p109より引用) こうした無駄話の背景に何があるかというと、「人に受け入れられたい」「人に嫌われたくない」という「慢」の欲です。
この「慢」の欲が満ちてくると、無理にブログの記事を書いたり、相手が書いていることに興味を抱かなくても興味を持っているかのようなコメントを返したりと、「自分の気持ちに嘘をつくようになる」と著者は説くのです。こういったことの繰返しは「苦」を増すことになり、さらには「無慚」(恥の意識を持たない煩悩)に至るのです。
(p116より引用) インターネットは、単に自分の心が疲れるか疲れないかを判断基準にしながら、距離をおいてつき合うのがよろしいかと思います。
また、「触れる」の章では、「集中力が切れたとき」の対処法を紹介しています。全身を通じた触覚を活用するのです。
(p159より引用) 普段は顧みない、ささいな感覚に注意を向けてみることが、心をコントロールする際の重要なきっかけとなります。
触れている感触に意識を集中させることにより思考のノイズの拡散を妨ぐ、そうすることで精神が統一され意識がシャープになります。
「五感」によるインプットから「嫌という感情」へ繋がる脳の暴走を止める方法は、暑い・寒い・痒い・痛い・・・といった情報の入口のところで、その感覚そのものに集中し、それをよく感じ取ることだと著者は説きます。五感そのもの、すなわち「単なる情報」という段階で放っておくのです。
最後の章は「育てる」。「慈悲の心」を育み、自らを育て、他者を育てる訓練です。
(p178より引用) 誰かのために悲しんでいる時も、自分を背後から操る煩悩の糸を見つけて断ち切ることです。感情におぼれて嘆くという、優しい「つもり」をなくしてしまうことです。
自分の中の「見」や「慢」に支配されないことが第一歩。ひたすら相手が穏やかであり続けることを念じる「慈悲の心」です。「厳しい優しさ」でもあります。
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