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兵法の道 (五輪書(宮本武蔵・鎌田茂雄))

2006-08-13 14:04:57 | 本と雑誌

 五輪書の初巻「地之巻」の巻末に、以下のような兵法を学ぶにあたっての心得が記されています。

(P85より引用) 我兵法を学ばんと思ふ人は、道をおこなふ法あり。
 第一に、よこしまになき事をおもふ所
 第二に、道の鍛錬する所
 第三に、諸芸にさはる所
 第四に、諸職の道を知る事
 第五に、物毎の損徳をわきまゆる事
 第六に、諸事目利を仕覚ゆる事
 第七に、眼に見えぬ所をさとつてしる事
 第八に、わづかなる事にも気を付くる事
 第九に、役にた丶ぬ事をせざる事
大形如此理を心にかけて、兵法の道鍛錬すべき也。此道に限りて、直なる所を広く見たてざれば、兵法の達者とは成りがたし。

 「物事の利害損得を知ること」や「役にたたないことはしないこと」といった心得は、武蔵の合理的姿勢を表わすものです。
 さらに武蔵は、兵法の鍛錬のみに止まらず、実直であることや、広く多芸や職能に触れることも併せて薦めています。

 さて、五輪書の「水之巻」以降、兵法の道に至る具体的な教えが書き連ねられていますが、その中でも基本のひとつは「心持」についてです。
 武蔵はこう諭します。

(P92より引用) 兵法の道において、心の持ちやうは、常の心に替る事なかれ。常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。

 心は、真ん中に置くべきと言っていますが、それは「固定」することではありません。
 常に流動自在な状態にしておく、それにより、どんな状況に置かれようと心はそれに柔軟に対応して、(結果として)心持ちは安定し続けられるようになるのです。

 さらに、この点、訳者の鎌田氏によれば、武蔵の「常の心」はまさに武蔵流だと言います。

(P99より引用) 柳生宗矩は沢庵から禅の指導を受けていたため、平常心というものを禅の立場から説いたが、武蔵の『五輪書』の平常心は平常心ではなくて、平常身であることに注意しなければならない。
 平常心が観念的であるのに対し、平常身は具体的である。「常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする」ことが一番大切であると武蔵はいうのである。戦いの場において常の身を保つには、朝鍛夕錬の修行によって身を鍛えあげておかねばならないのである。身が感じ、身が思うようにならなければ武蔵のいうことは分からぬ。

 ちなみに、柳生宗矩の平常心については、以前よんだ「兵法家伝書」にも記されています。

五輪書 五輪書
価格:¥ 903(税込)
発売日:1986-05

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