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国家の品格 (藤原 正彦)

2006-08-10 22:02:03 | 本と雑誌

 ふとっちょパパさんのBlogでも紹介されています。
 言わずもがなの大ベストセラーです。

 著者の主張は明確で、立論の構成もシンプルなので、際立って読みやすい本でした。
 (立論の根拠やロジックが十分に首肯できるか否かは別としてですが)

 「品格」云々の主張はともかく、私がなるほどと感じた部分をいくつかご紹介します。

 まずは、「論理の出発点」についてです。
 著者は、本書で幾つかの点で欧米批判を展開していますが、かといって、それらの国の主義主張における「論理性・合理性」を否定しているわけではありません。

(p95より引用) 論理とか合理を否定してはなりません。これはもちろん重要です。これまで申しましたのは、「それだけでは人間はやっていけない」ということです。何かを付加しなければならない。その付加すべきもの、論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの、それが日本人の持つ美しい情緒や形である。それが私の意見です。
 論理とか合理を「剛」とするならば、情緒とか形は「柔」です。硬い構造と柔らかい構造を相携えて、はじめて人間の総合判断力は十全のものとなる、と思うのです。

 「論理的に正しい」ということと、その「結論が正しい」ということは、全く別のものです。
 (これは言われてみれば至極当たり前のことですが、しばしば短絡的な誤解や混乱を生み出します。)
 「論理は、出発点が異なると結論も異なる」、「出発点が間違っていると、論理が正しくても導かれる結論は誤ったものになる」、したがって、「出発点」の規定が最も大事だと主張しているのです。

(p149より引用) 欧米人のように「論理的にきちんとしていればよい」「筋道が立っていればよい」という考えは、今まで述べてきた通り、誤りです。万人の認める公理から出発する数学とは違い、俗世に万人の認める公理はありませんから、論理を展開するためには自ら出発点を定めることが必要で、これを選ぶ能力はその人の情緒や形にかかっています。・・・実社会では普通、誰の言うことも一応、論理的には筋が通っているものです。メチャクチャなことを言うのはよほどオカシイ人だけ。まあ、そういう人もけっこういますが、普通の人の言うことなら一応、論理的な筋だけは通っている。
 そうした「論理的に正しい」ものがゴロゴロある中から、どれを選ぶか。その能力がその人の総合判断力です。それにはいかに適切に出発点を選択できるか、が勝負です。別の言い方をすれば「情緒力」なのです。

 この「出発点」は「世界観/価値観」です。
 著者は、自己の世界観/価値観の根本に「情緒」や「惻隠」を置いています。これも一つの考えではあります。
(こういった「世界観」については、このBlogでも「無意識の世界観」とか「相対化」の項で触れたことがあります)

国家の品格 国家の品格
価格:¥ 714(税込)
発売日:2005-11

コメント
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