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学問への「情熱」 (職業としての学問(M.ウェーバー))

2006-06-28 01:28:35 | 本と雑誌

 先の「職業としての政治」に続いて、ウェーバーです。

 この本は、ミュンヘンの学生集会における講演が元で、その後、単行本として出版されたものです。当時のドイツ国内は第一次世界大戦直後の動揺期にあり、学生達は既存秩序に対する不信感を抱いていました。
 そういった学生を前にして、ウェーバーは熱弁を振います。

 まずは、学問を志す上での一途な姿勢、すなわち「情熱」についてです。

(p24より引用) 学問に生きる者は、独り自己の専門に閉ぢ籠もることによつてのみ、自分はここに後々にまで残るやうな仕事を成し遂げた、といふ恐らく生涯に二度とは味はれぬであらうやうな深い喜びを感ずることができる。・・・だからして、謂はばみづから遮眼革を着けることのできない人や、また自己の全心を打込んで例へば或る写本の或る箇処の正しい解釈をうることに夢中になるといつたことのできない人は、先づ学問には縁遠い人々である。

 ウェーバーは、重箱の隅をつつくに似たぐらいの専心を求めます。学問に生きる者には、このような一途な「情熱」が不可欠だと言います。そして、その情熱が学問上の「霊感」いわゆるインスピレーションを生み出します。

(p25より引用) 勿論情熱は所謂「霊感」を生み出す地盤であつて、この「霊感」といふものは学者にとつて決定的なものなのである。

 「霊感」は、何もせずして得られるものでもなく、また、得ようと思ったときに自在に得られるものでもありません。
 常日頃から全力で学問に取り組んでいる人のみが、それを得る資格を手にします。

(p25より引用) 実験室でもまた工場でも、何かしら有意義な結果を出すためにいつも或る-然もその場に適した-思ひ付きを必要とするのである。とは言へ、この思ひ付きといふものは無理にえようとしても駄目なものである。勿論それは単に機械的な計算などとは凡そ縁遠い。・・・
一般に思ひ付きといふものは精出して仕事をしてゐるやうなときに限つてあらはれる。

 ただ、この「霊感」も努力をしている人全てが得られるものではないようです。

 教師として大学に職を得ることも、「運」が大きく左右するのと同じく、「霊感」を得て偉大な業績を残すか否かも、かなりの部分「運」によると言います。この心情の昇華ができないと・・・ちょっと学問に生きるのも辛いです。

(p27より引用) 作業と情熱とが-そして特にこの両者が合体することによつて-思ひ付きを誘ひ出すのである。・・・然しそれは兎も角、かういつた「霊感」が与へられるか否かは謂はば運次第の事柄である。学問に生きる者はこの点でもかの僥倖の支配に甘んじねばならぬ。優れた学者でありながらよい思ひ付きをもちことができない人もあるのである。

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