「ふるさとの話」 平成28年11月号

2019年11月21日 | ふるさとあれこれ
こんどの土日は大感謝祭です。
ジャガイモの準備は出来たかな。おもてなしの準備は出来たかな。直前ハガキは今日届い
たかなと思いつつ、店のまわりのノボリも立て替えますね。

その時です。
リ~~と電話が鳴ります。「売り出しに行きたいけれど、私は車乗れないの。連れのA
さんに乗せてもらおうと頼んだのよ」とTさんからです。

『ありがとう。去年と同じですね。連れのAさんと一緒においでよ』と返事をします。
「それが、Aさんは案内状が来てないから行けないわ~とおっしゃるのです。アトムさん
はAさんちには出してないの」と言われますね。

滅多にないことですが、連れの友達のお方が当店のお客さまでなかったり、長らく何年も
お取引がなくって今年は案内状を送ってないこともあります。

Tさんにご来店していただくために、
『分かりました。明日でもAさんちを訪ねてお願いしておきますから』と伝えます。

「感謝祭に送迎してもらえないかな~」と言われるよりも良いです。明日は案内状を持って、Aさんちを訪
ねて頼んでみます。




ふるさとの話㉑ 十一月号

昔の国府では、自分で自分をほめることを「手辺(てへん)座だ~」と言ったそうです。
今月のふるさとの話は、今から百年前、大正の手辺(てへん)村、現在の日高町府市場
のにぎわっていた頃の話です。
クイズのヒントも隠れています。

「匂うふるさと」
一冊の本があります。
母と同級生だった菅村駅一さんが書いた「匂うふるさと」という本です。

母に贈られた本です。
本には、菅村さんの生まれ育った大正の昔、懐かしい「手辺村」のようすです。
 
水生城を陥落させ但馬守護となった羽柴秀吉の弟、秀長が、国府の地で追鳥狩に興じてい
た時「あれは何者の居ぞ」と、自らの「手」で「辺り」を指さします。
そこから「手辺(てへん)」と名が付きました。

「国府市場(こうのいちば)」や「手辺市(てへんいち)」が開かれたこの地域は、江戸
のころ府市場、府中新はもちろん堀村までを手辺と呼んでいました。

大正のころの手辺村には商店が建ち並び、それは賑わった通りでした。
夏冬の大売り出しには、道路の両側に他町村からの露店が並び、押すな押すなの人の波、
国府の人たちは何でもそろう手辺の店を利用していました。

手辺村の商店
村の入り口から商店が並びます。
人力車の「口入れ屋」、長吉さんの散髪屋は「床長(とこちょう)」、おトミさんの「髪
結い屋」、中島の「木賃宿」、よろず屋の「田結庄商店」、松原芳造さんの魚屋「魚芳
(うおよし)」が並びます。

戸田の「下駄屋」、菅村の「生糸屋」、西田の食堂「辰巳亭」、その隣は「しっかい屋
(和服生地の洗い張り)」、大阪から来た「洋服屋」、神代印の「肥料店」、酒場「一二三屋
(ひふみや)」、間貸しの「宿舎」、小田垣の「米屋」が続きます。

酒とたばこ屋の「竹馬(たけば)商店」、荒物の「谷原商店」、江原と豊岡に自転車店を
出した「中島豆腐屋」、藤原春二郎さんの魚屋「魚春(うおはる)」、ようかん製造販売
の「伊佐屋(いざや)菓子店」と何でもそろう店々が続きます。

さらに、保田要三郎さんの散髪屋「床要(とこよう)」、村尾老夫婦の作る「しん粉屋」、
戸木の「こうもり傘の修繕屋」、なぜか風呂屋と呼んでいた「上村散髪店」、田舎では珍
しい本格的な製造菓子店の「八代(やしろ)菓子店」です。

今井さん夫婦は「米屋」と「宮大工」、永柳(えいりゅう)さんの「竹かご屋」、葛原
(くずはら)さんの「こうり編み(柳行李の入れ物)」と製造販売も盛んでした。
 
ちきり屋と呼んだ「小林種物店」、カイコの産卵は菅村の「種蚕屋」、魚屋の「明石屋」、
芸者さんがいた「花屋」、義太夫節が聞こえる「ちくぜん」、いづしごう屋が屋号の橋本の
「造り酒屋」、腕のいい甚助さんは「指し物師」、青ノリせんべいの「戸田菓子店」、
染物屋の「半七ごう屋」はいつの間にか「宮下呉服店」になっていました。
 
たばこ屋の「本国眼」は国眼家の本家、隣に府中郵便局です。
戸田いそさんの「駄菓子屋」、田結庄の装具屋は「下丹後屋」、天野の「石碑屋」、宮田
の「宮田製めん屋」、役場を退職後に開業した戸田さんの「ホシの薬屋」、春吉じいさん
の「太田垣げた屋」、魚屋だった竹森清太郎の店が「牛肉屋」になりました。

手辺村の最後は、屋号がうらまちごう屋の「中島染め物屋」です。

府中新の商店
さらに、同じ手辺と呼んでいた府中新村には、府中銀行までの街道に「時計屋」、「新聞屋」、
「肥料店」、「陶器店」、「雑貨屋」、「薬品店」、「農具屋」、「豆腐屋」、「げた屋」、
「銭湯」、「食堂」、「大工」、「しっかい屋」、「車夫」、「髪結い」、「漆師」、
「傘ちょうちん屋」、「おけ屋」が続き、堀村の村役場や登記所まで商店がありました。

大正時代の国府の中心地「手辺」の一大商店街でした。

手辺座
昔の数え歌に、「七つとせ なんでもまねする 手辺村 城下のまねして 町造り 町づく
り」という歌がありました。
三味線の音が聞こえてくる花屋もありました。「手辺座」という芝居の一座もありました。

手辺座は、但馬の村々を興行してまわり、とても人気がありました。
 
一座は大変な評判で、つい評判に乗って自分の芝居を楽屋からほめます。
それがまた思わぬ人気で観客から「手辺座、手辺座」の声です。
それ以来、自分で自分をほめることを、但馬では「手辺(てへん)座だ~」と言うように
なったそうです。

(菅村駅一さんの著作からまるまる写しで書きました) 

この記事についてブログを書く
« 「ふるさとの話」 平成28年1... | トップ | 「ふるさとの話」 平成28年1... »