三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

「この先どうなるのか?」

2024-05-14 21:54:23 | 日記

「この先どうなるのか?」

 賀上文代さん(写真)と市内のレストランで落ち合い、最近の話題などについて意見交換をした。注目すべきは、5月11日に家族会・救う会等が主催して開いた国民大集会において竹下珠路特定失踪者家族会事務局長が壇上から発言した内容である。集会に参加した人の文章によると、『北朝鮮から生存情報を伝えきた拉致被害者の田中実さんと特定失踪者の金田龍光さんについて、日本政府が情報の受け取りを拒否し二人は見捨てられた』との趣旨だったようだ。

 この集会でも示された通り家族会・救う会の方針は「全拉致被害者の即時一括帰国を求める」というものだが、特定失踪者家族会の方針は『一人からでも救出が実現可能な被害者から救い出し、最終的に全員を帰国させる』というもので2018年6月29日に打ち出している。

 この6年間、お互いに異なる活動方針を抱えながら家族会・救う会等が主催して開く国民大集会や、政府・自治体が主催する「拉致問題を考える国民の集い㏌○○」などで同席している。色々と事情があって同席していると思うが、国民世論から観れば結局同じなんだということになる。特定失踪者家族会は腹をくくって自らの方針に徹すれば良いと思う。

 


「横田、吉見、西岡の各氏はボランティアか?」

2024-05-13 12:57:51 | 日記

「横田、吉見、西岡の各氏はボランティアか?」

 令和6年1月21日に政府・拉致対と香川県が共催して開催した「拉致問題を考える国民の集い in香川」における費用負担額が、私の情報公開請求により判明(写真)したのでその概要を広報したい。

 政府側は内閣官房(目)拉致問題対策庁費から、会場費等704,880円、雑役業務その他385,000円、印刷製本費107,250円、委員等旅費102,180円、職員旅費479,476円で合計1,778,786円を支出している。

 一方、香川県側は健康福祉総務課から、街頭署名高校生旅費19,492円、同損害保険料1,000円、新聞広告料171,600円、ハイヤー代68,600円、手話通訳料(延長料金分)4,000円、会場代163,460円、写真使用料143,000円で合計550,660円となり、政府分を合計すると2,329,446円となる。

 ところが、当日登壇した横田拓也家族会会長、吉見美保特定失踪者家族会副会長、西岡力救う会全国協議会会長への謝礼及び講演料が政府及び香川県のどちらにも計上されていないのはどうしてだろう。3氏への旅費は委員等旅費として政府から102,180円支出されているのだから、てっきり謝礼及び講演料も支出されていると思ったがそうではないみたい。横田、吉見、西岡の各氏はボランティアとして全国各地で開催される同様の集会に参画しているのだろうか?

 日頃から政府方針であるストックホルム合意に基づく解決を批判している3団体の役員なので、いくら何でも政府から謝礼及び講演料は貰えないと固辞したものと想像するが、実際のところは分からない。

 


「母の日に贈る言葉」

2024-05-12 09:55:42 | 日記

「母の遺した畑」

 

 母の遺した畑というが、実際のところはそうした畑はもう無くなっている。正確に言えば、母の遺志を受け継いだ畑があるのだ。

 九十三歳まで生きた母は、病床に付いた九十二歳まで手押し車を押して毎日のように畑に出かけていた。私の住む村では有り触れた光景であり、農家の女の仕事の一部といってしまえばそれで済むような話である。

 段々と年老いて非力になっていった母は、畑を耕すこともままならぬようになり、そんなときには私を呼んでここを耕して欲しいと頼みに来た。私が耕せばあっという間に終わるような作業であるのに、私は自分が遊びに行きたいものだから、母の頼みを不機嫌な顔をして応じるのが普通のことだった。

 その母が九十三歳で亡くなり、後に残った畑を私が受け継ぐことになった。人間というものは現金なもので、いざ私が畑をするとなると、自宅の空き地を耕して畑を作り、ミニトラクターを駆使して畝立てをしている。九十歳を超えた老女が、毎日手押し車を押して自宅から何百メートルも離れた畑に通うのはさぞ大変だったろうと今にして想うが、母が元気でいる内はそんなことは気にも留めなかった。私は、どうして年老いた母のために自宅の空き地を耕して畑を作ってあげなかったのか、そのことばかりが今も心残りであるし、後悔の念を未だに引きずっている。

 私は、畑に野菜の種をまいて収穫をするまでの間、根気を詰めて作業を継続することができない。最初に種をまいて、苗を植える辺りまでは熱心なのだが、しばらくすると畑作業が億劫になってくる。それというのも、野菜が大きくなるに連れて、雑草までもが大きくなってきて、しかも数の上では圧倒的に雑草の方が多くなるからだ。我が家は、無農薬栽培であるが、無管理栽培でもある。

 その点、母もそうであったが、村で野菜作りをしている女性たちは実に根気良く、しかも丁寧な作業を継続している。一見、雑草の生えていないありふれた畑の光景は、多くの労力を投入することによって人為的に作られている。私のようないい加減な野菜作りでも、瓢箪から駒が出たように見事な野菜ができることがあるが、村の女性たちの毎年計算したような出来栄えにはまだまだ及ばない。

 しかし、世の中捨てたものではない。今年に入り、私が作った玉ネギ、ジャガイモ、なすび、きゅうり、スイカ、トウモロコシと、これまでの成績を大幅に上回る収穫を残すことができたのだ。お陰で、家族や親族内で私の株は一気に上昇し、今や大きな期待を一身に寄せられるまでになった。

 母は生前スイカが大好きで、毎年のようにスイカの苗を植えていた。ところが、スイカという作物は案外難しいもので、中々計算どおりの収穫を行うことができない。そういう中で、今年の私には偶然に偶然が重なり、紅くて美味しいスイカを十五個も収穫することができた。仏壇にスイカをお奉りすることができたのは、五十八歳になる私の成長の証だと自負している。

 老いていくことを毛嫌いする人は多いが、私は老いていくことは成熟の過程だと常々思っている。歳を重ねるに従い、人は自分の親の人生をなぞるようにして生きていく。その毎日の連続の中で、親の人生が段々と理解できるようになっていく。自分が老いていくことでしか実感できない人生の真実があるのだと、私はこの頃捉えるようになった。それは、人生決して嬉しいことや楽しいことばかりではないけれど、辛いことや哀しいこともしっかりと受け入れるだけの成熟を人間は手に入れることができるのだと言い換えてもいいだろう。

 すでに父も母も他界し、両親と語り合える日常というものを失ってしまった私だが、畑仕事は私を母に近付けてくれる。雑草を抜く作業は根気が要るが、それをしないといい野菜は作れない。無駄のような労力と時間にも思えるが、これを避けては通れない。人生も良く似た部分があり、親としての人生は、子どもに何の代償を求めない根気と愛情の連続だ。根気と愛情を注げば、それに応えるように子どもも野菜も生き生きと大きく育っていく。

 スーパーに行けば、美味しそうな綺麗な野菜がふんだんに並べられている。費用と労力だけを考えれば、スーパーに直行するのが合理的な選択であろうが、自分の作った野菜を食べるのはとても贅沢な味わいだ。家族のために美味しい野菜を作る、それが母の遺した畑であるし、その作業が今の私にできる母への親孝行なのだと思っている。

(作:陶久敏郎)

 

第11回とくしま文学賞(平成25年度)随筆の部 優秀賞受賞作

 

 


「新タマネギ」

2024-05-11 12:22:27 | 日記

「新タマネギ」

 爽やかの風が吹く午前中、妻と二人で畑に出てタマネギを収穫した。白いタマネギと紅いタマネギをそれぞれ300個ほど引き抜いた。我が家は有機肥料と無農薬、そのうえ放任管理なのだが割と上手くいったみたい。ついでに空豆もバケツに2敗収穫した。

 


「ストックホルム合意から10年」

2024-05-10 13:32:33 | 日記

「ストックホルム合意から10年」

 

 2014年5月29日のストックホルム合意から10年の歳月が流れようとしている。この合意に明記された日本人の問題とは、残留日本人、遺骨・墓地、日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者であり、我が国政府の現行方針は、「ストックホルム合意に基づき、拉致問題を始めとする日本人に関する全ての問題の解決に向け全力を尽していく」というものでこの方針は変わっていない。この合意に関し、日本人拉致被害者(未認定を含む)の救出活動を続けている諸団体からは懐疑的見解が出され、或いは否定的見解が出されてきたことは周知の事実である。

 一例を挙げれば、2017年2月19日に発表された家族会・救う会の“今後の運動方針”には、「(前略)当然のことだが、全被害者一括帰国なしに制裁を一部でも下ろすことはあってはならない。一部で未だにささやかれている残留日本人、日本人妻、日本人遺骨など人道問題を先行して協議するなど絶対にあってはならない。(後略)」とあり、ストックホルム合意及び政府方針を否定している。それでは、この残留日本人とはどんな問題なのか、「援護50年史」(平成9年3月、厚生省社会援護局援護50年史編集委員会監修)等)を参照したい。

『終戦時、北朝鮮域には27~28万人の在留邦人(居住者)と旧満州南域から北朝鮮を経て日本に向かう約7万人の邦人(引揚者)が存在した。しかし、北朝鮮に侵入したソ連軍が38度線を遮断したため、これらの邦人は北朝鮮の各地の学校や民家に収容された。ソ連軍管理地域であった北朝鮮地域については、南朝鮮への脱出等による引揚げや、昭和23年7月まで米ソ協定による集団引揚げが行われたが、以後新政権の樹立及びソ連軍の撤退等により引揚げは中断された。』とあり、敗戦による戦争犠牲者の悲惨な人生がここにある。

 この残留日本人だけでなく、遺骨・墓地、日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者の問題が未解決のまま日朝間には存在していると合意文書に明記されたことの意義は大きく、私がストックホルム合意を評価する所以である。この合意が拉致問題解決に何の成果を出していないから評価しないなどという見解は視野が狭いものであり、“人道問題を先行して協議するなど絶対にあってはならない”とする家族会・救う会の運動方針は批判されなければならない。この拉致被害者だけを優先せよとの独善的主張が、拉致被害者救出活動の拡大を今日に至るまで阻害していると常々捉えている。

 ストックホルム合意に基づき、北朝鮮の地において不幸な人生を余儀なくされている同朋の公平な救済を実現することが最良の選択であると申し上げ、ストックホルム合意から10年となる現時点での見解としたい。

 

令和6(2024)年5月10日

 

救う会徳島 代表 陶久敏郎