三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

演題:「日朝ストックホルム合意と拉致問題」 その⑦

2021-05-01 09:45:45 | 日記
演題:「日朝ストックホルム合意と拉致問題」 その⑦

(5)残留日本人・・・外務省開示文書より
 北朝鮮における残留日本人に関する事実関係をとりまとめたところ、以下のとおり(出典:「援護50年史」(平成9年3月、厚生省社会援護局援護50年史編集委員会監修)等)。
(1) 終戦時、北朝鮮域には27~28万人の在留邦人(居住者)と旧満州南域から北朝鮮を経て日本に向かう約7万人の邦人(引揚者)が存在した。しかし、北朝鮮に侵入したソ連軍が38度線を遮断したため、これらの邦人は北朝鮮の各地の学校や民家に収容された。
(2) 海外からの引揚者の輸送計画は、GHQ立案の引揚げ計画及びソ連からGHQへの通告に基づく輸送計画に従って実施された。このうち、ソ連軍管理地域であった北朝鮮地域については、南朝鮮への脱出等による引揚げや、昭和23年7月まで米ソ協定による集団引揚げが行われたが、以後新政権の樹立及びソ連軍の撤退等により引揚げは中断された。
(3) その後、昭和31年に、日本赤十字社は、北朝鮮側と引揚げに関する共同コミュニケ(平壌協定)の調印に達し、同協定に定められた16世帯・36名が帰国した。
(4) 厚生省は、昭和35年1月1日現在で、北朝鮮地域に最終消息のある残留日本人の名簿(第1回名簿:140名分、第2回名簿:871名分)を作成し、日本赤十字社を通じて北朝鮮赤十字会に手交し、その安否調査を依頼した。その後も、厚生省(厚生労働省)において必要な調査を行っている。
※戦後帰還せず連絡がとれなくなったため制度上死亡したと扱われている「戦時死亡宣告者」が1400人以上いるなど、北朝鮮内の残留日本人の正確な人数については把握できていない。
※「残留孤児」とは、残留日本人(未帰還者)のうち、幼少時に終戦の混乱の中で肉親と生別又は死別し、自分の身元を知らないまま成人した者

最新の画像もっと見る

コメントを投稿