「関東平野と上杉謙信」
1月16日に外務省との意見交換会を終えた私は、翌日、特定失踪者・賀上大助氏のお母さん賀上文代氏を半ば強制的に連れ立って宿泊地である神田からJR京浜東北線に乗って大宮駅まで、大宮駅からJR川越線に乗って八王子駅まで、八王子駅からJR横浜線に乗って横浜駅まで、横浜駅からJR京浜東北線で浜松町駅まで電車の旅をした。
その目的は、関東平野の広さを実感することにある。これでは関東平野の西半分のそのまた半分くらいでしかないが、大変広い平野であることは実感できた。その広い関東平野の南端ともいえる場所にある小田原城を、なんでわざわざ富山県との県境に近い春日山城から上杉謙信は攻めに行く必要があったのか理解に苦しむ。
当時の戦国武将にとっての一大関心事は、自国領土の保全及び拡大にある。戦に勝って自分の領土が増えなければ不満であろうし、当時の上杉の軍勢は普段農作業に従事しているので兵が死ねば年貢が滞る危険性がある。「義」のために小田原城まで遠征した上杉謙信を、越後軍の諸将は本当に支持していたのかという私の個人的な疑問がここにある。
少しだけ答えが見えてきた。写真は、川越駅のホームに立つ賀上文代さん。
1月16日に外務省との意見交換会を終えた私は、翌日、特定失踪者・賀上大助氏のお母さん賀上文代氏を半ば強制的に連れ立って宿泊地である神田からJR京浜東北線に乗って大宮駅まで、大宮駅からJR川越線に乗って八王子駅まで、八王子駅からJR横浜線に乗って横浜駅まで、横浜駅からJR京浜東北線で浜松町駅まで電車の旅をした。
その目的は、関東平野の広さを実感することにある。これでは関東平野の西半分のそのまた半分くらいでしかないが、大変広い平野であることは実感できた。その広い関東平野の南端ともいえる場所にある小田原城を、なんでわざわざ富山県との県境に近い春日山城から上杉謙信は攻めに行く必要があったのか理解に苦しむ。
当時の戦国武将にとっての一大関心事は、自国領土の保全及び拡大にある。戦に勝って自分の領土が増えなければ不満であろうし、当時の上杉の軍勢は普段農作業に従事しているので兵が死ねば年貢が滞る危険性がある。「義」のために小田原城まで遠征した上杉謙信を、越後軍の諸将は本当に支持していたのかという私の個人的な疑問がここにある。
少しだけ答えが見えてきた。写真は、川越駅のホームに立つ賀上文代さん。
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