三笑会

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「安倍政権の北朝鮮政策を検証する」その63,64

2019-02-09 18:08:54 | 日記
「安倍政権の北朝鮮政策を検証する」その63
第193回国会(常会)
平成二十九年一月二十日:有田 芳生
質問第一号:日朝ストックホルム合意についての報道に関する質問主意書

一 平成二十六年七月一日に北京で日朝局長級協議が行われました。それをうけて日本経済新聞が「北朝鮮、生存者リスト提示」「拉致被害者ら「二桁」政府、情報の分析急ぐ」(平成二十六年七月三日付)、「拉致被害者 複数」「生存者リストは約三十人」(同七月十日付)と一面トップ記事で報じています。七月十日の記事には「リストには政府が認定している十七人の拉致被害者(このうち五人が帰国済み)のうち、複数の名前があるほか、拉致の疑いがある行方不明者や、それ以外の日本人名があった」とあります。「複数の日本政府関係者」が情報源です。政府は日朝交渉のなかで北朝鮮側からこのようなリストを提示されましたか。提示されたなら日本経済新聞の報道は事実でしょうか。あるいは生存者情報はないけれどリストを提示されたことはありましたか。

二 こうした記事を大きく報じるには根拠が必要です。この記事を執筆した日本経済新聞の記者は「複数の日本政府関係者」から話を聞いて記事を執筆しています。政府はこうした「複数の日本政府関係者」が、どんな意図をもってその記者に話をしたのか、調査を行いましたか。その結果はどういうものだったかをお示しください。

一及び二について(答弁)
 御指摘の報道にあるような事実はなく、この報道の内容を前提としたお尋ねにお答えすることは差し控えたい。



「安倍政権の北朝鮮政策を検証する」その64
第193回国会(常会)
平成二十九年一月二十日:有田 芳生
質問第二号:日朝国交正常化交渉に関する質問主意書

一 平成十四年九月十七日に小泉純一郎首相(当時)が訪朝し、「二〇〇二年十月中に日朝国交正常化交渉を再開する」ことを日朝平壌宣言で確認しました。しかし、なぜ国交正常化交渉は行われなかったのでしょうか。政府の見解をお示しください。

二 日朝国交正常化交渉は戦後何回行われましたか。またそれが途絶えたのはどういう理由からですか。政府が取り組んできた日朝国交正常化交渉を年度別、月別に開催場所と日程(何日間行われたのか)、そして途絶えた理由についてお示しください。

三 日朝国交正常化交渉が再開し、国交正常化に進む条件について具体的にお示しください。

一から三までについて(答弁)
 お尋ねの「国交正常化交渉は行われなかった」、「途絶えた」及び「日朝国交正常化交渉が再開し、国交正常化に進む条件」の意味するところが必ずしも明らかではないが、政府は、平成三年一月三十日から同月三十一日までの二日間に平壌において、同年三月十一日から同月十二日までの二日間に東京において、同年五月二十日から同月二十二日までの三日間に北京において、同年八月三十一日から同年九月二日までの三日間に北京において、同年十一月十八日から同月二十日までの三日間に北京において、平成四年一月三十日から同年二月一日までの三日間に北京において、同年五月十三日から同月十五日までの三日間に北京において、同年十一月五日に北京において、平成十二年四月四日から同月七日までの四日間に平壌において、同年八月二十一日から同月二十四日までの四日間に東京において、同年十月三十日から同月三十一日までの二日間に北京において、平成十四年十月二十九日から同月三十日までの二日間にクアラルンプールにおいて、日朝国交正常化交渉の本会談を開催した。また、平成十八年二月六日に北京において国交正常化交渉を行った。
 なお、北朝鮮との関係に関する政府の方針は、日朝平壌宣言に基づき、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、国交正常化を実現していくというものである。

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