黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・御城印を求めて岩櫃城

2021-10-21 17:32:42 | 吾妻紀行

ひめちゃんと獅子丸は、今朝もおとうさんを連れて、散歩に出ます。

おとうさんは、ひめちゃんたちとのお散歩でフィットネスですって

みんな、堀之内を西に出ます。

浅間山は、今朝は白くないみたいです。

ひめちゃんたちは、諏訪神社の向こうの高台中央から北に向かって下っていきました。

山上の薬師の道を歩いてくるようです。

 

小次郎パパが、「もう限界帰ろうよ

タバねーちゃん、ちょっと不満

「アタチはもっと行たいなあ

お散歩のパターン、変更を考えなくてはね

 

 

本丸跡をめざして、案内に従って、坂道を登ります。

振り返ると、かなりの坂です

まだです

まだまだです

 

たぶん、見晴台からの写真かな?

そうすると、視線の先には、ハート型土偶出土地があるんですね

 

まだ上ります。

 

やっと本丸が見えてきました

二の丸の四阿にちょっとだけ寄って、本丸跡です。

岩櫃城由来記を確認です。

鎌倉時代初期の頃、吾妻太郎助亮により築城されたといわれています。~(中略)~その後斉藤氏の支配するところとなり、永禄六年(1563)武田信玄は上州攻略のため、重臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じました。ときの城主は斉藤幸国(または憲広)といわれ堅城を利して奮戦しましたが、ついに落城してしまいました。こうして岩櫃城は武田氏の手中に落ち、信玄は幸隆に吾妻郡の守護を命じました。天正二年(1574)に幸隆が世を去り、城主には長子の信綱が収まりましたが、翌年、長篠の戦いで信綱、昌輝兄弟が戦死したため、真田家は幸隆の三男、昌幸が相続しました。その後、昌幸の長男信行が支配し、信行の弟幸村も少年時代をこの城で過ごしたといわれています。

 

真田幸村が、ここで少年時代をすごしたんですか

 

けっこうな上り坂で、きつかった

でも、ひめちゃんたちと毎日お散歩してるから、明日どこかが痛くなったりしないでしょう

 

歩いているときに、何度か見かけた花です

トラノオかな?

 

 

さて、回り込んで下山です。

少し行くと、表示があります。

もちろん観光案内所の方に行きます。

 

後ろの山も気になります。

ハイキングで登れるようですけど、パスです

朝、雨だったようで、けっこう滑りやすく、十分気を付けて降ります。

 

 

なんとか下界に降り、出発点に戻ります

熊に出逢わずに帰れました

 

観光案内所前に戻ると、出発前にはなかった記念撮影用のパネルです

 

案内所からは、「スタンプもありますよ。」の声がかかります

もちろん頂きます。

ありがとうございます

 

 

この日は、けっこう人が来ています。

中には、スカートのおばさんも

でも、御城印をゲットして早々に帰って行きます。

一人歩きの老人も、本丸目指して上って行きます

鈴持ってるのかな?

 

案内所の前方に、岩櫃神社ですって

案内所で聞くと、忍者の修行場だったところですとのことです。

行ってみましょう

 

(つづく)

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