黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

棟高の観音堂(県道3号線紀行・序章3)

2021-10-08 20:13:20 | 県道3号線紀行

ひめちゃんと獅子丸は、おとうさんを連れてお散歩に出ました。

今朝は、タバサねーちゃんと小次郎パパがおかあさんとお散歩です。

晴れて気持ちいね

タバサねーちゃんも、ひめちゃんと一緒にシャンプーやさんに行ってきました。

湯上がり美女です

 

小次郎パパは、最近後ろ足がちょっと弱ってきました。

でも、頑張ってお散歩です

 

あれ、ひめちゃんちにも桜の返り咲きかな?

よく見ると、プラムの木でした。

返り咲きは初めてのことです。

 

 

 

 

県道3号線を西に何処までも行くと、「観音寺南」の信号に突き当たります。

近くに観音寺があるのです。

信号を右折し少し行くと、ありました。

 

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅱ』(上毛新聞社、平成24)によれば、

観音堂―群馬郡群馬町

開山草創年代は不明であるが、観音堂付近に経塚・猪除け塚などが残っており、境内から板碑、五輪塔、宝篋印塔など中世石造物が出土している。中でも観音堂内蔵の元弘二年(1333)の板碑は、新田義貞の鎌倉攻めに従軍した兵士の供養塔と思われている。『堤ヶ岡村誌』には、千葉常将と船尾山衆徒との戦かまたは、武田・上杉の戦乱時の焼失説が述べてあるが、「文明九年(1477)七月、古河公方成氏が白井の長尾景春支援のために出兵し、広馬場・保戸(渡)田・観音寺辺を打ち上げられたとの説もある(『国府村誌』)。

現在の観音堂は、焼失した寺の付属物であったのを、近隣の人が再建し、嘉永六年(1853)に修復されたと記録されており、徳川期より聖護院宮を総本山とする本山派修験で、西国分村の大蔵坊の霞下(支配下)で華水山勧学院観音寺持ちとなっていた。

 

ここは、文化と戦の記憶がいっぱいのようです

 

 

灯籠のある参道から参拝です。

説明板があります。

観音寺は、明治十年に廃寺となりましたが、境内には観音堂と大師堂が残され貴重な文化財として、永代世話人はじめ多くの住民の法師によって守られています。

現役で活動している宗教施設なのです。

だから、『ぐんまのお寺 天台宗Ⅱ』にも載っているのですね

 

 

古い石造物と新しい石造物が、いい感じでコラボしています

みなさん手に薬壺を持っています

薬師如来の皆様です

合掌

 

 

さて、観音堂です。

長い歳月を感じさせる、たたずまいです。

のぞき穴にお賽銭を入れて、合掌です

失礼します。

現役でご活躍中ですね。

正面の龍が生き生きしています

ご本尊様は、あの厨子の中でしょう。

おや、天井絵です

かつてのにぎわいが偲ばれます。

 

 

御堂を一回りです。

あれ、獅子くん、ちょっと苦しいかな

裏は網が張ってありますけど、こざっぱりして落ち着いた雰囲気です。

一周してきました。

あの額にも、文字や絵があったのでしょう。

 

 

観音堂の裏は、石造物が集まってます。

鳥居もあります

工事中のようです

 

 

観音堂の隣に、大きな観音様です。

合掌

 

 

さて、観音堂の斜め前の建物です。

経蔵とあります。

しっかり鍵がかかってます。

観音堂板碑群の説明板もあります。

板碑が何枚もあるのですね。

この付近は、平安時代の終わり頃より、天台宗行者の修験場(寺)であった勧学院観音寺が有ったところとしても有名である。

 

文化は、もちろん東にも伝わって広がっていったことでしょう

 

 

斜め後ろに、大師堂です。

『ぐんまのお寺』によれば、

大師堂は、間口二間半・奥行き五間あり、中には、近隣信者の奉造による大師像二十四体が安置されている。

なんとなく多くの大師像がある感じです

合掌

 

 

あれ、大師堂の脇にも石造物です。

合掌

皆さん、これからどうなるのかな?

 

 

東の道は、県道25号線です。

何処まで行くのかな?

そのうちに、機会を見て行ってみましょう

廃寺になっても無住になっても、信仰を持った人々に支えられて、現役の観音堂です

 

 

すぐ南の信号・観音寺南から左折して東に、県道127号線が10号線になり、さらに3号線になります

文化と軍隊が上野国山上に来た道・県道3号線、この道の記事を新旧織り交ぜて、西から整理してみます。

しばらくお付き合い下さいませ

 

また、もちろん、時にはまったく別の話題も取り上げます

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