黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

多賀城以前の国府・郡山官衙跡

2019-08-01 15:30:11 | 陸奥国
ひめちゃんは、七海ママが大好きです
ママとのお散歩は最高に幸せです



ときたま、ママのちい散歩に付き合います
この後、獅子丸とお散歩に出ます




仙台3日目、定義からホテルに戻ります。
まだ3時前です。
そうだ、郡山に行こう

昔、仙台で初めて住んだのが、長町の郡山だったのです。
郡山は、多賀城以前の陸奥国府があったそうです
去年、郡山官衙跡にも行きました。
気楽な気持ちで、地下鉄南北線で行きました。

はて、降りてみると、記憶と違います
少し歩いて見ても、ちょっと違います。
去年はどうもJR線できたらしいです
しかたなく、スマホ片手に、郡山廃寺跡を目指します。
「南に向かって歩け」といわれても、太陽も出ていないし、方向が分かりません
まあ、なんとかたどり着きました。
郡山廃寺跡は初めてです。



発掘事務局です。
説明板があります。










まさに郡山廃寺跡にいるのです

さて、去年行った郡山官衙跡を目指します。


途中にも説明板があります。








しばらく行くと、また説明板です。







少し行くと、見たことある風景に出会えました



「止まれ」の所を右折してきました。


(画面左側)緑地に説明板です。






少し行くと、反対側にも説明板です。






緑地を回り込むと、大きな説明板があります。





年表は特に拡大しましょう。






一番新しい説明板のようです

「多賀城は、陸奥国の領域が太平洋側のみとなった後の国府である」とあります。
陸奥国が出羽国までの広い範囲であったころの国府であったということになります
福島県以北がみんな陸奥国だった時代の国府です
「出羽国が成立したことと蝦夷の反乱を鎮め北方への支配を強める必要があったことも、国府が多賀城に移った原因である」とあります


さらに奥に回り込むと、もう一枚説明板があります。





「蝦夷の服従の儀礼に使われた」って、どういう風にするのかちょっと気になります


現在地を示す地図の官衙跡左の白い太い線、そこそこの広さの道です。
去年はうまくこの道に出ました。
今年はちょっと迷子になったけど、この道を長町駅に戻ります。


どの地図にも、国道4号線が顔を出していました
国道4号線は、関東から東北への幹線道路です。
ここは、古代から交通の要衝だったのです


駅前の見たことある風景に再会です





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